ロナウとヴァレリー
ある日、ヴァレリーが中庭を歩いている時だった。
風を切る音が聞こえて、覗いてみると、ロナウ王子が一人、剣の稽古をしていた。
ロナウ王子の姿を見てから、しまったと思った。
見なければ良かった。
もう二度と会いたくないと思っていたのに…
いいや、嘘だ。
訓練場でロナウ王子を見てから、関わりたくないと思いながら、もしかして会えるのではないかと、時々こうして当てもなく歩き回っていたのだ。
こんな奴、恵まれた人間なのだと、ただ恨んでおけばいい。そうすれば、こんな訳のわからない感情に振り回されずに済む。
自分は十分やっているのに、運が悪くて上手くいかない。運のいい、ロナウ王子の様な人間が、全ての幸運を奪っているからなのだと。
身分が高いだけの王子が、身のほど知らずで、自分達のような身分の低い人間は、どんな迷惑をかけられても、ただ耐えるしかない、可哀想な被害者なのだと。
そう思っていれば、楽で気分がいい。
訓練場で、ロナウ王子の話に花を咲かせていた連中のように。
俺はあんな連中とは違うはずだ…
そう思いたかったのかもしれない。
あの場面を見なければ、ヴァレリーもずっと、ロナウ王子は我儘で自分のような人間は被害者なのだと運命を呪っていたかもしれない。
その方が楽だったと、今は思う。
胸が、重く、ギリギリ痛む。
逃げ出したんだ、俺は。
認めたくなかった。
子供の頃はこうじゃなかった。
正しくあろう、努力しようと前向きだった。
それが、年を重ねるにつれ、そう、挫折して投げ出したんだ。
努力が全て裏目に出て、周囲から謗られた。
だから自分を誤魔化して、格好つけて、嘘を吐くのが上手くなった。
周りに合わせて、適当に手を抜くようになった。
耳に聞こえのいい言葉を口にした。
その方が周りと上手くやっていけるようになった。
これでいいのだと、俺は自分に言い聞かせていた。
「何か用か?」
ロナウが、ヴァレリーに振り向かずに言った。
最初から気付いていたようだが、ヴァレリーがあまりにも何も言わずに、佇んでいたので、耐えかねたようだ。
「いえね、俺も一緒に稽古したいと思いまして。」
「好きにすればいい。」
「お相手願えませんか?」
ヴァレリーがそう言うと、ロナウは逡巡する様子を見せた。
「俺は手を抜いたりはしませんよ?」
そう言うと、ロナウは無言で大きく目を見開いた。
精巧な人形のような顔が変化するのを、興味深く見ていた。
こんな人でも、表情があるのかとヴァレリーは面白く思った。
「…いいだろう。」
何を思っているのか、ロナウは鋭い目を向けて剣を構えた。
ヴァレリーも、上着を脱ぎ、訓練で使っている剣を構えた。
決着は一瞬でついた。
気付いた時には、ヴァレリーは地面に転がされていた。
多少、もちろん多少は王子に怪我をさせてはいけないという気持ちがあった。
手を抜こうと思っていた訳ではないが、ロナウ王子の態度が気になって、様子を探ろうとしたのだ。
もう少し、儀礼的に進むのかと思ったのだが、こちらが構えた途端、切り込まれた。
不意を付かれた、という言い訳はしたくない。
ロナウは、用事は終わったとばかりに、去ろうとした。
「待って下さい!」
ロナウは背中を向けていたが、気のせいではなく、ため息をついていた。
「…何だ?」
「もう1戦、お願いします。」
ロナウは、胡乱な目を向け、剣を構えた。
「いいだろう。」
…悪くない。
実力は拮抗してる、はずだ。
ロナウの様子を伺ってみる。
最初は冷ややかだったのが、熱が入ってきてるように見える。
そうすると、気になるのが最初の態度なのだが、何だったのか。
「殿下。」
一区切りついた時に、聞いてみることにした。
「何だ?」
心なしか、態度が柔らかくなった気がする。
「俺が折角の稽古を邪魔してしまい、お気に障りましたか?」
ロナウは、透けるような蒼い瞳を伏せ、何事か考えてから、口を開いた。
「そうではない。そうではなくて…。どうせ離れるなら、早い方がいいと思っただけだ。…俺を誰もが忌避する。」
「ああ…」
訓練場での出来事を思い出す。
中途半端に居心地の悪い思いをするよりは、はっきり決別した方がいいと、叩きのめしたのか。
「…それで、お一人で稽古を?」
「俺が居ない方が、心安らかなのだろう。」
静かな目で遠くを見遣る。
こんなことは知りたくも無かったはずだが、同時にロナウのこんな所は自分だけが知っているのではという優越感を感じた。
「提案なのですが、これからもこうして一緒に稽古しませんか?」
「…ここでか?」
「いけませんか?」
「何もないだろう?」
先程までは圧倒的に見えたロナウだが、酷くまごついている。
意思の強そうな眉が下がり、視線が泳いでいた。
もしかして…
「俺を友人にしてくれませんか?」
揺さぶりをかけてみることにした。
「え…」
案の定、大きな瞳をひたと向け、言葉に詰まった。
「俺のような者が、友人だなどと、おこがましいですね。」
「いいや、別にそういう訳じゃない。ただ、こんな何も無い所では詰まらないのではないかと…」
「いえ、十分ですよ。殿下とは失礼ながら、実力が拮抗してるので、いい訓練になります。」
「なら、いいが…」
あの、氷のような王子が、しどろもどろになっている。
ヴァレリーは、落ち着きを取り戻した。
「では、親友と認めて下さいますね。ロナウとお呼びしても?俺のことは、ヴァレリーと。」
「分かった。ヴァレリー。」
これでいい。
寂しい王子様の友達になって差し上げよう。
何もかも持ち合わせてる、完全無欠な王子様の唯一、持ち合わせないものを俺が満たしてやろう。
そうしている間は、いい友人として側にいてやろう。
これなら、かろうじて耐えられる。
ロナウに堪らなく感じる劣等感の帳尻を、合わせることができる。
舞踏会で女に囲まれ、右往左往している所に、声を掛けてやったら、花が開くように微笑み、俺を信頼し、頼りきっていた。
そんな顔を俺にだけ向けるという事実に、昏い喜びを感じていた。
お前がそういう態度でいる限り、俺は自分を保てる。
俺だけが、お前を満たし、助けてやれる。
その限りは、いい親友を演じてやろう。
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