芦川ヒカリの憂鬱Ⅰ 6


 古泉一樹。笑顔を張り付けた文武両道爽やかキャラで、実は超能力者である、というのがこいつの立ち位置だ。


 加えて、俺は意外にも古泉が熱い部分を持つ男だということを知っている。これから話が進んでいくうえで、古泉はSOS団を大切に思っていく。それがわかっている。多分、嫌なやつじゃないんだろう。

 けれど、同時に今という時間や地球という場所に外側から干渉する相手を快く思っていなかったとも記憶している。外部からの邪魔者という意味では嬉しくないが俺も該当しそうだ。さて、古泉は俺を排除するために現れたのだろうか。

 それはどうだろう。今の古泉は、よく知らない相手に見せるはずがないほどにどこか露悪的だ。果たしてそれは誰のせいかと言うと、恐らくは俺のせいだから困った。パワーバランスがそうさせている部分もあるだろう。

 宇宙人サイドになったつもりはないが、最初に俺を保護したのは長門有希である。どこの派閥にも属していない俺は、今のところは長門預かりの拾い子扱いなのだろう。それで、機関は古泉を使ってわざわざ長門と接触したのだと推察できる。

 ハルヒがとんでもない存在であることを知っている俺。そんな危険分子を機関は放置するわけにはいかない。ぽっと出の俺なんかの話をハルヒが信じないとわかっていても、俺がそれを使ってハルヒの精神状態を悪化させる存在かどうか、機関にはデータがない。ならば、味方に引き入れてうまく操作することを望んでいる、といったところか。

 疑問なのが、こういったアクションを古泉はキョンに起こしていない。原作でも、閉鎖空間に連れて行きこそしたが、軍門に下れとは言っていなかった。同じ一般人枠にいるハルヒに選ばれたキョンよりもつまり、長門の言うイレギュラーである俺の懐柔を重要視している。そこのところは、やっぱり古泉と同じ日に転校してきてしまうなんていうアクシデントを起こした厄介者だからか?

 しかし、そうすると疑問その二。では、長門はなぜわざわざ俺を今日という日に学校へ連れてきたのか。別に俺を家に置いておいて、連れてくるのは明日でも明後日でも良かったはずだ。それが今日なのにはきっと、長門なりの意味がある。長門にとって利益があり、古泉にとって損害があるのが今日なのだ。この関係と感覚の違いが状況の引き金なんだろう。それって俺のせいじゃないだろうとも思うが、長門曰く存在するだけでダメらしいので多分俺のせいだ。全部俺が悪いのか……俺の俺の俺の……。


 どうでしょう、とテレビ番組の司会者みたいに微笑む古泉に、袋小路の思考から戻った俺は悩む仕草をしながら告げる。一生懸命頭が良さそうに振舞ってみるけど、だいたいこういうのって本当に頭がいいやつにはバレバレなんだよな。


「……即答はできない」

「まあ、そうでしょう。ですから、あなたにとってのメリットを提示させてください。まず、衣食住の保証。もちろん、自由に趣味などに活用して余りある程度の金銭を融通します」

「いきなり金の話とは随分ビジネスライクだな。なんだか逆に身構えてしまう」

「おや? その方がわかりやすいかな、と思ったのですが」

「俺ってそんなお金大好きに見えるのかよ。お金は欲しいですごめんなさい」

「それから、交通手段も提供させていただきますよ」

「無視だよこいつ」

「そして最後に、これがなにより大きな交渉材料です。安全の保障。どうでしょうか。どれも、今のあなたには必要なことかと」

「いやそれ結局脅しじゃねーか!」


 はて、という困り顔を古泉はする。しらじらしい。機関に入らないなら安全は保障しないってことと同義じゃないか。とぼけてみたけどのってこないし、思ったよりも血なまぐさい話になってきて俺は唸る。

 古泉たちは、閉鎖空間内限定の超能力者である。日常生活では一般市民と変わらない。しかし、それが脅威になりえないというのは早計だ。彼らは徒党を組んでいるし、なによりハルヒを神様だと考えて、刺激しないことを目的に掲げている集団だ。たかが能力者が十人程度の小規模組織と侮れない。支援者やなにやを含めればその人数は俺にはわからない。もしも俺が無力だなんて知られると、どこか遠くの山奥にでも捨てられれば打つ手はない。俺なんて簡単に誘拐できそうだしな。

 俺にとって一番問題なのが、古泉さえ揃えばSOS団が完成する今の状況で、俺が消えようが死のうがこの世界にはなにも問題がない、ということだ。夢から覚めるのはいい。でも、死ぬってなると話が変わってくる。

 もしかしたら何かしらの才能の開花を期待してくれている長門辺りは助けてくれるかもしれないが……悲しいかな。あそこはあそこで過激な派閥があって一枚岩ではない。

 ていうか、古泉って15、6歳なんだよな。なんか気に入らないな、子供にこんなことさせて。これなら普通に帰り道に大人が俺を車に押し込んで問い詰めてくれる方がよっぽどいい。断然怖いけど、その方が気楽だ。


「まさか。なにも戦闘に参加してほしいと要請しているわけではありません。どうやら神人を狩る能力をお待ちではないようだ」

「なぜそう思う? お前と同じ力でなくとも、神人と相対できるとは思わないのか?」

「こればっかりは、わかってしまうとしか言いようがないのですが……信じてもらうのは難しそうですね。我々があなたにお願いしたいのは、神の機嫌を損ねないこと。それでいくらかは、僕たちが健やかに眠れる夜もあるでしょうから」


 ここに来て情に訴えてくるか。さすがは影のスポークスマンだけあって敏腕だ。俺が夢の世界に入ってから、時間にしたら半日程度しか経っていない。長門と古泉の会話から、俺の過去は長門によって情報操作されていると思っていい。にも拘わらず、俺がそういう言い方をされると困るとわかってやっているなら大したものだ。

 それも森さんから聞いたのか? なぜ彼女がそんなことを知っているのだろう。でも、それにしては押しが弱いな、とも思う。


「嫌な言い方ばかりするんだな。良心の呵責は感じるが、それも二つ返事とはいかない」


 俺は古泉の「なぜ」を待つ。そうして、こっちの話したいことを話せるようにしなくては向こうのペースのままだ。こいつの言葉に返事をしているだけじゃ、この会話は平行線になるような予感がしている。古泉は──機関は、なにか俺に言わせたいことがあるんだろう。でも、誘導するように仕向けないまま話を引き延ばしている感じがするから、俺から切り出してほしいんだろう。それは、どんな言葉なんだろうか。


「それはなぜでしょう」

「なにせこっちは転校初日に教室で服を脱がされてるんだ。そうなんでもかんでも許容はできない。放っておくとハルヒの方が休学ってこともありえるぞ。それに……ハルヒがあんまり危いことをしようっていうならば、俺は止めるつもりだ。怪我したり、警察につかまったり、そういうのはなしにしたい。例え、俺がハルヒやお前たちにとって部外者でも」

「それは……」

「まだ喋ってる。そりゃ俺だってあいつが毎日爽快最高笑顔、楽しく元気で健康第一、いつでもご機嫌大満足ってのが理想だよ。そこはお前と一緒だと、俺は思ってる」


 古泉は苦笑して「なるほど」とそこは簡単に引き下がった。さて、情報戦を得意とする筈の俺は、一体どうやってこいつを説得──基、機関の納得のいく答えを導き出せるのだろうか。

 おそらく、ただ首を縦に振らせるのが目的ならこんなやり方はしないはずだ。背中からナイフの一本でも突きつければいい。それをしないってことは、今のところ俺の親分である長門を警戒しているのかもしれない。もしくは「そもそもそういう話をしていない」のかもしれない。ならば、すぐさま「はい、機関の味方をします」と簡単に言ってしまうことの方が、寧ろ俺の不利益に繋がる気がする。

 それから、俺を知ってるにしちゃ交渉方法がナンセンス極まりない。もっと助けを求めるようにされる方が、俺は断りづらいからだ。となると、機関は俺の性格を完全には把握していない、ということだろうか? うーむ、案外機関が聞きたい言葉ってのは俺の本心からの真意で、求められているのは誠実な対応……それだけなのかもしれない。


「涼宮さんはあなたに随分ご執心のようですね」

「どうかな。男装女子じゃないとわかったのだから、そろそろ飽きるかもしれない。そうすると古泉たちにとっても用なしか?」

「それこそ、僕には現状判断できませんね。一人で決めるわけにもいきませんから」


 この問はハズレだ。一度ハルヒセンサーにひっかかった俺が今さら興味対象外に出たところで監視は続けるってことらしい。それはそれでしょうがないところもあるのかもしれないが、おちおち一人で出歩けなくなりそうだな。


「俺はまだ会っていない人もいてな。だから現状どこかに味方しますとは言えないよ。もちろん長門の派閥についた覚えもない」

「どうしても?」

「例え脅迫されても誘拐されても、答えは変わらない……つもりだ。あくまでつもりで、拷問とかは嫌なんだけど。うーん、できる限り変わらないつもりではいる。いやあ……わかんないけどね。拷問なんてしないよな?」

「義理堅い方なんですね」

「まさかそれも聞いていたんじゃないだろうな」


 古泉は眉を下げて肩を竦めた。こいつ、やっぱり頭がいいな。未来側に面倒なやつ認定されるだけはある。多分、何も言わなくても大抵のことは俺の態度から察しているに違いない。

 俺はまだ朝比奈さんに会っていない。彼女が俺にどういう対応を望んでいるかわからない以上、ここで即決はできない。機関からは命を狙われないが、未来側からは敵になる、なんてのはごめんだ。

 ならせめて拷問しないかどうかだけちゃんと答えて欲しいんだけど、それもはぐらかされた。仲良く楽しく遊ぶ若者たちを眺めたいだけで、どうしてここまで怯えていないといけないのだろうか。涼宮ハルヒの任侠か? ここは。

 一体古泉のやつは幼気な俺から何を引き出そうとしているのだろう。わからないので、とりあえずまっすぐストレートを放っていこう。


「まあ、最終的にどこにつくってつもりはないよ。俺は究極ハルヒの味方だ。それはつまり、別にお前の敵じゃないってことになる。もちろん、長門たちにとっても。お前らがバチバチしていようと、関係なく困ってるところに手伝いに行く。だって外部だもん。それで、ハルヒがやりたいことを陰ながら応援するつもりだ。俺にできる範囲で」

「なるほど、あなたもまた涼宮さんを気に掛けている、と」

「あなたも、ってのは古泉もって意味?」

「どう受け取っていただいても構いません」


 小説で、古泉がキョンに愚痴を零す場面を読んだことがある。本当は自分だってへらへら笑っていたくなんてない、と。こいつだってただの高校生だ。だったら、ここは大人の俺が話の主導権を握って、うまい方向に誘導していく必要があるだろう。

 なんとなくだが、古泉がここまで嫌味っぽいというか、敵っぽい言葉を初対面の、しかもこれから交流があるかもしれない相手に放つのはおかしい気がする。キャラブレというか、演技に演技を重ねているというか。言わされている、というか。


「それにさあ、周囲がピリピリしていたらそれこそハルヒの機嫌によくなさそうじゃないか。そういうことに関しては、やたらに気が付くやつだろ。まあ、いやそこじゃねえよもっとあるだろ、って感じなんだけど」

「よくご存じで」


 そう笑う古泉の顔は、先ほどとは打って変わって出来の悪い妹を見るような温い笑顔だった。そうなんだよ、お前も俺もハルヒが好きなことは変わらないはずだ。ヒリつくのはよそう。それがいい。

 ああ、もしかして。これって俺が男だから警戒されているだけだったりするのか? ハルヒにちょっかいをかけて、告白でもして不機嫌にさせて、仕事を増やすんじゃないか、なんて。

 古泉からすれば個人的な感情もあるのかもしれない。三年も守ってきた女の子だ。ぽっと出の男にかすめ取られたくないなんて、そんな可愛らしい感情も付随しているのかもしれない。まあ安心しろ、俺はこう見えて心は女の子だし、恋愛対象も一応男のままだ。つまり無害だ。それに、ぱっと見た限りではこの学校内でお前の顔が一番整っているから。顔はな。


「お前も大概ハルヒが大好きだな」

「それは、あなたもという意味に受け取ればよろしいのですか?」

「ご想像にお任せする」


 古泉は妙に演技っぽい仕草に戻って、顎に手を当ててポーズを決めた。どうやら、なんとか切り抜けられたらしい。俺も前進から力が抜けていく。


「いやはや、長々とすみません。ここまでが上の用意した台本です」

「……納得のいく答えだったか? あまり俺を苛めてくれるなよ。いきなり半裸事件といい、本当に不登校になっても知らないぞ」


 まあ、いつまでここにいるかは知らないのだが。


「それはもう。報告書をまとめる上でここまで体裁の整う答えはなかなか頂けない、というほどに。不登校は……勘弁してほしいな」

「そりゃよかった。機関のみなさんによろしく。明日もどこかで会えたらいいね」

「僕としては、あなたとはいい戦友になれそうな気がしますよ」

「あー、いい、いい。そんなのにならなくて。同じアイドルの推しなんですね、くらいの関係で。お前面倒くさいもん。いい奴なんだろうけど」


 古泉は見たこともないきょとん顔をして、それから小さな紙袋を俺の前にぶら下げて、また営業スマイルをする。なんだ今の顔。


「いえ、これで確信できました。あなたは、間違いなく涼宮さんの関係者として名を連ねる人だ。これはお近づきの印です」


 顔が近い! あと話が長い! お昼休みが終わっちゃうじゃないか、まったく。しかしまあ、空腹を犠牲にした価値はあったか。一応古泉と冷戦状態に入らずに済んだのだから、コミュ症の俺にしちゃ御の字だろう。

 古泉は身を屈めてひそひそ話でもするように顔を近づけた。強引に、俺の手に菓子折り袋らしきものを持たせる。これって結局のところ、買収なんじゃなかろうか。もしも機関が俺の中身が女だということを知っているなら、確かにこの顔のいい男に交渉させるのは妥当な判断だったんだろう。俺がキョンくん派だという部分だけ見誤ったがな。うわなにこの男めちゃくちゃいい匂いする。

 古泉はダメ押しみたいにさらさらの髪を風に靡かせた。むかつくほどいい笑顔のままで俺に押しのけられる。イケメンですね。よかったですね。


「近い近い、お近づきってそう意味じゃない。頭いいなら知ってるだろ」

「いえ、それは初めて知りましたね。いい勉強になりました」

「嘘つけ」

「ふふ。それではまた、放課後に」


 そう言い残して、古泉は片手を挙げて無駄に爽やかに去っていく。放課後ってなんだよ。まさか後でまた激詰めされるのかな。誘拐なんて軽々しく口に出すんじゃなかった。

 老舗っぽい紙袋を開いて中を見る。箱をひらけば、ふっくらとしたどら焼きが六つ納まっている。多分高いやつだ。皇室御用達とかだこれ。

 それにしても、俺が和菓子好きだなんてどうやって機関はそんな情報を入手したんだろうか。まったくもって謎だった。

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