第5章 解放(10)

16

 ポート・アルトの宿へ戻った私たちに王都から緊急の連絡が届けられた。

 宿にて私たちの帰還を待っていた伝令は、王都からの書簡をルシアスに直接届けると踵を返し王都への帰路についた。

 

 宿に隣接するバーのテーブルに腰かけた私たちは、ルシアスの反応をうかがう。

 

 この時代の宿屋はどこも似ているが、ここも宿とバーの併設だ。そういう造りがこの国の特徴と言えるのかもしれないが、私はまだ他国に行ったことがないのでどこもそうなのか、この国だけそうなのかは知らない。


「ゼーデが【魔封石】の開発にほぼ成功した。二人の解呪の儀を早々に執り行いたいから、急ぎ帰還せよとのことだ」

ルシアスが静かに切り出した。


「おぉお! ついにやりやがったか、あの竜王さまはよ!」

レイノルドが歓喜の声をあげた。

「これで、二人とももう心配いらねぇってことだよな、あねさん」


 シブライト鉱石の性質に気づいてから約半年、ゼーデはこれまでに様々な手法、魔法の組み合わせを試行錯誤してきたが、自然に吸収する以上の性質の変化はなかなか見られなかった。

 それでもあきらめず、魔法の相性の問題なのか、鉱石の大きさや、密度なのか、様々な考察を続けていたのだが、やっと一定の結果が得られたということだ。

 物質に属性を付与するという魔法は、単純に魔素を事象に変換するより数段難易度が高い。

 事象の発現は、その一瞬または短時間の間、魔素を事象化するだけにとどまるが、物質に何かしらの魔法効果を付与するということは、その効果を安定的に維持し続けることができないとならないからだ。

 そういう意味で言えば、アルとケイティにかかっている封印の呪詛魔法は、かなりの高位魔法と言える。しかしやはり不安定な術式であるためそれが災いをもたらしているのだろう。


「ええ、ゼーデの方は準備が整ったということだけど……、二人の方はどうかは予測が難しいところね」

たしかにこの半年間で、二人の魔法の技術は目が覚めるような成長を見せているけど、そこがひっかっかるともいえるのよ。

 通常の人族の魔素量からしてみれば、ありえない速度の成長なのよね。現に、ルシアスの魔素量はすでに成長が止まっていて、少しの熱量を事象化するのがやっとなのよ。それに対して二人の魔素量は封印されていながらも訓練を続けるごとに成長を続けているわ。これって、もしかしたら、封じられているリミッターが外れたらどうなるのか、正直ちょっとおそろしいのよね。

 アルの母親、あの子の魔素量は人族の中でも群を抜いていた。だから、人族でもそのぐらいの魔素量までは器の耐久度はあるとみていいのだろうけど……。


「実は、二人ともその領域に近いぐらい成長してるのよね。封印リミッターが施されててなお、その領域に近いところまで来ているとすれば、外れたときはおそらくそれを超えると考えるのが妥当なのよね」

アリアーデは少し眉を寄せて心配そうな表情を見せた。

 が、すぐに、笑顔に切り替えて、

「でも、大丈夫よ、きっと。私のかわいい弟子たちは必ず成し遂げると信じているわ」


 ルシアスもレイノルドもチュリも軽く微笑む。


 私とケイティはそんなみんなの表情に安らぎを感じて、互いに目を合わせると、必ず成し遂げると固く決意した。


――――――


 王城の参謀執務室の机で書類の整理をしていたイレーナは、ふと気が付いた。

 部屋の中はすでに真っ暗だった。ただ机の上のランプだけが煌々こうこうと明かりを発している。

 書類の整理に集中しすぎて時間の経つのを忘れていたらしい。


 王の参謀である彼女にとって、各地の情勢をつぶさに記憶、把握し、整理しておくことは日常の業務にとって至極当たり前のことなので、全く苦にならない。

 どころか、むしろ、その一つ一つが王のお役に立てるということに喜びすら感じる。

 とはいえ、やはり彼女も風さえあればいつまでも奔りつづける帆船ではない。生身の人間である。


 ふぅ、と一息吐き出すと、執務室の隣にある休憩室の扉の方へと向かった。

 扉を開け、休憩室に入ると、襟付きローブを脱ぎ、下着姿となってさらに奥の扉へと向かった。

 冬とはいえ王都のあたりは結構南に位置しているので、室内暖炉で充分に暖をとれるほどあたたかい。

 イレーナは、その扉を開けて中に入り、つけていた下着も脱ぎ去った。

 水栓コックをひねるとあたたかいお湯が壁に掛けられた散湯口シャワーヘッドから降り注ぐ。冷えた体を温かさが包み込んでゆく。

 

 数分後、新しい下着に取り換え出てきたイレーナは、寝支度を整えようと寝巻のローブに手を伸ばしたその時だった。


 カンカン!

 

 と、隣の執務室のドアノックが鳴らされた。


 あわてて寝巻ではなく、襟付きローブに手を伸ばしバサッと羽織ると、執務室に戻り声をかける。


「何ごとですか?」


 おそらく、伝令兵の誰かであろうとそう思った彼女は、タイミングの悪さに若干眉を寄せて、そう返答した。


 部屋の外から聞こえた声に、イレーナは驚いて心臓が止まるかと思った。


「イレーナ、こんな時間に済まない。どうしても君に伝えないといけないことがあるんだ。入ってもいいか?」


 声の主は、ガルシア王だった。


「あ、はい! あ、いえ、だめです!!」

イレーナは慌てては返事をしてしまった後、今の自分の姿を思い出して即座に拒否してしまった。


「……」


 部屋の外にいるガルシア王があきらかに戸惑っている様子が扉の向こうから伝わってくる。


「ちょ、ちょっとだけ待ってください! 申し訳ございません! すぐ開けますから!」

さすがに動揺を隠せない声色が扉の向こうにも伝わったのだろう。


「あ、いや、その、タイミングが悪かったのなら、出直すが?」

ガルシア王も珍しく動揺している。


「い、いえ、大丈夫です! 今しばらく、お待ちを! 申し訳ございません!」


 イレーナは執務室においてある姿見に自身の全身を移し、襟付きローブの着衣を手早く済ませて、身なりを整えた、しかし、湯から上がってきたばかりの髪は、いかんせんどうしようもなかったため、後ろにひとまとめにして、巻物の紐でさっと結った。

 そうして執務室の扉をゆっくり開けると、

「陛下! 陛下をお待たせするとは何たる無礼を! いかようにも罰してください!」

そういって深々と陳謝した。


「何を言うか、気にすることはない。淑女の部屋に、私が急に時間も考えずに押し掛けたのだ。無礼と言えば私の方だ」

そう言って、慇懃いんぎんに首を垂れる。


 そうだった、こういう御仁ごじんなのだ、この方は。

 決して奢らず、礼儀を重んじ、相手をいたわる慈悲深さと、自身を律する節度。

 そして、その高潔な立ち振る舞い。


 私の最愛の人――。しかし、この想いは決して口にできない。


 こんなに近くにいながら、圧倒的な隔たりを感じてイレーナの心は押しつぶされそうなぐらいの痛みを感じるのだ。


「あ、ああ、申し訳なかった。湯浴みの最中だったか……」

ガルシア王はイレーナのいつもと違うまだ水分を含む髪形を見て察し、思わず、口に出してしまった。


 ――――!

 イレーナはとてつもなく恥ずかしさをおぼえて体中が熱を帯びたように上気してしまった。


 こういう素直すぎるところも、嫌いではないのだが、この状況では、そこは減点対象です、王様! などと心の中では思いつつも、つとめて平静を装い、

「い、いえ、もう済みました。ところで、御用とは何でしょうか?」

平静を装ったつもりでいたが、意識しすぎて、あまりに事務的に返してしまった。


「あ、ああ、先ほど届いた書簡についてなのだが、隣国の状況の中に気になる情報があったので、君に相談した方がいいと思って持ってきた」

そう言って、一通の書簡をイレーナに手渡した。


 目を通したイレーナはだんだんと我を取り戻してゆく。

 読み終わり国王の方を見上げた時には、すでにいつもの王国参謀の表情になっていた。




 

 

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