第8話 君の自信になってあげるよ

 デッサン人形が鹿目未来そっくりに変貌と遂げてから数時間後。


 俺の引きこもり生活をサポートしてくれる美少女メイドのミライが、さっそくご飯を作ってくれた。


 買い出しにひとりでいかせたので、どういう食材を使ったのかはわからないが、煮物に味噌汁に白ご飯と、まるで日本にいるときみたいに、いやそのとき以上の完璧な日本食が出てきた。


 この世界にも里芋とかニンジンとかあるんだなぁ。


 たぶんよく似た食材なんだろうけど、詳しく知らない方が身のためだと思う。


 この肉なんかすごく見た目鶏肉っぽいけど、


「ゴブリンの肉です」


 なんて言われたらもう食べることはできないから。


「おいしかったよ、ミライ。いや、さすがというべきなのか?」


「うふふ、ありがとうございます」


 口元に手を添えて上品に笑ったミライが、食器をキッチンへ持っていく。


 ちなみにミライは人形だが、飲食は普通にできるらしい。


 まあ、食べなくても問題はなく、むしろ食べてしまうとその後の処理が大変らしいので、のっぴきならない事情がない限り飲食はしないと言っていた。


 ミライは、テキパキと食器を洗った後、すぐに俺に向き直って。


「さて、ご飯も食べましたし、さっそく夜の訓練をはじめましょう」


 夜の訓練?


 それってもしかしてベッドの上でやる……


「まずは腹筋百回です」


「だからやらねぇって」


「そんな! 誠道さんには非常に珍しい【新偉人】が宿っているんです。つまり伝説の引きこもりニートになれる素質を持っているんです。唯一無二の才能です」


「あのさ、一応確認だけど、それって褒めてるんだよね?」


「バカにしているに決まっているじゃないですか。皮肉ですよ、全部」


「平然と言うな! ししし知ってたわ! 別に全然ショックじゃないし、褒められてるって勘違いなんかししし、してるわけないんだからね」


「はぁ、誠道さんって、そんなにポジティブに物事を捉えようとするのに、どうして引きこもりなんかになってしまわれたのですか?」


「純粋な目で純粋な子供みたいな質問をするな。FA宣言したプロ野球選手のインタビューに子供を使うくらい残酷なことしてるぞ」


「まあ、そんなことはどうでもいいとして」


 ミライの目がきらりと鈍く光り、鋭く吊り上がる。


「誠道さんが訓練をしない、というのであれば私にも考えがあります」


「は? っておい……お前、いきなりなにを」


 ミライの突然の豹変に困惑する。


 包丁を持ちやがったぞ、このメイド。


 いったいなにをする気だよ。


「いきなりもなにも、これは誠道さんの将来のためです。誠道さんは私の言うことだけを聞いていればいいのです!」


「お前は子供への愛を勘違いしてる母親か!」


 目っ! 目がキマってるって!


「いいから私の言うことを聞いてください!」


「包丁持ってるやつのいいなりになるわけないだろ!」


「どうしてですか? 今から私はあなたを殺すだけなのに」


「将来のためとか言いながら俺の将来刈り取ろうとしてんじゃねぇか! このままだと俺の将来が『未だ……来ないの』になるわ!」


「いきます。御覚悟を」


 その言葉を合図に飛びかかってくるミライ。


 突然の窮地に背筋が凍りつく。


 足は恐怖でがくがくと震えているが、生存本能が体を突き動かしたのか、間一髪のところでなんとかかわせた。


 が、足がもつれて転ぶ。


 やばっ……と思ったがもう後の祭り。


 ミライが俺の腰の上に跨っている。


「誠道さん。御覚悟を」


 彼女がナイフを振り上げた。


 ああ、俺、このまま死ぬのか。


 この世界で死んだら本当に死ぬんだろうな。


 まあいいか、もう。


 無価値な引きこもりの俺なんかさっさといなくなって命の枠を開けるべきだし。


 最後の晩餐が馴染みある日本食だったから満足だよ。


 その最後の晩餐を作った張本人に殺されるなんて、思いもしなかったけどね。


「あ、ちなみにさっき食べた肉はゴブリンの睾丸です」


 夢も希望もないんだよ。


「もちろんこの世界にもちゃんとしたお肉はありますが、その方が面白いと思いまして」


 ミライがなにか言っているがもうどうでもよかった。


 結局、俺はなにも変われないまま、引きこもりとして死んでいく。


 惨めなまま、哀れなまま、弱虫として、俺の人生は幕を閉じる。


 そんなもんだ、俺なんて。


 俺なんて、生きながらえるだけ無駄なんだ――




 ――私が君の自信になってあげるよ。




 そのとき、俺の頭の中で声がした。


 鹿目さんの声だ。目の前のミライが鹿目さんそっくりだから思い出してしまったのかもしれない。


「鹿目……さん」


 思わず名前を呼ぶ。


 最期に鹿目さんのことを思い出せて、それだけで幸せだった。ミライが鹿目さんに似ていたことに感謝しないとな。


 俺は死を受け入れてゆっくりと目を閉じる。


 鹿目さん。


 鹿目さん。


 心の中で名前を呼んで、鹿目さんの綺麗な横顔を、弾けるような笑顔を思い出しながら死を迎えることにした。


 それが俺の最高の幸せだから。




 できなかった。




 あんなに見惚れて、何度も何度も記憶に焼きつけたはずなのに、笑顔も綺麗な横顔も思い出すことができない。


 代わりに思い出すのは、余命宣告を受けた後の鹿目さんの姿だ。


「どうして私なの! 他の人でいいじゃん! やだよぉ死にたくないよぉ!」


 病室のベッドの上で、母親に寄り添われている鹿目さんが泣き叫んでいた。


 昨日、俺と話していたときは、


「余命なんか他人に決められてたまるかって。私は生きるよ、これからも」


 なんて笑いながら言っていたのに。


 それを見て俺は、この人は病気に絶対打ち勝つんだな、と確信したのに。


「あんなに勉強してさぁ、夢が、かなうって思ったのにぃ」


 きっと鹿目さんは、俺が今日もお見舞いにくるなんて思っていなくて、俺が扉を開けたことにも気づいていなくて。


「こんなのって、ないよ。なんで私なんだよぉ!」


 だからこそ、俺の前では決して見せない姿をさらけ出している。


 誰かのお見舞いの品なのか、ベッドの上に置いてあったクマのぬいぐるみをつかんで、投げ飛ばそうとして、それをぎゅっと抱きしめる。


「ごめんねぇ未来。お母さん、寄り添うことしかできなくて」


 自暴自棄になっている娘を母親が抱きしめる。


 かけるべき言葉が見つからないのか、それから母親はずっと無言だ。


「なんで人間は死ななきゃいけないの。もし私がこのクマみたいに、お人形さんだったら、みんなのそばにずっといられて、夢もかなえられて、みんなを悲しませずにすむのにぃ」


 俺はこれ以上鹿目さんを見ていられなくて、その場から走って逃げた。


 鹿目さんは強い女の子じゃなかった。


 死を恐れる普通の女の子だった。




 ――私が君の自信になってあげるよ。




 鹿目さんは生きたかったのだ。


 生きて生きて生きつづけたかったのだ。




 ――どうして私なの! やだよぉ! 死にたくないよぉ!




 鹿目さん。


 鹿目さん。


 心の中で名前を呼ぶ。


 鹿目さんは生きたかった。


 そう思うと、諦観の感情に支配されて冷たくなっていた体の奥底から、なにが込みあがってくる。


 熱い。


 その熱が体を蹂躙していく。


 鹿目さんは生きたくて、でも生きられなくて。


 生きたくても生きられなかった人がいるのに、生きたくて生きたくてたまらなかった人がいるのに、どうして俺が、一度死んだにもかかわらず転生までさせてもらって生きている俺が、生きることを諦めているのだろう。


 存在が無価値だからって、生きたくても生きられなかった人がいるのに、自分で死を選ぶなんて、そんなことしたら無価値以下の存在になってしまう。




「……そんなの、嫌だ」

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