同居というか介護

「洗う強さは大丈夫? どこかかゆいところある?」

「……いえ、大丈夫です」


 私は現在、初めて見るマスターの家のお風呂場の浴槽の中に入り、立膝状態で洗い場側に身を乗り出し、髪を洗って頂いている。当然ながら服は着たままなのだが、上だけは泡や水がかかる可能性が高いので、マスターが新品の白いTシャツを貸してくれた。

 お父様が「足を伸ばせない風呂など風呂じゃない」と家を建てる際にこだわったとのことで、洗い場も広いし、広々とした浴槽も私のアパートの二倍はありそうな大きさである。


「じゃあ流すわね」


 マスターが丁度いい温度のシャワーで私の髪を洗い流す。美容院でも思うが、髪の毛を人に洗って貰うというのは、何故自分で洗うより気持ちが良いのだろうか? 未だに理由は判明しないのだが、いつも思わずウトウトしそうになってしまうのだ。


「はい、オッケー、っと」


 きゅ、っとシャワーを止めると、バスタオルを持って来て丁寧に髪の水気を拭き取ってくれたマスターは、ドライヤーを用意して乾かし始める。


「あの、ドライヤーぐらいは自分で出来ます」

「包帯グルグル巻いてる手で何言ってんのよ。小春ちゃんは何でも自分でやろうとし過ぎるんだから、たまには頼りなさい」

「……ありがとうございます。それでは遠慮なく」


 至れり尽くせりでまるでお嬢様のような扱いなのである。

 食事もお箸を使うのは手のひらの傷が痛いだろうから、とフォークやスプーンで食べられる物を用意してくれる。スパダリという言葉を以前親友の桜から聞いたことがある。何でも出来るスーパーダーリンという意味らしいが、どうも彼の属性は「お母さん」であるような気がする。


 熱々のおしぼりで体も拭い、スッキリしたところで、マスターがアイスティーを出してくれ、今後の話になる。


「治るまでお店の接客は休んでていいわ。飲み物入れたトレイ持つのも痛いだろうし。ただ、ジバティーさん達の娯楽までお休みにするのは可哀想だから、小春ちゃんが閉店後にちょっとぱんどらに来て、聞き取ってくれたのを私に教えてくれればと思うんだけど、それでいいかしら?」

「それは勿論問題ないんですが、昼間いったい私は何をしていればいいのでしょうか?」

「何って、療養するんだからテレビでもネットでも何でもしてのんびりしてなさいよ。ああ、私の映画DVDコレクションもあるから適当に見ててもいいんじゃない?」


 そう言って、大きなテレビの横を指さす。

 以前訪問した際には気づかなかったが、壁に埋め込まれる形で同じ壁紙が貼られた扉付きの大きな収納棚が設置されており、開くとレンタルビデオ店かと思うほど大量のDVDがしまい込まれていた。


「何しろ引きこもりは家の中で過ごすのが基本だからねー。何でもあるわよ、アクションからコメディーにアニメ、SFにホラー。親も映画好きだから、休みの日とかずっと上映会やったりもしてたわよ」

「私も映画は大好きですが、何というか、働きもしないでダラダラするのは良心が痛むというか、居たたまれないというか」

「バカねえ、あなた死にかけたのよ? 死んだら映画だって見られないのよ? ここにいる間はまず安全だし、体を休めて大人しく回復に努めるのだって立派な仕事じゃないのよ。……それにねえ、体験談から言うけれど、明日になったら打ち身とかで青タン赤タンが出まくりで、体があちこち痛くて居たたまれないとか思ってられないわよ? 覚悟しときなさいよ」

「またまた。田舎者だと思って脅かさないで下さいよ」


 私はからかうようなマスターの口調に少々気分を害したのだが、マスターのお母さんの部屋(お父さんのいびきがすごくて部屋を別にしたのだそうだ)のベッドで眠った翌朝、身をもって実感した。タオルケット一枚めくるのも体がギシギシときしむような痛みで、擦り傷がないところにも青あざが出来ていたり赤くなったりしているところもある。

 朝食の時、ロボットのようなぎこちない動きで現れた私を見て、マスターは楽しそうな顔で笑った。


「ほらね、言った通りでしょう? 人って受け身を取ったりすると、あちこち知らないとこも当たって内出血してたりしてるのよ。擦り傷とか痛みが強いところに注意が行きがちだけどね」

「はい。あちこちが人がなっちゃいけない色合いになってました」

「ちょっと怖いからその表現止めて。まあ、分かったなら大人しくしてなさい。あ、ご飯は大丈夫? 雑炊にしたんだけど食べさせた方がいい?」

「いえ、食べるぐらいは平気です」


 その後、タオルで顔を拭き、歯磨きをしてぱんどらに仕事に向かうマスターを見送ってから早々にベッドにもぐり込み、いだだだ、と呻きながらまた眠った。二時ごろに目覚めてトイレに寄ってからリビングに向かうと、小さめのお握りが二つと厚焼き玉子が載ったお皿がラップした状態で置かれており、【起きたら食べてね】とマスターのメモがあった。中身は焼鮭にオカカである。大変美味しく頂くと、少しは気力が湧いて来たので、DVDコレクションを眺めることにした。

 それにしても、部屋も綺麗な状態だし、お借りしているお母さんの部屋も定期的に掃除をしているらしく埃っぽさもなく、かゆいところも手が届く気配り。惚れた弱みでも何でもなく、ぶっちゃけ私なんかよりよほど女子力も高く、人間が出来ているお方だ。

 メンヘラ女子にまとわりつかれるような不幸がなければ、いくらでも幸せになれるだろう人なのに、魔性の美貌を持ったせいで、周囲の女性の闇も深くしてしまっている。

 ただ、それはマスターのせいではないし、彼は被害者だ。

 それを考えると、私を突き飛ばし、彼に不要な贖罪の念を抱かせた人には怒りを覚えるし、真理子さんの事件が同一人物なのかどうか分からないことにも不安を覚える。


(真理子さん、また何か起きないといいけど……)


 そう思い気分が沈むが、私が落ち込んでたって何にもならない、と気分を上げるために有名なコメディー作品を棚から取り出してセットする。

 しかし、以前大笑いしていた映画は、メンタルに左右されてしまうのか、最後まで全く笑えなかった。




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