第三章~聖~

第三章【1】



 歴史の資料というものにも、信頼が置けるものと置けないものとがある。当然だが、信頼がおければ、資料としての価値が高い。


 なにが基準になってそれが決まるのかというと、その資料がどれだけ事実に基づいてしるされたものであるかということだ。


 主観を極力入れず、客観的事実を中心に内容が記されていれば、歴史資料としての価値はグンと上がる。オグト=レアクトゥス世界には無数の歴史資料が存在しているが、大体はその基準により資料としての価値が決められている。


 《ベネディクトゥス手記しゅき》。


 オグト=レアクトゥスの歴史資料の中でも、かなり重要な位置づけがされているものだ。著者が神聖十字教会しんせいじゅうじきょうかいにおける高位の神官だったこともあり、神聖十字教関連の内情を知るにあたって特に重要視されている。内容も非常に洗練されていて、後の時代の歴史学者たちがこぞって賞賛を与えるほどだ。相当に価値の高い歴史資料と評価されている。


 さて、そんなベネディクトゥス手記であるが……実は、オグト=レアクトゥスにおける異端の聖人、黒染めの聖者についても言及がある。これにより、黒染めの聖者は神聖十字教会とも関りがあったことが後世に示唆されることになった。


 だが、そのベネディクトゥス手記をして黒染めの聖者に関する記述はあまりにも簡素であいまいだ。著者が意図的にぼかしているのではないか。後世の人々はまことしやかにそう言っているほどである。


 なぜそのようなことをしたのか。どうしてそんなことをする必要があったのか。


 それを、今から見ていこうと思う。


 鍵を握るのは、1人の少女。


 その少女の名は、ホーリィ=イリノケンチウス。


 神聖十字教会の神官にして、教会を束ねる指導者、教皇きょうこう・アレクス=イリノケンチウス。彼の、血の繋がらない娘だ。



△△△




 《アマロ大聖堂だいせいどう》。


 神聖十字教会における総本山そうほんざんだ。場所はイドナティーユ帝国が帝都・イドナスにある。


 その景観は、見る者全てに荘厳な感動を与えるだろう美しさだ。神聖な空気をにじませる白を基調にした色合いの外観。2階構造になったファサード(前面)は寸分のズレもなく均等に、尖塔せんとうアーチで柱が並んでいる。その柱は1つ1つに彫刻がほどこされており、精緻な豪華さを彩っていた。中央の一番高いところに鎮座する半円のドーム。きらびやかな輝きを放つステンドグラスの窓。幽玄ゆうげんながら華美な壁画。豪奢ごうしゃの中に静謐せいひつさを併せ持つ内装。どこを行っても、どこを見渡しても、誰しもの心を奪う素晴らしい建築物だ。


 オグト=レアクトゥスにおける最強の宗教である神聖十字教。その総本山にふさわしい大聖堂と言って間違いない。それがアマロ大聖堂だ。


 さて、そんなアマロ大聖堂にある部屋の一室に、2人の人物がいた。


 1人は少女。


 見た目はとても可愛らしい少女である。淡く光る翠色の髪をマッシュショートに切りそろえている。どことなくころっとした丸顔からか見た目の印象がかなり幼い。童顔と言い換えて良い。体つきを見ても肉付きは少なく、身長は小さい。守ってあげたくなるような女性だ。だが、翡翠のように光輝く奇麗な瞳の奥には、確かな芯の強さを感じさせた。まとっている金のラインが入った白いローブもあわさって、どこか清らかな空気を漂わせている。


 また、その美しい瞳だが、形に特徴がある。瞳孔が縦長なのだ、まるで爬虫類のように。これは、オグト=レアクトゥスに生きる亜人の一種、ドラゴニュートに見られる特徴であった。彼女はドラゴニュートだ。


 もう1人は壮年の男。


 他とは一線を画すほどに壮麗な法服ほうふくをまとった男性だ。少女のものとは比べ物にならない。金の装飾が施されたミトラ(神官用の帽子)も相まって、男の全身から厳粛げんしゅくな雰囲気がこれでもかとただよっていた。


 しかしながら、男から感じさせるものは厳しさだけでない。彫りの深いその顔は、じんわりとした親しみやすさと若々しさを感じさせる。ぱっと見の年齢は30後半といったところだが、見ようによっては20代前後にも見える。それでいて、深い人生経験を彷彿ほうふつとさせるような老練さもそこに隠れていた。


 若さと老い、なんとも矛盾した要素を内在ないざいさせる男だが、それに理由はある。なにせ、男の年齢はゆうに300歳を超えているからだ。というのも、彼は、長い時を生きることを許された者のみに与えられる加護スキル《定命破り》を男は所持しているのだ。スキルの影響によって、身体の老化も止まっているので外見も若いのである。


 少女の名前は、ホーリィ=イリノケンチウス。


 男の名前は、アレクス=イリノケンチウス。


 2人とも、オグト=レアクトゥスにおける最大の宗教・神聖十字教の神官であった。


 いや、アレクスに関して言えばそれも正確でない。なぜなら、彼の地位は、普通の神官と言ってしまうには大変におおそれたものだからだ。


 なにせ、アレクスは神聖十字教会の指導者――人呼んで、教皇と呼ばれている人間なのだから。


「で、この父にわざわざ話があるとのことだが?」


 アレクスがゆっくりと口を開ける。ちなみにこの部屋は聖堂内の執務室。教皇の他は限られた人物しか入ることが許されない部屋だ。ホーリィはアレクスの娘であるがゆえ、今回特別に入ることを許されていた。もっとも、ホーリィとアレクスは血の繋がった親子ではない。いわゆる、養父と養子の関係なのだが。


「はい、教皇猊下げいかにおかれましては貴重なお時間をたまわ……」


「ああ、だめだ、だめだ。堅苦しくするな。ここにいるのは俺とお前の2人だけ。親子だぞ? もっと気軽に接してほしい」


「え、ですが……」


「お前が真面目なのは良く知っているよ。だからこそ、公私混同はしない者だという確信がある。遠慮はするな。遠慮すると……泣いてしまうぞ」


 わざとらしくおおげさに泣き顔を作って、アレクスがおどけてみせた。養父のそんなひょうきんな行動に、ホーリィはくすりと笑って見せる。


「……迷いがあるんです」


 しかしながら、笑顔を作ってみせたのもつかぬ間、ホーリィはその表情に暗いものを落としてしまった。


「私は……神聖十字教の教えは尊いものだと、誰よりも信じています」


「しかし、迷いがあると」


 ホーリィに寄り添うように、アレクスが優しい声音で言った。


「……私は教えを信じ、少しでも多くの人々を救おうと努力してきました」


「知っておるよ、良くな」


「ありがとうございます、お父様。ですが、私は迷っているんです……救いの手を伸ばせば伸ばすほど、人々がいるという、この現実に」


 ホーリィの瞳が、深い悲しみをたずさえている。その翠の瞳は、不条理な現実を映しているように見えた。


「お父様……全ての人に救いの手を差し伸べることは不可能なのでしょうか?」


「不可能、と言ったらあきらめるのか?」


「分かりません……だからこそ、迷っているのです。どうすれば救えるのか、誰を救えるのか、もしくは、誰も救えないのか。神聖十字教の教えの中にあって、なにも見えなくなっているのです。私は、今、どのようにして生きればよいか分からないのです」


 悩みと苦しみを交えながら吐露したホーリィの想い。アレクスはそれを受け取ると、目を閉じあごをさすって思案にふけった。


 数分の沈黙。


 やがて、アレクスが静かに言葉をつむぐ。


「師を探すと良い」


 アレクスの言葉は簡素だ。だが、神秘的な重みがあった。


「師……ですか?」


「師匠、先達、親分、先生、まぁ、なんでも良いがな」


「親分は少し違うような気もしますが」


「おお、そうか?」


 かか、と快活にアレクスが笑う。


「とにもかくにもだ……ホーリィ、今のお前には師を探す必要があると私は見ているよ」


 アレクスが諭す。ホーリィはそれを黙って受け止めていた。


「私が道を示し、答えを与えても良いがな……それだと、親子の情による色眼鏡がどうしても入ってしまう。それもいいのかもしれぬが、お前ほど敬虔けいけんな者に対しては不実な行いと思ってな」


「そうなのでしょうか……」


「そうさ。お前の悩みは深く、簡単には答えが出ないものだ。であるならば、その悩みを理解して、道を示し、ともに歩んでくれるような師を探すべきなのさ。独りで背負うよりずっと良いぞ」


 曇りなきアレクスの言葉。ホーリィが、上に羽織っている白いローブの襟元を握った。神聖十字教の神官になってからの、彼女の癖である。


「師……ですか」


 ホーリィがつぶやく。その言葉を飲みこめている様子は見えない。だが、どうしようもないほどに悩んでいるさまからは抜け出しているようであった。


「ゆっくり探すとよい。自分の納得いくような人物を、自分の納得のいくまでな」


 アレクスが、包み込むような優しい声をホーリィに向ける。それを感じたのか、ホーリィもまた温かみのある笑顔をアレクスに返したのだった。



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