一歩前進二歩後退
「……じゃあ、その葬儀場の女ってのが犯人なの? 腹立つわねえ」
翌日、真理子さんのお見舞いに行くと、本人は思ったよりかなり元気そうで安心した。
病院にいてもテレビもネットもろくに見れなくて退屈だし、骨折だけだから数日検査入院したらマンションに帰る、狭いけど一応オートロックだし、誰が入って来るか分からない病院よりマシよ、と強気な発言が頼もしくも思えるが、不便はないのだろうか。
「ひろみみたいに腕だったらかなり不便だっただろうけど、幸いにも左の足首の骨折と、肋骨はヒビ程度だから問題ないわ。会社も轢き逃げだってことで、小さく新聞にも載ってたから心配してくれて、ゆっくり休めって言って貰えたし。プチバカンスみたいなものよ。……ああ、でも飲み食いするだけでも肋骨が痛むから、ぱんどらに行くのは少しの間控えるわ。坂東さんにもよろしく言っておいてくれる?」
「はい。真理子さんがタフでほっとしました」
「坂東さんにあれだけ拒否られてもしつこく通う女よ私は? メンタルの強さだけは自信あるのよ。……まあ性的嗜好はどうにもならないだろうし、脈もなさそうだから八割方諦めてはいるけど、ワンチャンあるかもだし。ま、小春ちゃんと仲良しにもなれたし、近所で美味しいコーヒーを飲めるってだけでも個人的にはかなり満足してるのよ」
それにしてもねえ、と真理子さんが納得出来ない表情をする。
「──確かにね、マメにぱんどらには通ってるわよ私? でも当然のことながら、デートなんてしてもなければ、健全にお喋りしてコーヒー飲んで帰るだけのプラトニックな関係なのは、多分後をつけたりしてるんなら分かりそうなもんじゃない? 小春ちゃんだって、店でバイトしてるとは言っても、一緒に出掛けるのなんかせいぜい買い物ぐらいでしょう?」
「まあそうですね」
「その程度でここまでされる筋合いある? 坂東さんと仲良くしたきゃ、自分もお客さんになってお店に来ればいいじゃない。やるならちゃんと裏付け取ってからにして欲しいもんだわ。冤罪もいいところよ」
「それは本当に思います」
マスターが言うには、葬儀場の人と話したのは、久松さんの葬儀の場所を聞こうとした時と、ポットのお湯が切れてたので、どこで入れたらいいか聞いた時ぐらいだそうで、それも最低限の会話しかしてないとのこと。二人が同一人物だったかは記憶にない、とかなり曖昧である。こんなことになるとは思ってもいなかっただろうし、マスターは元々引きこもりで、知らない女性と話すのも警戒するトラウマ持ちなので尚更だ。
正延さんは留守電を残したら、暫くして折り返しでマスター宛てに電話が掛かって来て、今回の件を説明し、葬儀場での件も併せて伝えたところ、調べてみますと言ってくれたらしいので一歩前進だ。
「絶対治療費と慰謝料請求してやるから、何か進展があったら教えてね。あのぬぼーっとした刑事さんにもよろしく」
「ぬぼーっとしたはひどいですよ。正延さんは刑事さんだから、わざと考えが読めないようにあんな表情してるんでしょうし」
「うん、私が言い過ぎたわ。ごめんなさい。──そうそう、小春ちゃんも帰り道、ちゃんと背後なんかも気を付けるのよ? 明るいからって安全とも限らないんだから。まだケガも治ってないんだし」
「はい、気をつけます」
マスターにも口を酸っぱくして注意されたし、来る時も電車にはベルが鳴り出すギリギリで乗ったり、見舞い品を買うのに、幾つも店を入ったりして、誰か見覚えある人がいないかチェックもしていた。本音を言えば、これってドラマみたいだなあ、などとほんの少しワクワクする気持ちもあったのだが、不真面目だと思われそうで内緒にしておいた。
だって、そう思わないとやってられないではないか。こっちは田舎から出て来て就職するはずの会社は倒産するわ、それでも悪の道に流されるでもなく、真面目にバイトをしながら定職を探そうとしている、自分で言うのもアレだが一応まっとうな人間である。何故こんなに背後にビクビクして生活しないといけないのだ。
真理子さんだって、男性に頼らずに結婚しても独身でも定年までしっかり働いて稼ぎ、老後コツコツ貯めたお金でエンジョイライフするぞー、という先のビジョンを持っているようなとても尊敬出来る女性である。こんな八つ当たり的に攻撃されるいわれもないのだ。
私はマスターに頼まれた豆腐と合いびき肉をスーパーで買って、帰り道を急ぎながらも前方、背後の確認は怠らなかった。
実は正直私も、葬儀場の女性をぼんやりとしか覚えてない。漠然と髪の長めな若い女性だった気がするが、年齢はもっと上だったかも知れない。しかし女性ばかりに気を配っていても、協力者の男性がいる可能性もある。どちらにも神経を使わねばならず、かなり神経を使う。
(霊だけの方がまだ気が楽だ……)
あー今日のご飯は麻婆豆腐かなー、楽しみだなー……と自分で気分を持ち上げながらも、疲労が徐々に蓄積するような思いだった。
そして、帰宅後マスターから、どうやら疑いのある葬儀場の女性が既に退職しており、自宅にも戻ってないらしいとの報告を受けて、思わず深いため息をついた。
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