第14話「迷子の白い子・拾参」
それから。
大学を卒業した天海は社会人になり、就職をした。
父親の会社では無く、自分で探して就職をした。
父親には後継にと教育をしたのだと言われたが、「まだ自分には力不足である」「社会勉強がしたい」という最もらしい理由をつけて、弟と過ごせる時間が捻出できて、在宅での仕事もできる会社に就職を決めたのだ。
それでも、日中の帰宅時間が学生の頃からずっと遅くなった。
相変わらず、父親は仕事と趣味を優先し、姉は父親の会社へ籍を置きつつ、小遣いを貰い自由を謳歌していた。母親はブランドバックの自慢大会に日々出かけている。
この家から出たかったが、弟の通院費や学費、放課後に食事の世話をしてくれる介助員の雇い費。それらの金額を直ぐに捻出することは天海には出来なかった。
弟が高校を卒業するまでに、どれくらい資金を貯められるか。
仕事は頑張りたいが、出来れば、定時に帰宅したい。
弟が他の家族と接触することを極力避けたかった。
何故なら、金は出すくせに父も姉も母も、弟を蔑んだ目で見下ろすからだ。
食事の席も弟の場所は用意されていない。
天海の居ない自宅内では、弟は天海の部屋の隅で小さくなって震えているのだ。
聞こえてくる笑い声や怒鳴り声、乱暴に閉められたドアの音、階段を登ってくる足音に恐怖を感じ、そこから動けなくなってしまうのだ。
だから天海は時間通りに帰宅したかった。
『ただいま』
『お帰りなさい』
『行ってきます』
『行ってらっしゃい』
二人の間のこのやりとりは、天海にとってとても重要な意味を持っていた。
天海に「家族の愛情」というものを教えてくれたのは、弟とベビーシッター、介助員だ。全て弟を世話する過程で知ったものばかりだった。
弟から寄せられる天海への信頼は「愛情」なのだと教えてもらった。
そして、天海が弟へ向ける感情も「愛情」なのだと。
◇◇
天海は二十八歳になった。弟は十八歳、高校三年生になった。
ここまで来るのに色々あった。
私立の高校で、養護学級があるところへ入学させたのだが、白い髪や肌、拙い口調の弟は度々、健常者から、からかいのネタにされた。他にも弟にストーカーの如く付き纏う女子が現れたり、金持ちの子供ということで、やたらと馴れ馴れしく接する教師もいた。
弟は、何事かがあってもすぐには天海に言わない。
まず耐える。やめて欲しいという意思表示をする。その後も続くなら耐えて耐えて、耐えきれなくなって初めて天海を頼る。
天海はそれこそが弟の強さであると思っていた。
「あのね、もしかしたら、自分が悪かったかもしれないから。それが分かるまで、兄ちゃんに相談はできないこと、だったんだ。でも、俺が悪いのは。髪の毛が白くて長いことだって、」
そう言われたから。
弟は髪をハサミで切れるだけ切ってから、天海に告げた。
髪の毛、こうして切ったら、蹴ったり、隠したり、やめてくれるかもしれないから。テストの時に鉛筆隠すの、やめてくれたらいいんだけど。
「そうしてみようって、自分で考えたんだな?分かった。もう少し綺麗に切ってやるよ。後ろが滅茶苦茶だ」
天海は笑って、脱衣所で弟の髪を何とか見れる様に揃えて切った。
やり返そうだなんて思わない。
泣き虫で怖がりな癖に、こんなにも強い。
天海は怪我だけはしないで欲しいと弟に告げた。
血が止まらないから、それだけは心配だから先生に言わせてくれ、と弟へ懇願した。弟の了承を得ると、学校へ赴き、加害者本人と教師と話をつけた。
穏便に、しかし次は無いことを含ませる。
そしてここで使えるのが父の名だ。
入学時に「後々の弟の為になるから」と、多額の寄付をしてくれ無いかと父に頼み込んでおいたのだ。褒められた手段では無いが、これしか思いつかなかったのだ。
使えるものは使う。
薄情さで言えば天海も父や姉、母と同類ではあったのかもしれない。
天海にとって弟以外は「家族」とは到底呼ぶことが出来なかった。
しかし、親の財力で弟も自分も生きているのは事実なのだ。
だから、使える場面では「父親」を使う。
弟を連れてこの家から逃げられたら良いのに、とは思うのだが、金銭的な面では全く父親には歯が立たない。
悔しくてたまらない。
その憤りややるせなさを、天海はまた心の奥の水溜まりに落とした。
◇続
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