海神の社

片桐秋

第1話 操りの華族

 あの方は気高く美しく、誰よりも輝いて見えた。


「雷鳴よ、ここにいででよ」


 その人が呼ぶと自然界の力が味方をした。当時はまだ少年であった鷹見たかみがたどり着いた時には、雲一つない空であったのに、にわかに見渡す限りの全天がかき曇り、天から雷光が落ちてきたのであった。


 それは荒御魂あらみたま。自然界の荒ぶる半面、荒ぶる力である。

 自然界には荒御魂あらみたま和御魂にぎみたまがある。和御魂は癒やしや恵みをもたらすが、人に災いや祟りをなす荒御魂を使いこなせる者には、破壊と護りの力が共に与えられるのだ。


 稲妻が光り、雷の音が轟く。雨は降らないが、空気が重く感じられる。


希咲きさき様、待ってください!」


 鷹見は雷を恐れず、この天候を呼んだ青年に駆け寄った。


 希咲と呼ばれた青年はゆっくりと少年の方を振り返る。


 神田山かんだやま鷹見たかみは、南城みなしろ希咲きさきより七歳も年下であった。


 海が近い。風が轟々とうなる。崖の下に荒波が砕け、その崖の近くに希咲はいた。


 荒御魂を用いるは力の反転だ。災いをもたらすものを、自らの心身の内に宿し、身体内で『気』を使って制御し、外側に放つ。それが希咲が用いている技なのだった。


 荒波の下には怪物がいる。海の魔神が。海の魔神は海と同じ色。透明な青で人型を形作る。海の魔神は腰から上を波間の上にさらけ出していた。


 その周りに、全部で十体の子供の頭部が波の間に間に浮かんでいた。どれも恐怖に歪んだ顔をしていて、その姿でまだ生きていた。


 呼び出された雷光は、海の魔神だけを撃った。


 希咲は少年に言った。


「何故来た? 来るなと行ったはずだ」


 しっかりとした端整な声が示すものは疑問ではない。少年をとがめる言葉だ。それにしても、と鷹見は思う。この方は、姿だけでなく声や語り方までもが整っている。こんな時に感心している場合ではないが、そう思わずにはいられなかった。


 希咲は黒髪と藍色の瞳で、いかにも常人とは異なる高貴さを漂わせていた。陳腐な表現だが、白皙の美貌だとよく言われていたのを鷹見は知っている。鷹見はもっと良い表現を知っている。鷹見自身が考えたのではないが、『操りの華族』と。


 ここは、東方世界の東の果てにある多島海、そこに浮かぶ大八島おおやしまの一つ。


 鷹見も希咲も作務衣さむえを身に着けていた。

 この地では庶民から貴人とされる人々まで、多くの人が用いる衣服だ。鷹見のは地味な紺色一色、希咲のは品のあるえんじ色。その白く端麗な面差しを引き立てていた。

 

「俺の『気』をお使いください」


 それが。希咲を奈落へ突き落とすとは夢にも思わずに。

 希咲は鷹見を軽んじてはいなかった。重くその思いを受け止めてくれたはずである。だからこそ鷹見の申し出を受け入れた。受け入れて、『気』を使ってくれた。


 鷹見はその時の自分が、いかに浅はかで物知らずだったか後で思い知るのだ。この時には、故郷の村を出て仕えてきた主の希咲に、認められることしか頭にはなかった。この時には、そんな自分の愚かさに気が付いていなかった。


 人や生き物から『気』を吸収すれば罪穢ツミケガレが生じる。『気』を補給するのは大木か、土があらわになった大地からでなくてはならない。希咲は知っていたが、鷹見は知らなかった。希咲の方は、まだ少年の部下が、知らないのを知っていた。知っていてなお、鷹見から受け取った。


「ありがとう、鷹見」


 言葉の重さを、鷹見は知らないままで希咲を見送る羽目になった。ここに来るなと言ったはずの希咲も、何も言ってはくれなかったからだった。


 


 それから七年が経った。鷹見は南城希咲とは別の華族に仕えていた。希咲を忘れてはいない。この七年は比較的に平穏な日々であった。喜ぶべきことなのだろうが、自分の為すべき事を見失っている気がしてならなかった。


 海の荒御魂の化身である魔神を倒した後、希咲は倒れて海神わだつみやしろにある施療院に運ばれた。


 ずっと深い眠りに就き、一向に目覚める気配はないと聞いていた。会わせてはもらえなかった。会っても眠っている希咲には、鷹見が来ているのが分からないだろう。


 今は鷹見も少年から凛々しい若者に成長した。お仕えする荘園領主の下には宮仕えの宮女たちもいるが、彼女たちの複数から想いを寄せられている。


 しかし、その気にはなれない。英雄を、希咲を、破滅に追いやった自分には分不相応なのだと。


 今、鷹見は稲神いねがみやしろの前にいる。境内の外で待つようにと言われたからだ。目にも鮮やかな朱色の社殿と鳥居を見ながら、二刻ばかりを待った。一刻は、一日を二十四等分した一つ分の長さだ。


「鷹見さま、そこにおいででしたか」


 月光の化身のごとく美しい少女が鷹見の前にこつ然と現れた。

 鷹見は知っている。この少女が稲神の使いであると。

 白銀の髪と瞳、肌色も真珠の白のつやきらめき。


真鶴まつる、いたのか」


「鷹見さま、お気づきでなかったの」


 真珠で出来たかのような少女は笑った。えんじ色の丈の短い着物を着ていて、すんなりとした足はふくらはぎから下はむき出しのままだ。塗り下駄を履いていても、足音を立てない。


 えんじ色を見ると、あの時の希咲を思い出す。


「俺はただの人間だからな」


「希咲さまをお忘れ?」


「あの方は普通の人ではない」


「アナタは? 普通の人なの?」


「さあ? 希咲様や宮部様に比べたらただの人だよ」


「待たせたな。おや、真鶴もいたのか」


 いつの間にか、鷹見の主がそこに立っていた。軽やかであか抜けた立ち姿。作務衣ではなく、たっぷりと布を使った、青地に赤の着物を着ている。裾は自然と地面からわずかに浮いて、土に汚れはしない。金色の大きな扇で顔の下半分を隠していた。


「こんにちは、宮部さま。宮部尚紀みやべ なおきさま」


 真鶴はにっこりした。


 神の使いでもない鷹見には、それほど気軽な態度は出来ない。尚記にきちんとしたお辞儀をする。


「今年の豊作を願ってきたよ。まあ大丈夫だろうな。宮部家は今年もまたこの荘園に豊作をもたらす。荘園の民も逃げ出して他で暮らそうとは思わないだろうね」


 過酷な扱いをする荘園領主からは、民が逃げ出して別の荘園に移るか、山野で野盗と化す。幸い、宮部家の荘園でそのような話は聞かない。


「宮部様のお力ですね」


 鷹見は素直に言った。世辞ではない。事実である。


「わたしだけの力ではないさ。分かっているはずだ。あの希咲だって、自然界の力を借りていたしろに過ぎないのだからね」


 過ぎない、という言い方には引っ掛かりを覚えたが、依り代であるのはそれもまた事実だった。自然界の力をその身に宿らせて操る。それが希咲の技だった。


 荘園領主たる華族の一員、宮部は続けて言った。

 

「我々は西方世界の魔術師とは違う。我々は自然界を征服し従えようとはしない。自然界を愛し、調和して生きているのだ」


「はい」


 鷹見は逆らわない。聞くところによれば、征服を考えずにはいられないほど西方世界の自然は厳しいらしいが、あえて口には出さない。希咲が相手なら言っただろう。希咲なら聞いてくれた。つまらない話だと思わずに。


 宮部様は悪い方ではない。


 鷹見は自分に言い聞かせる。それもまた事実だと。


「希咲に会ったよ。お前も会いたいのではないかと思ってね」


「希咲様が? 目を覚まされたのですか?」


「ああ、彼も君に会いたがっていた。もし、もしもだ、君が今の彼に会っても大丈夫ならば」


 宮部の物言いは不吉なモノを感じさせた。


「会いに行きますよ」


 鷹見はきっぱりと言う。そこに迷いはなかった。

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