第98話 物流、食料、掌の上
ひとまず面倒なことになりそうな話は置いておいて、料理は冷めないウチに食べるべきだという信念を押し付ける形でマッケンリーとゲオルグ兄さんには目の前の料理を平らげてもらった。
魚料理二品については二人共それなりに喜んで貰えたようで、ついでに出したパン諸共ぺろり。
更には、ゲオルグ兄さんが王都でも耳にする薄皮包みも欲しいとか言い出したが、流石に時間がかかり過ぎるという事で却下。
どうせ暫くはカーネリアに滞在するのだろうから、違う日にしてくれ。
食後に出したマリーのお茶で一息ついたところで、さて、と一言を置いてマッケンリーが事のあらましについて語りだした。
「ブランチウッド商会と繋がりを持ったのは……葡萄酒の取引の際なのでそろそろ1年になるか」
思い起こすように視線を空に向けるマッケンリーに同調するように、兄さんが小さく頷く。
「あの時の直接な目的は葡萄酒の取引だったが、もっと重要な目的があってね」
マッケンリーの言葉を引き継いでゲオルグ兄さんが続ける。
「一番の目的は、ここカーネリアとフォートサイトの物流の確認さ」
フォートサイト、と思わぬ名前が出てきたことに俺もマリーも、思わず視線を合わせてしまう。
フォートサイトはカーネリアよりも西に出来た新興の街で、現在の西部開拓の拠点となっている。
冒険者も多数詰めており、現在では王都に次ぐ活気のある街かもしれない。
……そう考えると、フォートサイトを絡めた儲け話というのはありそうな気がする。
俺にはぱっと思いつかないのだが。
「フォートサイトは開拓の拠点として大きな意味を持っている都市だが、新興の街だけあって色々と足りていないものがある。鉱石や布の類も十全では無いんだが、何より足りていないのは食料だ」
兄さんの言葉にはっとする。
フォートサイトには銀翼の隼時代に行ったことがあるが、確かに飯は正直うまいとは言えなかった。
古くなって酸っぱくなった葡萄酒、硬いパン……はカーネリアも似たようなものだったか、きつい塩漬けやカチカチに乾燥された肉類、勿論葉野菜なんてものはほとんど無かった。
フォートサイト近辺での食料生産が全くされていないという事では無いのだろうが、急激に増えた人口に対しての食料供給が間に合っていないと考えるべきだろう。
ということは、だ。
「足りない食料はカーネリアからの輸送に頼っていた、ということか」
「その通り。にもかかわらず、カーネリアからフォートサイトへの物流は個々の商人が個別に行っているだけだった」
「カーネリアには大きな商会は入ってこなかったからな」
カーネリアという街自体が出来てから50年程という話だったはずだし、大きな商会が根付くにも、大きな商会に成長するにも時間が足りなかったのかもしれない。
ともあれ、カーネリアからフォートサイトへの物流は個々によって賄われているだけなのは正直寝耳に水だったなぁ。
「そこに目をつけたのがベアトリス……というか、元々そのつもりで私をカーネリアに送ったんだろうけど」
そう言うと肩をすくめて見せる兄さん。
なるほど、と頷きそうになったのだが、いやいやちょっと待てよ?
まだ半年程度ではあるが、この街に住んでいる俺でも気づかなかったような物流の状況を、ベティは遠く離れた場所から把握していた、とでもいうのか?
信じられないような話をさも当たり前のように話すゲオルグ兄さんに言葉をなくしていると、それを話の続きを促していると受け取ったのか兄さんが続ける。
「それから半年以上を掛けて、カーネリア周辺の物流関係を徹底的に調べ、人員を確保し、準備を進めてきた。お陰で南方とのつながりも得ることが出来たし、ベティの見立てには舌を巻くよ」
……南方って、もしかして、あれですか?
最近になって南方からの商人が増え、バンナの実やトマがカーネリアに流通し始めたのって、ブランチウッド商会のおかげって事ですか?
……そういや、猫獣人のアルーもブランチウッド商会に雇われた、とか言ってたっけか。
「当初は麦や干物、葡萄酒あたりの日持ちのするものを中心にフォートサイトへ供給する予定だったんだが、そこで思わぬ話が舞い込んで来た。それがドラゴンだ」
あー、やっぱり知ってるんだな。
というか、グラシエラス産の龍の涙を持っているとか持っていないとかそんな話っぽいから、そりゃドラゴンの話は知っているか。
領主代行のリカルドはもとより、冒険者ギルドでもまだ内密の話であるはずのドラゴン。
完全に部外者の兄さんに知られているのはどうなんだろうとは思う。
商人の兄さんに対して情報が漏れるとしたら間違いなくマッケンリーからなんだが、半目で彼へと視線を飛ばせば、マッケンリーはやれやれといった様子で肩をすくめていた。
「どうもあのドラゴン、食料や物資の補給に際して街の商人と直接取引をしたらしくてな。しかも硬貨のかわりに龍の涙を使ったものだから、一部の人間にはあっという間にバレたよ。そんな突飛な行動まで私では対処できんよ」
あー、うん、なんか目に浮かぶなその光景。
あの駄ドラゴンとヴィオラのセットなら十分にやりかねない。
もしかしたら、俺に持ってきた龍の涙を作ったときに一緒にできたやつかもしれない。
「その後、色々あってゲオルグ殿が龍の涙を手にした事で話が大きく変わってな」
その先はなんとなく予想がつく。
あの龍の涙があれば運ぶものの鮮度が劇的に変わる。
俺が貰ったものは水をたちまちに凍らせる程の冷気を発していたが、もう少し小さいものでも食品が傷まないよう冷やす事は可能だろう。
もしくは、食材そのものを凍らせてしまえばより長持ちするかもしれないな。
となれば、やはり考えるのは今まで出来なかったこと。
「傷みやすい食品をフォートサイトに運ぶ算段がついたってことか」
「大凡は理解したようだね。特に生肉」
干し肉や塩漬け肉も別段食えないことはないし、調理方法によっては十分に美味しくいただけるのだが、やはり生肉にしか出せない味というものがある。
冒険者の多いフォートサイトならば、狩りによってある程度は肉類を確保しているかもしれないが、それでも十分ではない様に思う。
ならば牧畜か、といえばそれも簡単ではなく、フォートサイト周辺はまだ未開の地が多く、放牧は難しい。
小屋に入れ、餌を与える方法もあるらしいが、そもそも食料が少ないのに家畜に与える余裕はないだろう。
なればこその生肉、か。
「そこまでは分かったんだが、そこから魚の話にどう繋がるのかがわからないな」
そう、今回の話の最も重要な話は、俺とマリーとで作り上げたレシピを、何故公開しなくてはならないか、だ。
「ブランチウッド商会がフォートサイトへの食料供給を増やすなら、当然、カーネリアの食料が減るということだ。カーネリアは食料については余力がある。ブランチウッド商会の取引程度では問題はない……のだが、今後はどうなるか未知数だ」
なるほど、これもドラゴン騒動の影響が出ているのか。
グラシエラスのダンジョン計画が順調に進めば、多くの場合冒険者を呼び込むことに繋がるのは間違いない訳で……。
「カーネリアは冒険者が増えるが、カーネリアから出ていく食料も増える。となれば、食料の不足が発生する可能性が高い、と言うわけか」
俺が続けるとそれを肯定するようにマッケンリーが頷く。
「作物や畜産物は増やそうと思ってすぐに増やせる物ではないからな。だが、増やそうとしたときにすぐに増やせる物がある」
「なるほど、それが魚か」
農作物は種植えから収穫まで時間が掛かるし、なにより農作地を増やす必要がある。
畜産物に至っては数年単位だ。
その点、魚であれば漁に出る回数を増やせばそれだけ漁獲量が増えるのだから速効性が高い。
「なるほど、なんとなく繋がってきた。商業ギルドとしては食料不足対策の為に魚の流通を増やしたい。が、兄さんとしては売れない物を持ってくるつもりはないから、ちゃんと売れる状況にしてくれるならば考えようと」
「そんなところだね。加えて言えば、魚の輸送にも竜の涙が必要になるから、竜の涙を使うだけの価値が無いと困るんだよ」
種明かし、というほどではないが、兄さんの答えを聞いて話が一本になった。
なんというか、話の規模がでかいなぁ。
これはますます断れなくなってきた。
正直困るんだがなぁ……。
と、ここまで聞いて違和感が発生した。
ここまで大きな話になるのならば、
「いや、ちょっと待て。これだけ大きな話になるならもう商業ギルドの範疇じゃなくないか?」
街全体の食糧不足という話になれば、もはや商業ギルドがどうのというよりも、リカルドの、領主側の話になるはずだ。
そう問いかけた俺に対して、マッケンリーも兄さんも、ニヤァと、悪戯の中身を聞かれた子供のように笑みを浮かべた。
「リカルド様にはこのことは伝えていないさ」
さらっと言いのける兄さんに唖然としてしまう。
……え?伝えてないの?
「街を統治する立場からすれば、食料不足は大きな問題だ。私達のやろうとしている事は間違いなく止められるだろう。けど、商業ギルドからしてみれば大きな儲け話になりそうなのは、クラウスもわかるな?」
そりゃぁ、そうだ。
ブランチウッド商会が全ての生産者と直接交渉して物を仕入れるならばともかく、そうでないならば仕入れに際して仲介に入るであろう商業ギルドには大きな利益が見込める。
「だから、統治府に気づかれないように事前に食料事情を解決しておきたいのさ」
「……なる、ほど、ね」
随分と大胆な話だ。
が、面白い話ではある。
話全体でみれば統治府への背信のリスクのある話ではあるが、うちとしては料理のレシピを教えるだけ。
万が一リカルドにバレたとしても、マッケンリーに料理のレシピを教えただけ、で押し通れる。
というか、だ、仮にレシピを教えないとすれば、ブランチウッド商会の目論見がそもそも破綻するわけで、そうなればカーネリアに魚が入ってこない事になる。
ということは、レシピの存在そのものが意味の無いものになってしまうわけで……リスクを取って今までの苦労を金にするか、リスクを回避して損失を取るか。
まぁ損失は自分たちの苦労と少々の材料費くらいなので大したことはないが……取る選択肢なんて無いに等しいじゃないか。
結局、魚料理の話を真に受けた段階でマッケンリーにいいように踊らされていたってわけか。
こう言ってはなんだが、マッケンリーとはそれなりに親密な仲になったと思っている。
何よりマリーの存在があるので邪険に扱われることはないだろうとは思っていたんだが、そこは海千山千の商業ギルドマスター。
結果的にはウチに損は無いからいいのだが……やはり油断ならんなぁ。
マリーを見やれば、その辺り正確に把握している訳ではなさそうだが、なんとなく状況は理解しているようで、俺に向けて苦笑しながら頷いていた。
「分かった。マリーの了承も得られたし、レシピを教えよう。ただし、トマ煮の方だけな」
ここが譲歩できるギリギリのラインだと思っている。
そもそも、サーディンは今までも活用してきているので新しいレシピが出回ってもそれほど消費量が増えるものでもないと思う。
逆に、トマ煮であればあまり使われて来なかったであろうサバの消費が増えると共に、トマの消費量も増えるはず。
となれば、南方からの輸送も手掛けるつもりらしいブランチウッド商会にとっても利点になるはずだ。
どうだ?とマッケンリーへと視線を向ければ、よろしいとばかりに鷹揚に頷いている。
対する兄さんは少々不服そうだが、これが限界だと言うことも理解してくれたのか、渋々といった様子で頷いてくれた。
「対価や広める方法については後ほど詳しく話をしよう」
「それなりの対価を期待するぞ?」
「それなり、な」
ひとまずこの話は終わり、とばかりにマッケンリーと手を結んだ。
一通りの話し合いが終わったと思えば二人は足早に店を後にした。
これから詳細について話し合う必要があるということなんだろう。
今後、カーネリアの食料事情は大きく変化しそうな予感はあるが、まぁなるようになるしかなるまい。
グラシエラスの登場による余波というのはなんだか思った以上に色々なところに影響を及ぼしているんだなぁと、そんな事をぼんやりと考えながらテーブルを拭きながら、唐突に思い出した。
「しまった、ベティの話聞いてない……まぁいいか」
ベティが会長を継いでいる事に、兄さんが気にしている様子は無かったし、むしろベティを褒めていた。
ならばきっと大丈夫だろうと、そう判断して、俺は夜の営業に向けて仕込みを始めたマリーの元へと向かっていった。
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