地上 その四の一

〈もちづき〉の高度低下と中国による搭乗員救出用シャトルの打ち上げ準備、そして二度目の流星雨による通信の途絶というニュースが次々に伝えられ、その度に世間の関心は高まったが、所詮、数ある災害・事故報道の一つという受け取られ方でしかなかった。また、大多数の人々は二人の搭乗員の無事帰還を望んでいたが、同時に事態の進行に波乱を求めてもいた。

 そんな中、不特定多数の一般ユーザーを対象とした、参加制限の緩いテキストベースのコミュニティ「パブリック」に、短く目立たない発言が書き込まれた。


〈もちづきの搭乗員の方々のために、私たちにできることを何か考えませんか〉


 当然のごとく、この呼びかけは見向きもされず、瞬く間に発言ログの片隅へと追いやられていった。やがてあと数行でサブ画面からも押し出されるというときに、一つのレスポンスが付いた。


〈こんなところに集まってる素人に、何かできることがあると思うの?〉


 否定的な内容ではあったが、レスポンスには違いない。呼びかけの発言は再び画面の最上段に返り咲き、人々の目に留まることになった。


〈このまま傍観者でいるだけなら何もできないでしょうね〉

〈なんか、むかつくな。その言い方〉

〈お気に障ったのなら謝ります。でも、私の最初の書き込みに反応してくださったのはあなただけです。あなたは決して傍観者ではありません〉

〈そういう醒めた言葉遣いが腹立つんだよ。本気で何かしたいなら、もっと熱く語ればいいだろうが〉


 世の常として揉め事は人々の関心を引く。初め、一対一のレスポンスの応酬だったものが、一人、二人と言葉を挟む者が出始めた。


〈まあ、落ち着けよ。珍しく建設的な話題になりそうなんだから、仲良くやろうぜ〉

〈建設的なもんか。「何か役に立てること」なんて、抽象的で、曖昧で、ただのきれいごとじゃん〉

〈確かにきれいごとかもしれないけどね、最近のコミュニティって、ネガティブで、なんだか冷たい発言ばかりだから、たまにはこういうトピックもいいんじゃないか〉

〈たまにはって、そういう問題か?〉

〈で、どうなんだ。有ること無いこと飛び交っているようだが、実際のところ〈もちづき〉の現状は相当悲観的なのか〉

〈私もそれが気になるなあ。中国のシャトルで帰還できるのは一人だけっていうのは本当なの?〉

〈まだ正式発表はないけど、打ち上げ準備中の伝馬3号は貨物運搬専用だね。このタイプは操縦士以外には一人分しか搭乗席がないはずだよ〉

〈そのこと〈もちづき〉の二人には知らされているのかな〉

〈通信の途絶えたタイミングが微妙だから、どうだろうか〉

〈もし伝えられていたとしたら、つらいな〉

〈ああ、もし自分が上にいたらって、考えただけでぞっとする〉

〈あと、四十時間か〉

〈神経もたねえよ。普通〉

〈彼らは宇宙飛行士だからね。こういう事態を想定した訓練を受けてるよ〉

〈訓練と現実は違うだろう。宇宙飛行士だって人間なんだぜ〉

〈危険は承知で宇宙飛行士になってるんだ。仕方ないさ〉

〈他人事だもんな。冷たいもんだね〉

〈じゃあ、あんたは何かできるってのかよ〉

〈それをみんなで考えてみましょう、というのがこのトピックなんだよなあ〉

〈励まそうよ〉

〈ん?〉

〈みんな、あなた達のこと心配してるって、そんでもって応援してるって〉

〈こんな状況で応援されてもね〉

〈でもさ、無関心ってのは悲しいもんだぜ。確かに「心配してます」なんて気持ちを伝えたところで、落ちるっていう事実はどうにもならないけど、みんなに見守られていると思えば、最後までの時間の過ごし方を、少しでもましなものにできるんじゃないか〉

〈だ、か、ら、励まそうにも通信ができないの〉

〈ああ、そうだった〉

〈バーカ〉

〈あのさ、人文字ってあるじゃない。あれ、使えないかな?〉

〈人文字か。相手が飛行機ならまだしも、宇宙ステーションから見えるようにするのは無理だろう〉

〈ナスカの地上絵だって、そこにあるっていう目で探さないとまず見つけられないからなあ〉

〈そうよねえ、人文字書いてますから見てくださいって、知らせられないんだもんね。やっぱりだめかあ〉

〈ちょっと待てよ。夜間の照明なら宇宙からでも結構見えるはずだ〉

〈ああ、見えるだろうね。でも人文字と違って自由な形に配置するのは無理じゃないか〉

〈漁船なら海の上で好きな場所に移動できるし〉

〈でもさ、一文字の大きさは最低でも十キロとかそれぐらいないと気づいてもらえないよ〉

〈うーん、これもボツ〉

〈あの、一つよろしいか〉

〈どうぞ〉

〈みなさんはおそらくご存じないと思うのですが、モールス信号を使うというのはどうでしょう〉

〈モールス信号?〉

〈あ、それ、なんか聞いたことあります〉

〈原理的にはデジタル処理の0・1の組み合わせと同じようなものなんですが、長短二つの信号を組み合わせて、文字を表現できるのですよ。例えば有名、といっても今では使われなくなりましたが、昔、救難信号としてSOSというのが用いられていたのです。これをモールス信号で伝える場合、・・・ ‐‐‐ ・・・ となります。・・・がS、‐‐‐がOを表します。照明の並びで文字の形を表すのではなく、点滅の間隔で文字を伝えることになります〉

〈へえ、そんな便利なものがあるんだ〉

〈正確には、あった、なんですが〉

〈その方法、使えるかもしれないぞ〉

〈本当?〉

〈ああ、いくつか条件があるけどね〉

〈使えるならやってみようよ。条件って何なのさ〉

〈まず、〈もちづき〉の搭乗員がモールス信号を知っているということが大前提として必要だ〉

〈そりゃそうだ。で、どうなんだろ、ずいぶん昔の通信手段みたいだから知らないかな〉

〈大丈夫、知ってますよ〉

〈ほう、断言したね〉

〈僕は宇宙飛行士志望なんです。宇宙飛行士の養成カリキュラムの中に、緊急時の通信手段として、モールス信号の習得があります〉

〈なら、第一の条件はクリアだ。で、次の条件は〉

〈いくら強力な光源でも、一つや二つでは気づいてもらえないだろう。確実にメッセージを伝えるには、できるだけ広範囲で、たくさんの照明を一斉に点滅させる必要がある〉

〈そうか、そうだよね。ここに集まってる人たちだけじゃ、足りないか〉

〈だったら、呼びかければいいじゃん〉

〈そうだよ。他のコミュニティでも提案しよう〉

〈自分の部屋の照明を点滅させるだけでいいんだもんな〉

〈せーのでやるの? 誰が声かけるの?〉

〈ネットがあるじゃん。モールス信号をネットに乗せて、それを照明装置に繋げばいいさ〉

〈難しくない?〉

〈宇宙ステーションの落下をどうするかってことじゃないからね。ネットの端末に照明を接続して点滅させる方法なら、少し時間をもらえれば僕にでも考えられるよ。それに、たくさん声かけていけば、もっと詳しい人が出てくるって〉

〈どうする〉

〈よし、やろう〉

〈本気?〉

〈面白そうじゃん〉

〈お祭りお祭り〉

〈ねえ、伝えるメッセージは何にする?〉

〈シンプルで元気が出るやつがいいな〉

〈元気づけるっていっても、戻れない一人にとっては酷じゃないか〉

〈本当に戻れないのかどうか、わかんないじゃないか。日本宇宙機構だってあれこれ考えているはずだよ〉

〈そうさ、応援メッセージなんだから、から元気でもいいんだよ〉

〈無責任な気もするけど、ま、いいか〉

〈それも、みんなから募ろう〉

〈いいね〉

〈じゃあ、声かけてくる〉

〈俺も〉

〈私も〉



 ――主として二十代後半から三十台半ばのビジネスマンが集うコミュニティ「ブレイクタイム」にて。


〈面白そうだけど、一般家庭の照明程度で気づいてもらえるかな〉

〈うちの会社は社長がワンマンだから、上手く乗せればビル一棟丸ごと参加できると思う。こういう企画モノも好きだしね。ちょっと交渉してみるよ〉

〈じゃあ、うちも駄目もとで提案してみるかな〉

〈前に聞いたことがあるんだけど、〈もちづき〉って日本の上空なんか五、六分で通過してしまうらしいぜ。みんなでいくらピカピカやっても、見てないって可能性が高いんじゃないか〉

〈そうだよな。事故の対応で外見てるひまなんかないだろうし〉

〈だったら、外国にも呼びかけよう〉

〈やめときな、笑われるだけだって〉

〈そうかな。俺は最初にこの話を聞いたとき、とても良い企画だと思ったけどな。とにかく俺は協力するよ〉

〈誰が言い出したのか知らないけど、これって意味あるの?〉

〈十人や百人じゃ意味はないだろうね。でも千人とか何万人とかが参加すれば、それは意味のあることになるんじゃないだろうか〉

〈結局は自己満足さ〉

〈自己満足でもいいよ。僕は参加する〉



 ――再び「パブリック」にて。


〈予想以上に参加表明が増えてるね。こりゃ、ちゃんと仕切らないと、あっちこっち好き勝手にやり始めて、意味不明なメッセージになってしまうぞ〉

〈問題はどうやって同期をとるかだな〉

〈人工衛星のライブ映像で確認をとりながら調整するっていうのはどう?〉

〈良い考えだ〉

〈ちゃんと宇宙から見えてるかどうかの検証もできるね〉

〈おう! なんだか凄いことになってきたんじゃないか〉


    ◇  ◇  ◇


「ねえパパ、クリスマスはとっくに終わってるよ。せっかく大掃除の日にがんばって片づけたとこなのに何やってんのさ。ママに見つかったら怒られるよ」

 パパと呼ばれた三十台半ばの男は、背中に乗りかかってくる五歳の息子の暖かい息を耳元に感じながら、優しい声で、だがしっかりと言葉を選びながら答えた。

「ユウキは〈もちづき〉っていう宇宙ステーションを知ってるだろ。今ね、〈もちづき〉に乗っている人たちがとても困っているんだ。だから、みんなで力を合わせて、がんばれ、応援してるよって、〈もちづき〉の人たちに伝えようってことになったんだよ」

「ふーん、応援にはそのイルミネーションを使うの?」

「そうなんだ。これをね、ピカピカ光らせてやると宇宙から見えるんだって。ほら、あそこを見てごらん、空の星もピカピカしてるからよく見えるだろう。あれとおんなじさ」

「じゃあ、ボクも手伝う」

「よし、いっしょにやろう。ほら、ここをしっかり押さえていてくれるか」

「いいよ」

 二人は白い息を吐きながら、マンションの狭いベランダいっぱいにクリスマスの電飾を広げていく。その様子を、赤ん坊を抱いた母親が、大きな窓ガラス越しにあきれ顔で見ていた。



 神社の裏手にある古い物置小屋の前に五人の男たちが集まっていた。五人のうち三人は頭髪がかなり寂しくなっており、残る二人も古びたジャンパーの襟元からのぞく首筋に年齢を感じさせる皺と染みが浮かんでいる。

 時折吹き抜ける風には細かな雪が混ざり込み、男たちはその都度、ううっ、と小さな唸り声を上げた。やがてギシギシと湿った木の音がして物置の引き戸が少し開くと、頭髪の薄いグループの一人がその隙間に首を突っ込んだ。

「どうだ、あるか?」

「おう、あるある。やっぱりここだったわ」

「よし、とりあえず外に出そう」

 二人が引き戸に手を掛け気合いとともに引っ張ると、どこかが確実に折れてしまったような音がして、長方形の暗がりがさらに広がった。その闇の奥からぞろぞろと大蛇の神経のようなものが引き出される。

「けっこう傷んでるな」

「大丈夫、埃を被っているだけだわ。電球は生きてると思うよ」

「いいから、とにかく全部出せ。そんで電気流せばすぐわかる」

「うわあ、手が真っ黒だって。いったいいつから使われてないんだよ」

「二〇一五年の盆踊りが最後のはずだ」

「良く覚えてんなあ」

「うちの娘が十歳で亡くなった年だからな」

 みなが一瞬黙り込み、三本杉の梢がひょうと鳴る。

「さあて、どうだ。五、六個割れてる電球はあったが、まあまあいけそうじゃないの」

「どうする。もうどこにも白熱灯なんか売ってないぞ」

「タツが上手くやるさ。元電工だもの」

「おう、まかせとけ」

「櫓がないのが残念だな」

「ほら、無駄口叩いてないで担げ。広場まで運ぶぞ」

「上手くいけばいいがな」

「いくさ」

「うん」

 五人の男たちは縦一列に連なって、裸電球が等間隔に繋がれた電線の束を肩に担ぐと、わっせわっせと声をかけ合いながら歩き始めた。



「一晩の内、たった十分でええんや。協力したろうやないか」

「あかん」

「なんでやねん。もともと点滅させてんのをちょっとタイミング変えてやるだけや、消してしまういうてるんやないで。十分間だけトンツーツーでええんやど」

「ええか、そのたった十分のために設定変更ちゅうのがいるんや。あんたがうるさいから、しゃあなしに業者に見積もりとったら、えらい金額出してきよった。何の得にもならんことにそんな金使えんわ」

「ええかげんにせえよ。得ってなんじゃい。損得勘定してる場合か。日本の宇宙ステーションがえらいことなんやど。上では命がけでがんばってんのや。日本人が応援したらなどうすんね。しかも電飾が使えるいうたら俺らが先頭に立たなあかんやろ。今度ばっかりは、お前が反対や言うてもやるからな」

「ほな勝手にやり。そのかわり離婚や」

「おうおう、離婚で結構。この業界、百年の歴史があるんや。ずっと電飾で世の中に景気づけしてきたんやど。その心意気がわからんような奴とはやっとれんわ」

「どうぞお好きに。赤の他人がやるこっちゃ、どうでもええわ」

「俺はやるど。日本中のパチンコ王子グループ二百六十三店舗、全部が参加じゃ。日本列島隅から隅まで派手に点滅さしたるでえ」

「あほ」

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