厄介事の予感
私がうっかりこのぱんどらでバイトを始めてから早二週間。
職探しのため一日は平日休みが欲しいと訴えて、水、日曜日が休みであとは十一時から十九時までが勤務時間。休憩時間は三十分ほどだが、さほど忙しくないのと休憩中も時給を出すということで、個人的にはかなりの好待遇だと思っている。
父親がルーマニアに発つ前からバイトとして働いていたマスターは、コーヒーを淹れるのも簡単なランチを作るのも手際が良く、趣味で作っているケーキは仕事終わってから自宅(裏手に隣接した一軒家)で焼いたりしているようである。
私は、マスター目当ての若い病み系女子が沢山来るのでは……と仕事初日には内心ひやひやしていたのだが、近所のサラリーマン、おば様や年配の夫婦連れなど常連客、若い女性は殆ど見当たらない。
「マスターの学生時代の話を彼らに聞いてましたので、これはてっきり霊よりたちの悪い方々が、と思いましたけど、来ないものなんですねえ」
お客さんが引いて二人きりになった際にマスターに聞いてみたら、予想外の答えが返ってきた。
「馬鹿ね小春ちゃん、私がオネエキャラを演じてるからに決まってるでしょ」
「……え? すると、オネエというのは偽装なのですか?」
「決まってるじゃないの。女ってのはね、異性が好きな男には食いつくけど、男にしか興味のないオネエは基本、恋愛対象外なのよ。父さんの仕事の手伝いをする時に、前みたいな危険はなるべく減らそうってことで両親と相談して決めたの。最初の頃はそりゃ来てたわよお、一発レッドカードみたいな子たちが。でも、いくら好みの顔だと思っても、自分の性別は変えられないじゃない? それで少し経つとすーっと冷めた感じになって、一人減り二人減り、って感じよ。お陰で普段でもこの口調が直らなくなっちゃったけど、メリットの方が大きいもの。今は昔からの常連さんがメインよ。……どうせこんなんじゃもう結婚も出来るとも思えないし、まあいいかしらってね」
「なるほど。……でも物腰柔らかく聞こえるでしょうし、客商売としてはその話し方は悪くないですよね」
「私もそう思ってるのよ。まあ会社員としてはダメかも知れないけど」
こんな綺麗を擬人化したようなマスターだが、本名は坂東虎雄(ばんどうとらお)という見た目とのギャップが激しい名前である。暇な時間にはお喋りで時間が流れるので、私とマスターは雑談の間に色んな話をした。
ぱんどらの名前の由来は、父親の坂東虎治の名前から取ったらしいが、息子の名前からでもぱんどらだなあ、などと当たり前のことを思ったり。家族の写真を見せてもらったが、アゴヒゲも渋い苦み走った彫りの深いイケオジだった。
「……あの、お父様が日本人ということは、お母様がハーフなんですよね?」
胸の辺りまでのストレートの黒髪にこじんまりした目鼻立ち、どうみても日本人にしか見えない母親の写真を眺めながら尋ねる。父親の方がハーフと言われた方が納得できる。
「そうよ。大抵クオーターって分かると父さんの方がそう思われることが多かったわね。母さんもアンジェラなんて名前付けないでくれれば良かったのに、ってお祖母ちゃんに文句言ってたけど、当時ルーマニア暮らしだったし、日本の名前より覚えやすいだろうから、ってお爺ちゃんが決めたみたい」
お爺さんが日本人で、仕事でルーマニアに行って彼のお祖母さんに一目惚れして、猛烈なアタックの末にゴールインしたらしい。
そして、大学の交換留学で父の祖国である日本にやって来たアンジェラさんに、今度は虎治さんが好意を寄せ付き合うことになり結婚、という流れだったとか。
「そう考えてみると、マスターの魔性の美貌が生まれるのに、国を越える大恋愛が二つもあったんですねえ。なかなか感慨深いですよね」
「魔性の美貌ねえ。被害を受けた記憶しかないから、呪いの美貌にして欲しいもんだわ」
「ホープダイヤみたいなものですね。あれも確かあちこち国を渡り歩きましたよね」
「本物の呪い系持ってきた。そこは否定しなさいよ小春ちゃん。仮にも雇用主なのよ私?」
「いえ、私、マスターのお陰でほどほどであることの幸せを噛みしめましたので、心から感謝しています」
「酷いディスりだわ。まあでも小春ちゃんが私に歪んだ感情を持つタイプじゃないから本当に気が楽なんだけど。……頼むから惚れないでね?」
「ああ、私は建物の事故物件は見慣れてるんで平気ですけど、人間の事故物件は遠慮願いたいタイプの人間ですのでご安心下さい。ちゃんと寿命を全うしたいですし」
「ひど、それはちょっと言い過ぎじゃないの? お菓子も作れるし、コーヒーだって淹れるの上手いし、料理だって得意よ?」
「惚れて欲しいのか惚れないで欲しいのかどっちなんですか」
「いや、惚れないでいいんだけど、でもね……」
実際のところ、マスターの人間性については嫌いではない。気遣いも出来るし優しいところもある。年齢も二十七歳で、二十二歳の私と年が離れすぎということもない。背も百八十センチは越えているだろう。親から運転資金も定期的に過剰に送って来ると聞いた(どうやらルーマニアの祖母が資産家らしい)ので金銭的にも困りそうもない。大学は諸事情で行ってないものの、三高だか四高だか女性の求める理想を軽々と越えてくる条件を兼ね備えている。
ただいかんせん本人の常識を超えるレベルの美貌と、それに伴う被害状況を聞くと、地雷案件以外の何物でもない。一緒に街を歩いているだけで刺されたり硫酸かけられる危険がある恋人など誰が欲しいものか。
『あーあ、虎雄ちゃん振られてやんの。きゃはは』
『誰でも命は惜しいデスね』
奥のテーブルから笑い声がした。地縛霊の集まりだからジバティーと呼んでくれとのたまう能天気な地縛霊さんたちである。彼らも一応除霊されたら困ると思っているのか、お客さんが店にいる際は全く話しかけては来ない。
この店で働き始めてから、三人のジバティーさんたちの情報はそれぞれ収集・メモしておいた。この先何が役立つか分からないからだ。
●泉谷公雄(いずたにきみお)(五十五)。
関西出身の元大工。スポーツ刈りのガタイのいい人。足場からの転落死。泣き上戸で世話好き。ビールとたこ焼きが好き。当時、中学生と高校生の娘2人と妻がいた。
●李さん(李 浩宇 リー ハオユー)(四十一)
元中華料理店のコック。店に強盗が入り襲われて死亡。妻と息子(十八)がいた。ダイジョブダイジョブ、が口癖。肥満気味の人のいいハゲたおじさん。
●森尾杏(もりおあんず)(十六)
ひき逃げに遭い死亡。茶髪ストレートの長髪。少々口調は蓮っ葉だが、母子家庭で三人の弟の面倒はよく見ていたらしい。根は真面目な子。
元々気が付いたら泉谷さんが十七、八年位前からぱんどらにいて、李さんを十五年ほど前に、杏さんを十一年位前に、周囲をうろついていた時に泉谷さんが偶然見つけてこの店に連れて来たらしい。マスターから見たらはた迷惑な人だが、生前からさぞ面倒見のいい人であったのだろう。
三人とも、特に誰かに恨みがあるとかいうこともなく、殺された側である李さんや杏さんも「もう過ぎたことだし、生き返る訳でもないし」と飄々としている。泉谷さんに至っては、そもそも自分が勝手に足滑らせただけやしなあ、と笑っている。ただ皆、心残りがあるとすれば家族の様子ぐらいだと言うが、住んでいた住所も全員が記憶がぼんやりしていてはっきりとは覚えていないようだ。
まあ恨みを晴らしてくれと言われても、就活中の私や引きこもりのマスターが何か出来る訳でもするつもりもないのだが、ただ話し相手になってくれるだけでいいというのも、何とはなしに肩透かしを食らったような気分である。
そんな予想外に波風が立たない平穏な日々だったのだが、ある日のこと、また性懲りもなく泉谷さんがほっとかれへんしなぁ、と近所にいたというジバティーを連れ込んで来たのである。
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