第15話 浄めの儀式

 玄武山に向かう前に、海神の社に赴いた。希咲もさすがに気力と根性だけで押し通すつもりはない。『癒やしの森』で気を充填してから浄めの儀式を行うつもりだった。


 鷹見は、夜遅くにこの社に来たのは初めてだった。


 夜陰の中、星の光と月影の下、濤声とうせいが轟くのが聞こえる。社は海の崖の際に建つ。崖に打ち寄せる波の音だ。鳥居をくぐった先の社の中では得も言われぬ静けさを感じた。海の波が、より静かさを引き立てるように。


 この静けさはこの海神の社に特有のもので、昼間でも朝でも感じるのだが、夜の暗い中での厳かな雰囲気はまた別格だと思えた。


 二人は手水ちょうずで手を清めてから奥へと進んでいった。社殿を通り過ぎて鎮守の森へ。そこには巨木の御神木がある。気を充填するには、大きな木からでなくてはならない。細い木では充分な気が吸収出来ないのだ。


 しめ縄を締められた御神木の前に立つと、希咲は


「御神木、気をいただきます」


と、言ってから両手のひらを当てた。


 目を閉じて、もたれかかり、しばし時が流れた。


 鷹見の目から見ても、はっきり分かるほど回復してゆく。


「もう少し待ってくれ。これで二晩くらいは眠らなくても大丈夫なはずだ」


「いいえ、浄めの儀式が済んだらお休みください」


 希咲は首を横に振った。


「実咲を探さなくては。弟は華族令に従って、裁きの座に着いてもらう」


「実咲様は、素直に従われますでしょうか」


「従わせる」


 珍しくも有無を言わせぬ口ぶりだ。静かな怒りがそこには感じられた。


「生まれつきの才の不足は確かにある。それでも、危険を知りながら修練を怠り、力に振り回されてうかつにも人を殺めたのはあいつの責任だ。その責任は取らせる」


 鷹見は黙ってうなずいた。内心では実咲に対する同情の念もなくはない。今となってはかばい立ても出来ない。華族令による裁きに立ち会うのは宮部であろうが、彼もかばいはしないだろう。


「あの時には、ここへ退却して気を充填出来なかった」


 希咲の言う『あの時』がいつなのか、鷹見には分かった。海の魔神が現れ、希咲が退治せねばならなかったあの時、なのだろう。


「この海神の社に祀られている神も、あの恐ろしい魔神も、同じ一柱の神なのですね。信じられない想いです」


「そう、同じ一柱の神にも様々な面がある。大きく分けて、和御魂と荒御魂と我々は呼んでいる。人間の中にも、大いなる力がある。それにも、和御魂と荒御魂がある。私の中にも、お前の中にもだ」


「はい、あのう、実咲様が和御魂だけの世になさりたいと望まれたのは」


「はっきりと言ってしまえば、私に優しいだけの兄でいて欲しかった。それが理由だ。それ以上の意味はないのだ。対象は、私だけでなく世の中の全体に及ぶが」


「私は……私も、世の中が人々が皆優しく、荒御魂の荒れ狂う災いもなければどんなにか素晴らしいかと、そう思ってしまいます。希咲様も、いつも心穏やかでいられましょう」


「ああ、分かるよ。その気持ちはとてもよく分かる」


 希咲は御神木から手を離して、鷹見に向き直った。


「でもお前は、私や世の中を自分の都合の良いようにしたいわけではない。そこが大きな違いだ」






 この晩のうちに、今度は希咲と共に玄武山へ来た。三日月と星の光が降る。木々のざわめきは、海神の社の『癒やしの森』の木々の葉ずれとは違う音色に聞こえた。


 秋の落ち葉を踏みしめる音が、木々のざわめきに混じって静かさの中に広がる。


「ここのは、もっと密やかで、木々がお互いにささやきあっているようです」


 希咲はそっと笑ってみせた。


「本当にそうなのかも知れないな」


「木々の声が聞こえると言う者と会ったことがあります。いかが思われますか?」


「私には聞こえない。おそらくは和御魂の声なのだろう。私の心がけがれているからかな」


 希咲はさらに笑う。


「希咲様! 何ということを」


「いや、戦いに慣れてしまった者には、繊細な和御魂の声は聴こえにくくなるのだ。例え依り代の力が強くとも。心汚れているわけではないが、実咲はそんな私を元のようにしたかったのだ」


「元のように? 和御魂の声が聞こえておられたのですか?」


「ああ、幼い頃は聴こえていた」


 それきり希咲は黙ってしまい、それ以上を語らなかった。


 山の頂上に着くと希咲は、海神の社の社殿から持ち出した御神酒と海塩を、肩に斜め掛けにした袋から取り出した。御神酒は陶器の瓶に入っている。同じく陶器で作られた蓋を外して、鵺の死骸の山に振り掛ける。


「払い給え、清め給え、随神かんながら


 希咲の祝詞のりとが、いつになく朗々として響く。唱えながら、懐紙に包まれていた海塩がかれる。


 鵺の死骸は、見る間に煙のように薄れ、大気に流れてゆく。


 不気味な死骸の山が浄められてゆくのを見て、鷹見はほっとした。


 鵺。これもまた、自然界の一部。美しく恵みをもたらすばかりが自然界ではないのだ。


「次には実咲を探そう」


 希咲は言った。その面には沈鬱な色があった。

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