第20話 空と月と。

「そらは本当に笑顔が素敵で、明るい女の子だったの」


月菜さんは赤い目をしているが、少し笑顔を浮かべながらそらの話をする。


「私はこんな感じで、根暗というかあまり人と話すのが得意じゃないから友達が少なかったの。だけど、そんな私に声をかけてくれて仲良くしてくれたのがそらだったの。それからはずっとくうって呼んでた。私がふと、空をくうって読み替えたのを気に入ってくれて、それからはくうって呼ぶことになった」


『くうって呼んでたのは本当に仲が良かった一部の同級生だけだったの』

『わたしは…くうって呼んでっ』


そらちゃんは、くうというあだ名をすごく気に入っていた。もちろん、名前の響きがかわいいというのも一つの理由だろうが、それ以上に大切な友達である月菜さんが月菜さんが付けてくれた名前だからこそ、大事にしていたのだろう。


「今は、私はそらのことをくうって呼ぶ資格がないんだけどね。」


月菜さんの表情は軽く笑ってはいるが、ぼくにも伝わってくるくらいの悲しみを含んでいた。月菜さんは、罪悪感からかそらちゃんとの関係性の深さを表している呼び名さえ自分が口にすることを遠慮しているのだ。


「それから、私はそらとたくさんの海に遊びに行ったの。初めは海には特に興味がなかったけど、そらに連れられて行った海の美しさは今でも忘れない」


ぼくは、月菜さんの目をみて、そらちゃんとの話を胸に刻むようにして聞く。


「しっかりと覚えてる。まぶしく照らす太陽、キラキラ光る水面、真白に輝く砂浜、美しく伸びる水平線…そこが神栖の海だったの」

「神栖…ですか…」


この時初めて知った。神栖の海は、ぼくとそらちゃんだけの思い出の場所じゃなかったということ。月菜さんがそらちゃんに連れられて、海の魅力を覚えた場所であるということ。月菜さんはその場所に、大切な友達の命を奪われたということ。


「そうなの。だから、そらが神栖の海で亡くなったことを聞いたときは本当に頭が真っ白になって当分学校に行けなかったの。なんで、なんでって」

「ぼく、そらちゃんのお母さんともたくさん話したんです、それでそらちゃん…いじめられていたって…」


それを聞いて、月菜さんの目にはまた涙が浮かんできた。少しうつむいて涙をこらえている。


「私…そらがいじめを受けてる現場…みたの…」


話を聞いているだけでもこれほどに胸が痛むのに、その現場を目撃してしまった月菜さんの心の傷は計り知れないだろう。


「女子トイレで、複数人に囲まれてひどいことをされてたの…そら、本当に素敵な子で誰からも好かれていたからそれを良く思わない人がいたの…。私…それを見ても助けてあげられなかった…何もしてあげられなかったの…何も…」


月菜さんは自分を戒めるように自分の言葉で、自分を追い詰めていく。


「私があの時、そらを助けていれば…そらはいまでも…」

「月菜さん」


ぼくの呼びかけに、ハッとした顔で月菜さんは顔を上げた。


「そんなに自分を責めないでください」

「でも…でも…」

「そらちゃんに会ったんです」

「え…」


そらちゃんに会えたからこそ、自分だけが会えたからこそ、月菜さんにしっかりと伝えなければならない。


「信じられないかもしれません。馬鹿げているかもしれません。それでもぼくはそらちゃんと会いました」


月菜さんはどう思うだろう。7年前に亡くなった友人に会ったという人物がいたら。受け入れてくれるだろうか。


「そらに…会った…」

「はい、自分のことをくうと名乗って会いに来てくれたんです。たくさん話をしました。本当にたくさん」

「そらは…そらはなんて…?」


月菜さんは、そらちゃんの存在を疑うことはなかった。大事な友達の魂がいまだにしっかりと残っていることがうれしいのかもしれない。


『もっと一緒にいたかった。お母さんも。お姉ちゃんも。かいくんも。大好きな友達も、みんなと』


「大好きな友達と、もっと一緒にいたかったって」


「あぁ…あぁぁ…そらぁぁ…そらぁぁ…、ごめんね…ごめんね…」


ぼくは、そらちゃんの意思をしっかりと伝えるように強く、真っすぐ月菜さんを見つめる。


「月菜さん、だからそらちゃんのためにも自分をあまり責めないでください。月菜さんはそらちゃんの大切な友達なんですから」


月菜さんは声をあげて泣いた。

しばらく泣き続けていた。


目を真っ赤にした月菜さんがハンカチを当てたまま顔をあげる。


「ごめんね…こんなに泣いてばかりで…」


ぼくはふんわりと微笑んで首を横に振る。


「いいんですよ」


そしてもう一つぼくが月菜さんに伝えたかったことがある。これはぼくの為でもあり、月菜さんの為でもある。


「あの、月菜さん」

「はい…」

「つらいとは思うんですが…ものすごく。あの、海に…海に行きませんか?」

「海に…?」

「はい、神栖の…神栖の海に」


それを聞いたとき、月菜さんの体が一瞬こわばったのが分かった。しばらくの沈黙が続いて月菜さんが口を開いた。


「ううん…ごめんなさい…私はあそこには行けない…」


月菜さんがそう思ってしまうのも仕方がない。ぼくもそらちゃんを追いかけたあの日以来あそこの海には行っていない。それでも、だからこそもう一度行かなければと思った。


「月菜さん、もちろん辛いのは分かります…ぼくには計り知れないほど辛いと思います…だけど…もう一度…もう一度そらちゃんに会って欲しいんです…」

「それでも…」


ぼくは必死にお願いした。おせっかいかもしれない。邪魔と思われるかもしれない。それでも、これがぼくの責任だと思った。そらちゃんに会えたぼくの責任だと。


「お願いします…」


深く、頭を下げた。


「え…かいくん…そんな…」

「どうか…どうか…」


すこし間があいて、月菜さんに声をかけられた。


「わかったわ」


顔を上げると、月菜さんが優しく微笑んでこちらを見つめていた。


「いいんですか…!?」


その微笑みのまま、月菜さんはゆっくりと首を縦に振った。


「ええ、かいくんの想い…伝わったわ。私、もう逃げないから」


そう言う月菜さんの顔は強い真っすぐな目をしていた。


「ありがとうございます…ほんとうにありがとうございます…」


何度も何度も頭を下げた。




この日は、時間のことなんて忘れており、ふと時計を見たときにはとっくに夕方になっていた。


「こんなに長く居座ってしまってごめんなさい」


玄関で陽太の母親にお礼をした。


「うんうん!かいくん来てくれて本当にありがとうね!またいらっしゃいね!」


横には陽太と月菜さんも並んでいる。


「かいくん、本当にありがとう。本当に救われました」

「いえいえ、こちらこそ本当にありがとうございました」


月菜さんとお互いに頭を下げあう。


「かい、また学校でね。また来てな」

「うん、ありがとう。でも次は陽太を家に呼ぶよ」

「え、それは楽しみ。期待しておく」


そうして三人とは別れを告げて、駅へ向かい電車に乗った。

自分の最寄り駅に到着した時にはもう空は暗くなっていた。

広い空を見つめてぼくはひとことそっと呟く。


「そらちゃん…もう一度会いに行くからね。月菜さんも一緒だよ」









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