第5章 解放(7)

11

 翌朝、朝食をとった後、野営を回収して前進を開始した。

 朝夕はやや涼しく感じる季節になったが、相変わらず昼間は暑かった。


 前進を開始してしばらくしたあたりで、遠目にうっすらとオーヴェル要塞の影が見え始めた。

 この調子だと日が落ちるまでには要塞に到達できそうだ。


 一行の右手はシルヴェリア湾が広がっており、左手には山並みが南北に連なっている。


 ――――ン、――――ン、リ――――ン。


 私はかすかな耳鳴りのようなものを感じた。

 集中して周囲を見渡し魔素を「見て」みる。


 左前方の山のすそあたりに魔素が集中しているように見える場所があった。


「師匠、左前方に魔素の反応があるように見えますが……」

私はアリアーデにそう伝えた。


「そうね。私もさっきからちょっと気になってたのよね。ほかに何か見える? アル」

アリアーデはさらに私に意見を求める。ある意味これはテストだ。


「どちらかと言えば、その場所から放出されているというより、その場所に集まっていくような流れに見えますね。そうだな……、エリシア大聖堂の森の魔素のような流れです。あの時ほど大きなみたいなものはないですけど」

私は見えたままに正直に答えた。


「だいぶん成熟してきてるわね、アル、その通りよ。ルシアス、少し左前方の問題個所に寄り道していいかしら? 魔巣ではないと思うけど、ちょっと気になるのよね」

そう言ってアリアーデがルシアスの許可を求めた。


 ルシアスも特に先を急ぐわけでもないし、魔素関連の事柄であれば無視もできまいとして、一行は左前方の問題個所へ進路を変えた。


 問題個所に近づくにつれ、私の耳鳴りが大きくなってゆく。

 それと共に、魔素の流れはあきらかにその場所への集中を現わしている。

 

 しかし、魔巣の反応ではない。いったい何があるのか。

 

 よく「見て」みると、どうも、ある一点に集中しているというわけではなく、そのあたりの複数の場所へ集中している感じだ。つまり、そのあたりの複数個所に、魔素を集約する何かが存在するということになる。


「これね……」

アリアーデが問題個所の一つを指さした。


「これは……、シブライトだな」

ルシアスがアリアーデが指さしたものを拾い上げて言った。


 それは、見た目にはただの青みがかった石だ。転がっているだけではほかの石と区別がつかない。


 私は周囲の集中箇所を見てその場所を特定して探してみると、やはり、問題の石が見つかった。そのほかにも数か所、同じような石が転がっている。


 なんとも不思議なものだ。

 通常、魔素はある物質から放出される流れを見せる。

 だがこの石は魔素を吸収しているように見えるのだ。


「こんな鉱物、竜族の世界にはなかったわ。人族世界にだけあるものなのかしら?」

アリアーデが不思議そうに石の一つを手に取って眺める。


「うむ。それは俺にはわからんが、この鉱物は、この世界では結構産出される部類の鉱物だ。まぁ宝石の類だな。磨けば青く光るので、工芸品やアクセサリーに使われる。ただ、それなりの希少価値はあるので、どこにでも転がっているわけではないがね」

ルシアスが答える。


「これは……、使えるかもしれん」

ゼーデが口を開いた。

「もしこの石に魔素を吸収して貯蓄できるような性質があるなら、何かしら使い道が生まれる可能性はある」


「たしかに、この石自体には魔素量がほかの石よりも多く含まれている気がするわね、ただ、何かしら魔法を発動させるような量はとてもじゃないけど無いけどね」

アリアーデがその可能性に疑問を投じる。


「ルシアス、この石はそれなりに手に入るものなのか?」

ゼーデが珍しく前のめりになって聞く。


「ああ、まあ、宝石なので、いくらでも手に入るというものではないが、アダマスよりは手に入りやすいと思うが……」

ルシアスがすこし、気おされ気味に答える。


「ガルシア王に進言して、この石を集めてもらえるよう交渉できないだろうか? 少し考えがある」

ゼーデは何かをひらめいたようだ。


「オッケーわかった。交渉してみよう」

ルシアスが請け負うと、ゼーデは満足そうに、

「かたじけない、宜しく頼む」

そう言って頭を下げた。


 しかしながらいつも思うのだが、この竜の王はなんとも礼儀ただしい。アリアーデの奔放さを見るに、竜族にも様々な性格のものがいるのだなと再認識し、その点に関していえば、人族と何も変わらないように思えた。



12

 少し寄り道をしたため、オーヴェル要塞に到着したのは夕刻を回っていた。これより先に旅程を進めるのは得策ではない。

 そこで一行は要塞内部の宿舎を借りることになった。


 要塞には念のための兵士たちが数十人配備されており、いざ隣国――主に南のレトリアリア王国――とのいくさとなれば、この要塞が最前線の防衛拠点ともなる為、兵士用の宿舎には余裕を持たせてあるのだ。


「ヴィント公爵閣下、お疲れさまでした。王都より連絡を受けております。どうぞごゆっくりと疲れを癒してくださいませ」

要塞の正門をくぐり要塞内部に入る大扉を入ったところで、大柄な口髭を存分に蓄えた男が迎えた。そのひげは胸のあたりまで伸びており、某東国の英雄物語に出てくる義理に熱い武将を思わせる。


「ハンウー将軍、ありがとう。またご厄介になるよ」

ルシアスが軽く会釈をすると、

「何をおっしゃいますか、このハンウー、ヴィント閣下のお世話の大役を承り、まことに光栄にございまする」

将軍は最敬礼の様子だ。


 ルシアスは若干のむず痒さを感じながら、将軍の案内で内部に入り、私たちもあとに続いた。


――――――


 宿舎の自室で横になっていた私は、先日の離れ島でも出来事を思い返していた。


 あの時、ケイティは銀色の光に繭のようにくるまれていた。

 明らかに異常な魔素の充満だった。


 ゼーデや師匠が言うような、触媒体質だとしても、それ以上の魔素が集中しているように思える。

 

 時間はもう夜中を過ぎていた。おそらくみんなはもう寝ているだろう。さすがに私もそろそろ休もうと目を閉じたときだった、どこかの扉が開いて、そして閉じる音がした。


(ん? だれだろう? あの方角は、ケイティ――か?)


 私は今思案していたこともあり、どうにもそのままやり過ごす気分になれなかった。

 そこで、ベッドから体を起こして部屋を出た。


 部屋の前は廊下が左右に伸びている。音がした方向は右の方だ。私が右のほうを見やると、はたして、一人の少女の後ろ姿が見えた。白いルームウェアは光の少ない廊下でもかがり火にあたってまぶしく見えた。


 少女は、廊下の先にある休憩所のテーブルに腰を掛けた。窓から入る月明かりでぼんやりとその広間スペースは明るかった。


 ケイティはこちらに気づいているのかいないのか、窓の外の月を眺めているようだった。

 月明かりに照らされたケイティの横顔がとても綺麗で、おもわず声をかけるタイミングを失ってしまった。


「アルバートさん、お休みではなかったのですね――」

ケイティはこちらを振り返ることなく、静かにそう言った。


「あ、ああ……。ケイティこそ、どうしたんだい? 何か気になることでも――」

そこまで言ったあたりで、少女が言葉を発する。


「私、とても怖いんです……」

表情は変わらず、相変わらず月の方を向いてそう答えた。

「先日の戦闘の時、私は何もできなかった。どころか、途中で気を失ってしまった。これからももしかしたら何もできないままかもしれない。そう思うと、とても怖いんです」


「――。それは、普通のことだと思うよ。特にケイティが悪いことじゃない。僕たちは、普通の人とは違うことをやっている。普通の人たちが見えないものを見たり、普通の人が知らないものを知っていたり……」


 そんなの、頭や心がついていく方がどうかしているんだ。本当は僕たちみんな、ルシアスもレイも、そして僕も、ほかの人たちと同じように暮らせれば一番幸せなんだと思う。

 ルシアスはああ見えて、普通が好きなんだ。だから、公爵の爵位を持っていてもあんな外れの一軒家に住んでいる。今日のハンウー将軍のような応対はすごく苦手なんだよ。ルシアスが気恥ずかしそうにしているのがよくわかる。

 だから旅の途中で出会う、彼の身分をまったく気にしない人たちと話しているときのルシアスは、とてもよく笑う。

 レイにはね、王都シルヴェリアに恋人がいるんだよ? レッド・ジュース・ダイニングっていう酒場の女将さんでね、フランシスっていうんだけど、とても仲がいいんだ。多分王都に戻ったらすぐに駆け付けると思うよ。

 レイも本当はフランシスと一緒に居たいはずなんだ。でも、彼は知ってしまった。僕たちが何と戦っているのかをね。だから、僕たちと行動を共にすることに決めた――。

 

 僕は――。


 そこで、私は一瞬ためらった、自分の話をするべきかどうか。


「僕は? アルバートさんは、どうしてなんですか? お話聞かせてくださいませんか?」


 そう促されて、聞いてくれるんだ、と思ったら心が軽くなった。

「僕は……、たぶん農夫でいたかったんだと思う。僕は、ソルスの農夫の息子に生まれたんだ。とても退屈で何もない町だったけど、とても穏やかな毎日だった。父と母はとてもやさしくて、毎日笑顔が絶えなかった。酪農やって、畑をやって、毎日土や動物たちと向き合ってた。とても充実してたんだと思う。ちょっとだけ――」


「ちょっとだけ?」


「そう、ちょっとだけその毎日に退屈してたところがあったんだと思う。ほんの少しだけ、違う世界に触れてみたいとそう思ってしまった……。今思えば、どうしてあの時、ルシアスが初めて僕に声をかけたとき、断らなかったんだろうって、そう思うこともある。あの時断っていれば、父はあんなことにはならなかったし、僕もまだあのやさしくあたたかい毎日を送っていたかもしれないのに……」


 そこまで話した時だった、彼女は立ち上がると、隣の椅子に腰掛けていた私の頭を自分の胸に抱いた。


 ――――!


「ごめんなさい、アルバートさん――。私、聞きすぎてしまったようですね――」

そういって彼女はそのまましばらく私を抱きしめていた。


 彼女の胸のぬくもりが伝わってくる中に、水にぬれた冷たい感覚が混じっている。


 ああ、私は知らぬ間に涙していたのか――。

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