第16話「迷子の白い子・拾伍」

涙に濡れた手で携帯電話を取り出し、操作する。

自販機の灯りだけを目の端に留め、天海は父親に連絡をした。

警察に届ける、そう天海が告げると、父親は焦って、母親と別の家を用意すると言い出した。

天海は頷きそうになり、また落胆した。

また父親の金に縋ろうとしている自分に呆れた。


「あいつを連れて俺は家を出る。父さん、警察に言われたく無いなら、俺の頼みを聞いてくれ。……あいつを俺の弟にして欲しい。今、まだ姉さんの子供になってるよな?戸籍を動かして。姉さんの子供じゃなく、父さんの子供にして、俺の弟にしてくれ」


判った。直ぐに戸籍を動かそう。他にも金は出すから、と焦る父親にこれが最後だと決め、長引くであろう今回の入院費を全額出してくれと言った。


「他は、いい。ただ今回だけだ。次にあいつに何かしたら、出るところには出てもらう。それから、面会には絶対に来ないでくれ。姉さんと母さんもだ」


ああ、入院費も全部自分が払うんだと啖呵を切れたらどんなに良かっただろう。

悔しくて情けなくて、通話を終えた後にまた涙が落ちた。


警察には届けないが、医師に怪我の内情を伝え、児童相談所へ通達しても構わないと告げた。医師は天海以外の家族と名乗る者は面会を絶対に許さないことを約束してくれた。


弟は個室に移された。額には包帯がある。点滴を繋がれ、他の医療器具も繋がれていた。心音に反応して音を立てる器具をこんなに頼もしいと思ったことは無かった。同じ速度で鳴る音と、瞼を閉じている弟をしばらく見つめ、天海は一度家へ戻った。荷物を全て持って出る為だ。


家に帰ると、怒鳴り声や叫び声が聞こえたが、天海は全て無視し、自分と弟の荷物をまとめて車へ積み込んだ。

着替えと、気に入って持ち歩いていた膝掛けは病室へ持って行こうと考えた。

仕事を休むのは得策では無い。

弟が入院している今なら眠らず働くことも可能だ。

 


金がいる。

とにかく金がいる。

金で買えないものを護る為の金が必要だ。

それも今だけの話では無い。

持続して生活をする為の金だ。

一時的な借金では追いつかない。


弟の着替えと膝掛けを病室の個室に持ち込み、椅子に座って傍でぼんやりと今後のことを考えた。

正直、漠然とした不安が大きい。

自分にできるのだろうか。

今の今まで、親の金に頼って生きてきた自分に。

金銭的に困窮した状態での生活は、事実としてしたことが無いのだ。

精神的に追い詰められての生活ではあったが、親を利用すれば良いという、ある種の甘えを持っていたことは否めない。

どうすればいい?

答えが見つからない。



一夜明けると、天海は医師に呼ばれ、最低でも五年は入院生活になるであろう事を告げられた。


◇◇


「……と、ここまでで記憶が終わってるんだ。……腕と指の骨折が治らないのと、肺炎と貧血が酷いし、精神面も含めると大体五年くらい入院だって言われたのは記憶にあるんだ。そんで……退院してるはずなんだけど、確かアパート契約してあったから、そこで俺と暮らしてるはずなんだ。他にも細かく何かあった気がするんだけどさ、それがさあ、思い出せねえんだよ」

弟とのあらましを祐天に話した天海がため息を吐いた。


「そうか、天海は本当に良いお兄ちゃんだ。記憶が無いのは仕方が無い。神様の決まりもあるから。でも話が聞けて良かった」

祐天は晴明のジャケットを羽織ると立ち上がった。


「天海に会えて、弟さんは良かった。天海が居なかったら生きていることが楽しいと思うことも無かったんじゃ無いかなって思った」


「……結局、俺はからさ、どうかな。親の金で俺も弟も生きてた様なモンだしさ」

天海が呟くと、祐天は笑った。


「金は何でも買えるけど、ココロというやつは売ってないから買えない。アイジョウというやつも売ってないから買えないぞ。誰かに金を渡されたから弟を愛した訳では無かろう?」

「……そうだけど、」

「早く無事を確認しなくちゃな。でも天海が居なくて多分泣いてると思うぞ」

「……そう、かな、俺のことなんか忘れてるかもしれないだろ?」


「お前が思うように、弟も思うさ。絶対そうだ。それが多分、天海と弟さんの間にある金で買えないものの互いの繋がりだ。地獄だと「よすが」と呼ぶ。行くと説明されるけど、これはとても大事なものなんだ。それに、大事な兄ちゃんを忘れたりなんかするもんか。天海だって忘れてない、だから探したいのだろう?」


「…………」


目の奥が痛かった。

ああ、涙が出そうだと思った。

天海が何とか言葉を紡ごうと口を開いた時だった。


「話は済んだのか?見事な失恋話の様だが」

背後から声がした。

長い髪を頭上で結っている背の高い男が背後に立っていた。



「?誰も失恋なんかして無いだろ」

「…弟が好きだが、弟は好きになってくれないとか何とかの話じゃ無かったのか?好かれんでも、己が好いているならそれで良かろうが」

男は長い足を動かし、祐天へ近付いた。歩くたびに揺れる髪が、倒壊寸前の家屋の屋根からの光で深緑色に光った。


「全然聞いて無いな。晴明、いつ来た」

「たった今」


「あんたが、あの電話の……「ハレアキ」さん?」

「貴様が「テンカイ」か」

天海に電話で凄んだ「ハレアキ」が、現在目の前に居る人物で間違い無さそうだ。確かに威圧感がある。睨み方もかなり怖い。視線で人を殺せそうだ。


「めちゃくちゃ全く話を聞いてない。ちゃんとした話をしてるのに」

「別に私が聞かんでも構わんだろ。お前に聞いて欲しくて話してるんだから。ああ、疲れた。走りすぎた」


晴明は祐天の頭をぐいぐい撫でると、肩に羽織っていた自分のジャケットを頭にかぶせてから両脇に手を差し入れ、持ち上げた。


「なぜ、俺を持つ?被せるな。何も見えない」

「コワレモノ輸送を頼んだからな。確認だ」

「俺はやくそく通りにした」

「……いや、スイマセン、祐天、俺を担いでいきなり突っ走りました。防げませんでした。無茶をさせたんじゃ無いかと思ってんですが」

祐天は手足を動かして抵抗するが、晴明は持ち上げたまま降ろさない。


天海は、足を畳んで正座をした。

やはり晴明は祐天を大切にしている。

心配でたまらなかったのだ。

それが分かってしまった。

自分が弟を心配したのと同様に。


「だろうな。それは良い。仕事の内だからな。他には?」

「何も悪さなどしていない。天海は良い兄ちゃんだ」

「……晴明さんの危惧してた「変な真似」って具体的には何を持って「変な真似」なんですか?」

天海が地面に正座したままで尋ねる。


「死んだばかりの魂はまだ性欲が強烈に残っているだろう。このガキは見た目が幼子のようだからな。それを危惧していた。で?」

何かしたのか?と晴明の眼が天海を見据えた。


「してないし、これからもしないです。誓います」

「そうか、なら良い。貴様は理解力があって助かる」

そのまま晴明は祐天を腕の中に抱き置いた。


「さて、作戦会議とやらをしなければならなくなった」

晴明が祐天を片腕に抱いたまま、天海を見据えた。



◇続

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