カフェぱんどらの逝けない面々

来栖もよもよ

出会い

「……ふう」


 私はそっとため息をついた。今回もダメそうだわ。交通費もタダじゃないのになあ。少し落ち込みつつ電車に乗り、自宅のある駅へ着く。

 春から社会人として東京での都会生活が始まる。そう思って卒業式も待たずに2月早々に奄美から東京・武蔵野市に引っ越して、念願の一人暮らしを始めたのだが、引っ越し早々に思い描いていた生活が暗礁に乗り上げた。なんとこの昨今の不況で、私が4月から勤める予定だった会社はあっさり潰れてしまったのである。


 大学生活にせっせと勤しんだバイトの貯金で半年ほどは何とかなるものの、祖母からは遠く離れた東京に出ることを反対され、自分の稼ぎで何とかするから問題ない、と見栄を切った立場上、家を頼ることも出来ない。早急に新しい勤め先を探さねばならない訳である。

 だが、就職情報誌やサイトから面接まではたどり着くものの、同じように就職を求めてさまよう同胞が多いのか、このお洒落とは程遠いメガネとボブヘアのド平凡な顔が問題なのか中々決まらない。まだ新卒だし何とかなるだろうと甘く見ていた。


(いかん、夏までに何とかせねば詰んでしまう……)


 スーパーでお得商品を買い、アパートまでの道をトボトボと歩きつつも、楽天的な自分でも若干の焦りを感じていた。


「……ん?」


 鼻腔をくすぐるコーヒーのいい香り。周りを見回すと考え事をしながら歩いていたせいか、自分のアパートをかなり通り過ぎていたらしい。こんな古い洋館風のカフェが近くにあったとは。とりたてて贅沢にもブランド品にも興味がない私だが、コーヒーとスイーツだけは大好きである。

 気分を上げるためにも美味しいコーヒーが飲みたい。いや飲むべきである。そう考えると私はその【ぱんどら】という名のカフェに足を踏み入れたのであった。


「あらいらっしゃーい。お一人? どうぞお好きな席へ」


 入って早々に物腰の柔らかい低音ボイスに出迎えられる。栗色の長い髪を後ろで結んでいるが、どう見ても若い男性、それも未だかつて見たことがないほどの超絶美形だったが、口調はオネエのそれである。なるほど、都会というのは色んな属性の方がいるものだ、とカウンターの端の席に座る。午後の2時過ぎ、という中途半端な時間帯のためか、さほど大きくない店内は私しかいない。メニューを開き、デイリーブレンドというのとラズベリータルトのセットを頼む。


「かしこまりました。ちょっと待っててね」


 カウンター内で作業を始めたマスター、いやママと呼んだ方がいいのか、にはい、と頷きながらも、後ろの奥まったところにある4人掛けのテーブル席の方からの気配がどうにも気になり、振り向いた。


(……ありゃ。参ったなあ)


 慌てて視線をカウンターに戻す。どうみても地縛霊が数人いる。それもテーブルに座って笑いながら話をしている様子だった。


 私は奄美のユタという、いわゆる霊媒師と呼ばれる家系の人間である。母方の祖母がとても力のある人で、周囲からは大変尊敬されている。我が家では女性にしか能力が現れないそうだ。

 霊媒師というと胡散臭い商売と思われる人も多いが、家族の病気の平癒祈願や吉凶判断、厄払い、会社を興す日の運勢など、基本はお寺とか神社でやっているような普通のことが生業である。……まあ、中には霊が見えたり話せたりする人間も一部存在する、というだけのことで。

 きっと、私も外部から聞いたらそら胡散臭いよなあ、と思うのだが、現に小さな頃から私には人が見えない人が見え、その人たちの一部とは話が出来た。ただ悔しい悔しいとしか言わない人や、無言でただ存在するだけの人などもいるのだが、何かを訴えたがっている人も多い。私はそれを祖母に伝え、祖母から依頼者に伝える、というのを小学生2、3年ぐらいまでは行っていて、これは普通のことだと思っていた。

 だが小学生になり友達も出来、その過程で「霊が見える、話せるというのは普通ではないのだ」と幼いながらも理解した時に、私は祖母に「もう見えなくなった」と嘘をついた。周囲と違うというのは、理解されにくいことでもある。子供だからこそ、仲良くしている友達、周囲から阻害されるかも知れないと考えることはたまらない恐怖でもあった。


 祖母は薄々分かっていたのかも知れないが、もう見えないという私に無理やり霊と交流させようとはせず、それからは祖母だけで対処することになった。母は逆に全く力のない人で、浮遊霊が周囲をうろうろしていても全く分からない。

 高校一年の頃、父が病気で亡くなった。そのタイミングで私は母には打ち明けた。「実はまだ見えたり話せたりするのだが、私はユタではなく普通に社会人として働いて生きて行きたいのだ」と告げると、母は、「今はそんな時代じゃないものねえ」と私の生き方を応援してくれた。


 成長すればこんな能力は無くなるだろうと思っていたのだが、大学を卒業する年になっても街中やこんな店の中にいる霊が察知出来てしまう。そして、それは別に就職には何の役にも立たないのである。


 ただ、この店にたむろしている地縛霊は、負の感情というのが殆どなく、何やら能天気に最近駅前に〇〇って店が開いたんだってさ、とか、この頃公園で若い女性の胸を触る痴漢被害が何件も出てるんだってよ、物騒だねえ、などと気が抜けるような会話をしている。


「お待たせしましたー。これ、私のお手製なのよ。良かったら感想聞かせてね」


 背後の話を聞いていると、オネエなマスターが小ぶりなタルトとコーヒーをカウンターに置き、タルトを指さした。


「綺麗ですねえ。美味しそう」


 さて早速、とフォークでタルトを切り、一口頬張る。甘酸っぱさとタルトの固さ、控えた甘さも自分好みで嬉しくなった。コーヒーは普段はミルクだけ入れるのだが、このいい香りが消えそうでそのまま飲む。コクがあるのに苦みが全くなくて、これも私の好みである。


「……タルトもコーヒーもとっても美味しいです! 家の近くにこんなカフェがあるの初めて知りました」

「そお? 良かったらまた来てね。──入ってきた時元気なかったけど、これで元気になってくれれば何よりだわ」


 マスターが微笑むと、きらびやかなオーラが溢れ出すようで、自分にこの十分の一でも華やかさがあれば仕事が決まるのかなあ、などと羨ましく思った。お客さんが他にいないのをいいことに、雑談に付き合ってくれるマスターに簡単に事情を打ち明けて、仕事が見つからないのは何が足りないんでしょうかねえ、と聞いてみた。


「面接とかで緊張して話せないとか?」

「いえ、ごく普通。緊張も特にしません」

「PCが全然使えない、とか……」

「現代を生きる若者でPC使えない方が少ないかと。入力もそれなりに早く打てますし、オフィスソフトもまあ標準的なものは使えます」

「……うーん、だとすると、愛想がないとか生意気そうに見える、とかかしらねえ。ほら、なまじ仕事出来そうなタイプだと、指導担当に反抗したりトラブルメーカーになる人とかいるじゃない。ネットとかでよく見るけど」

「……なるほど」


 愛想がない、というのは確かにあったかも知れない。しかし先日の面接者の場合は、背後に明らかに彼に恨みを抱えている女性の生霊がいたので、笑顔も作りにくかったのは許して欲しいところではある。

 普段から霊が見える人間あるあるとして、愛想を振りまいていると構って貰えると喜んで近寄って来る霊が多いので、無表情になりがちという背景はあるのだが、社会に出てはそうも行かないだろう。今日から家に戻ったら鏡を見ながら笑顔の練習をしよう。

 おっと、居心地がいいので思ったより長居をしてしまった。


「ご馳走様です。また来ますね」


 お金を払い、帰ろうとしたが、せっかく話を聞いてくれたんだし、とお礼も兼ねて小声で囁いた。


「信じて貰えなくてもいいんですが、あの奥のテーブルの辺り、お祓いした方がいいかも知れないです。えっと……害はなさそうなんですが、そのー、地縛霊が何人かいるので」


 言った途端、目を丸くしたマスターに、あ、やっぱり言わなきゃ良かった、ヤバい電波系女子だと思われたかも知れない、もうここ来れないかも……と後悔した。


「あ、あはは、すみません、今の忘れて下さい。それじゃ──」

「ちょっと待って!」


 退散しようとした私を制止して、カウンターから早足で出て来たマスターが私の肩を掴んだ。


「あなた、……もしかして見える人なの?」


 私を見るマスターの目は、これ以上ないだろうと思うほど真剣そのものであった。




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