第16話 次へ。

「そらはね、本当にいい子だったの」


ぼくは、青井さんの話を静かに聞いていた。


「小学校でも、中学校でも、友達をすぐに作っては私に伝えに来るの。『ママ、お友達たくさんできたよ!!』ってね。そらがそうやって笑ってくれるだけで私は幸せだった。少しつらいことがあっても、そらの笑顔があればそんなのすぐに吹っ飛んだ」


青井さんは、そらちゃんの遺影を微笑みながら見つめている。


「それで、高校に入った時も友達はすぐにできたみたい。家にも何回か友達が来たのを覚えてるわ…」


このとき、青井さんは少し沈黙を続けた。


「高校三年生になって、クラス替えをしたの。だけど、そら…そのクラスの女の子達から良く思われていなかったみたい…。なんでだろうねぇ…あんなに…あんなに優しい子だったのにねぇ…」


青井さんは涙を流して、声を震わせている。


「ごめんね…あの子のことではもう泣かないって決めてたんだけどね…」

「全然…大丈夫です…」

「ありがとう…」


青井さんは、ハンカチで目を軽くぬぐってからまた話をつづけた。


「それで、クラスの子達からいじめを受けていたんだけど、そらがいじめられていたって言うのを私が知ったのは、あの子が亡くなってからなの…」


息が止まった。

青井さんは、そらちゃんが亡くなるまでいじめがあったことを知らなかった。


「それって…」」

「あの子、私に心配かけたくなかったのかな…、家に帰ってきてもいつも笑顔だし…一切そんな話は聞かなかったの…」

「そう…ですか…」


言葉に詰まらせているときに、そらちゃんの言葉を思い出す。


『私お母さんも大好きだし、お母さんの作る料理も全部大好き!』


そらちゃんは、本当に母のことが好きなのだと改めて思った。

母のことが大好きだからこそ、言えなかった。

母に心配をかけないために。


「そらが亡くなった後、クラスメイトだった女の子から話を聞いたの。今でも覚えてる、月菜ちゃん。中村月菜ちゃんていう子でそらとすごく仲良くしてくれていたの。」


その瞬間、ぼくの体を衝撃が襲った。それと同時にある言葉が頭をよぎる。


『月菜だね。結構珍しくて同じ名前の人見たことないけど』


「月菜…陽太の…お姉ちゃん…??」


そらと学生時代、仲が良かったのが陽太の姉で。いろいろなことが突然に押し寄せて整理がつかなくなってしまった。しかし、そうなるとあの時陽太に見せてもらった海の写真がすべてぼくとくうの巡った海というのも納得がいく。月菜さんはそらが巡った海を同じように巡ったのではないか。それが罪滅ぼしかどうかまでは今のぼくにはわからないが。


「かいくん?どうしたの?」


考え込んでいた顔をしていたぼくに青井さんが、心配をしてくれている。


「あ、いや…ごめんなさい、大丈夫です」


ここでは、青井さんには伝えず、今後陽太のお姉ちゃんに会えた時にすべてを伝えようと決めた。そして、伝えようと。ぼくが経験したことを、そらと過ごしたことを。

青井さんはすこし息を整えて、続けて話し始める。


「月菜ちゃん、そらがいじめられているところを見てたみたいで、私に泣いて謝ってくれたの。私は見てるだけで、そらちゃんを助けられなかったって。いじめの内容は…その時は聞いてて本当につらかった…。殴る蹴る、物を壊したりとか…本当にひどかったみたい…」


青井さんの話を聞いていると、自分の見た夢との辻褄があってくる。

あの時にみた、いじめられていた光景も、もしかしたら。

そんなことを考えてしまい、涙が不思議なくらい出てくる。


「すみません…どうしても…勝手に涙が…」

「ううん、大丈夫よ。聞くのがつらかったら無理しなくても大丈夫だからね」

「いえ…すみません…続きをお願いします…」


青井さんは静かに頷く。


「そらはね、いじめのことを私だけじゃなくて、友達にも誰にも相談してなかったみたい」

「だれにも…ですか…」

「そう、ひとり、いじめられてるとこをみてからそらに声をかけた子がいたみたいなんだけど、その時も何事もなかったように笑ってたって」

「全部…ひとりで…」

「そう…だから私…あとになってたくさん後悔した…私が…母親の私が気づいてあげてればって…」


青井さんの涙はもう止まらない。


「かいくん…」

「はい…」

「そらと神栖の海に行ったのは覚えてる…?」

「ごめんなさい…その時のことはほとんど覚えてなくて…」

「そうだったのね…、そらはかいくんと神栖の海に行った翌日に…亡くなったの…」


衝撃を受けた。

夢で見たあの光景。

ビデオに残っていた記録。

あの、海に行った翌日にそらちゃんは亡くなったのだ。


「翌日…ですか…?」

「そうなの…あの日の翌日の朝からそらが出かけてくるって行ったの。雨が強めに降っていたけど、あの子、図書館に行くのが好きだったから…いつも通り見送ったの…。だけど…あの子家を出る直前に『お母さん、大好き』って…まさかあの言葉が最後になるなんてね…」

「雨の日に…」


そらちゃんが、雨の日は会えなかったのもこのためなのかもしれない。

雨の日に亡くなったから、かもしれないと。

ぼくは涙を流しながらも、質問をした。


「そらちゃんは…そらちゃんはどうやって…」


青井さんはもう一度沈黙を続けてから口を開いた。


「その日の夜に、警察から電話があったの…そらは、神栖の海で溺れて亡くなっていたって…」

「入水自殺…!?それも…神栖の海で…!?」


信じられなかった。

そらちゃんは雨の降る夜、自分から海へ入っていき、亡くなった。

そして、その海はぼくとそらちゃんが探し求めていた神栖の海だった。


「私も、最初は信じられなかった…。悪い夢でも見てるんじゃないかって…なにかのドッキリなんじゃないかって…」


青井さんの悔しさや悲痛が伝わってくる。

そらちゃんは、本当に海が好きだったから、青井さんの気持ちには痛いほど共感できた。


「そらちゃん…海が…本当に好きでしたから…ですよね…」

「そうなのよ…あの子は本当に海が好きだったから…」


リビングには、ぼくと青井さんの涙を流す音しか聞こえていない。


「そらが海を好きなのは、お父さんの影響でね…」

「そうだったんですか…」


そらちゃんの父親の話を聞くのは初めてだったが、そらちゃんの父親を想う姿から、優しい人だったんだろうという想像ができる。


「まだ、娘達が小さい頃にね…家族四人でよく海に行ったの…。そのときに、お父さんはよく、娘達を抱いてから、海の方へ指さして『水平線を歩いたら、普段は会えないような大事な人に会えるんだよ』ってよく言ってたの…。今でもその意味は私には分からないけどね…」


青井さんはすこし笑顔を見せながら言った。

ぼくがその時、青井さんにできるのは、そらちゃんがぼくに行ったことを代弁することだった。


「水平線は…水平線は空と海の繋がりだから…だから、水平線を歩けば…空にいる人に会えるって…そんな気がします…」


青井さんは、ぼくの言うことをしっかりと聞いてから微笑んだ。


「ふふっ、そうかもしれないね」


青井さんは、どこか嬉しそうに微笑んでいて少し安心した。


「それでね…かいくんにひとつお願いがあって」


今のぼくには、青井さんの願いを断るという選択肢は一切なかった。


「なんですか?」


青井さんはさっきの優しい微笑みのまま言う。


「かいくんには、そらのことをずっと忘れないでいてほしいの。」

「はい…」


ぼくは今までそらちゃんのことを忘れていた、だからこそこれからは忘れないでほしいと、青井さんの願いなんだとぼくは受け取った。


「少しでもいいから、そらがさみしくならないように、ずっと覚えててほしい」

「もちろんです…だけど…ぼくは…そらちゃんのことをずっと忘れてました…」


青井さんは嫌な顔は一切せず、ぼくの言うことを優しく聞いている。


「ぼくは…あんなにぼくのことを大事にしてくれた…かわいがってくれたそらちゃんを…お姉ちゃんみたいな存在だったはずなのに…」


ほんとうに、自分を恥じた。


「ぼくに会いに来てくれたのに…全然…気づけなかった…」


体に力が入る。

しかし、青井さんから帰ってきたのは優しく、包み込むようなものだった。


「そんなことはいいのよ。いま思い出せてるだけでも、そらはきっと喜んでるはずよ。あの子は、本当に優しい子だもの」


ぼくの涙は、泣いても泣いても足りないようだ。


「ありがとうございます…」


握りしめた手を震わせながら、頭を下げた。


「ぼくは…ぼくはそらちゃんに伝えなきゃいけないことが…まだ…。だけど…もうそらちゃんには会えないかもしれない…」


ぼくはまだそらちゃんに言えていないことがたくさんある。


また会わなければならない。


謝らなければならない。


ありがとうって言わなければならない。


「大丈夫、あの子はまた会いに来てくれると思う」

「本当ですか…」

「本当だよ、あの子、かいくんのこと大好きなんだから」


この日のぼくは、青井さんの言葉に救われてばかりだった。


「本当ですか…」

「うん、必ずね」


そう言ってくれた青井さんの目は真っ赤にはれている。






靴を履き、家をでる準備を整える。


「本当に、ありがとうございました。これもいただいてしまって」


ぼくの手には"思い出の海"がしっかりと持たれている。


「うんうん、いいのよ。あの子もかいくんが持ってくれてるなら喜ぶと思うわ」


青井さんは、わざわざ見送りに来てくれている。


「また必ず来ます」

「かいくんがまた来るのいつでも待ってるからね」

「はい。じゃあ、お邪魔しました」


青井さんは笑顔で見送ってくれた。


扉が閉まってから、手元にある"思い出の海"をみつめる。


「もしかしたら…あそこで…」


このあとのぼくの行先はひとつしかなかった。


スマホを取り出し、神栖までの経路を改めて確認する。


スマホをポケットにしまって、ぼくは駅に向かって歩き始めた。


「そらちゃん、待っててね」


あの写真に写っていた海に、そらちゃんが空へと旅立っていった海に。







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