第15話 契約のススメとドS騎士

「さて、すぐに窓の修理をしなければなりませんね」

 パンと手を叩いて、ヴィンは言った。

「部屋を移るのは簡単ですが、慣れた部屋以外を使うもなんでしょうし」

「ヴィンに頼らなくても私一人でもできるよ! ハンカチとか使ってペタッとすればホラ」

「流石にそれでは心許ないような……。しかしその前に朝食の準備をします。お腹が空いたでしょう」

「そんなこと」

 無いよと否定しようとしたけど、お腹のほうは黙ってなかった。ぐーと鳴った。体は正直。

「すぐご用意いたしますね。ここまで持って参りますので、少々お待ちいただけますか」

「え、持ってきてくれるの?」

「はい。ロマーナ様は朝のお支度もあるでしょう。早急の用とはいえ、不躾にお部屋に上がり失礼いたしました」

「あ……」

 今更状況を理解して、顔を赤らめる。そういえば私、着替えてすらないんだった。イイ女計画は前途多難である。

「ついでにこの布饅頭も預かりますね」

「ガルルルゥ! 嫌だ! 我コイツ嫌い!」

「着火」

「クゥン!」

 そして彼は、既にアッシュの扱い方を会得したようだ。大人しくなったアッシュを片手に、ヴィンは頭を下げる。

「ロマーナ様はゆっくり過ごされてください。ご用意ができるまで、少々お時間をいただきますので」

「う、うん、ありがとう」

「では」

 最後に優しい笑みを残し、ヴィンとアッシュは部屋を出ていく。そうして、ドアの閉まる音と共にようやく私は。

「……あ。あの女の人、結局誰だったんだろう……」

 最重要事項についてすっかり尋ね忘れていたことを、思い出したのである。




 冷たい廊下を、温度の無い騎士が歩いていく。もけもけと動く、灰色の犬のぬいぐるみを携えて。

「――貴様、ヴィンと言ったか」

 低い声が響く。人によっては、威厳があるように聞こえなくもないだろう。

「その体、どうなっている? 少なくとも生者のものでは無いな。さりとて死者のように、ただ動かず腐り果てるだけでもない」

「……」

「体に巡る魔力も奇妙だ。通常ニンゲンではありえない動きをしている。あたかも……そうだ。死んだ瞬間から、力尽くで時を止めているかのような」

「……」

「貴様、己の肉体に何をした?」

 対するヴィンは、ようやく首を横に振って答える。

「教える義理はありません。言っておきますが、僕はお優しいロマーナ様と違って、あなたを信用したわけでは無いので」

「我とて馴れ合いなど望んでおらぬわ。しかし……幾分興味はある」

 アッシュは身を乗り出し、短い腕をヴィンの胸へと当てた。

「ここだ。ここに、貴様のかりそめの命がある」

「……」

「どれほど保持できるのかは知らぬが、所詮ニンゲンの作るモノであればいずれ滅びの時が訪れるのだろう。加えて、見たところかなり無理な使い方をしておるようだ。あるいは、あまり長くはもたないのかもしれぬ」

「……だから何ですか?」

「あの小娘――ロマーナと同じ時間を、少しでも過ごしたいのではないか?」

 ヴィンのエメラルドの瞳が鋭くなる。唇は固く結ばれ、何の音も発さなくなる。

「ニンゲンの生は、我の瞬きの内に終わる。ゆえにこそ取り憑かれたように求め、長く世に在ろうとするものだ。そしてヴィン。貴様からは、特に強い執着の匂いがする」

「……」

「のう。我と契約を交わすがいい」

 注がれる冷たい視線に一切臆すること無く、愉悦を孕んだ声が紡がれる。

「さすれば貴様のかりそめの命も多少は伸びようというもの。ロマーナと共にいたいのだろう? 我と契約しさえすれば、叶えられる願いだ」

「……」

「ただ一言、『契約する』と言えばいい。それだけで、貴様の望みも執着も満たされる」

「……まったく、あなたという方は」

 扉を開け、ヴィンは薄暗い部屋に入る。様々な器具が並ぶそこは、少なくともキッチンでないことだけは確かだ。彼は迷いなく一つの引き出しを開けて糸を取り出すと、ぐるぐるとアッシュに巻きつけ始めた。

「お、おい、何を」

「何を言い出すかと思えば、契約だの執着だの馬鹿馬鹿しい。僕に選択肢などあって無いようなものなのに」

「離せ! 何をするつもりだ!」

「あなたの言うかりそめの命は、僕が自由にできるものじゃない。ロマーナ様を守るために預けられたものなのです。故に、契約の土台にすら上げることができない」

「グェッ!?」

 ヴィンはビンと糸を引き、アッシュの体に食い込ませる。固結びをし、糸を捻りながら手際よく拘束していく。

「……あなたは僕を“覗いて”知ったつもりになっているのでしょうが、とんだ思い上がりですね」

「ぐおっ……!」

「ところで、ぬいぐるみの布には封印の魔法が使われているということでしたが、どうしてあなたはそれを燃やされることを嫌がるのでしょう? 順当に考えると布が無くなれば封印は解け、あなたは自由になるはずなのに」

「そ、それは……!」

「言葉に詰まるのなら、代わりに答えて差し上げましょう。――魔法が施されているのは、ぬいぐるみの布にではない。あなたの皮膚に直接描かれているからです」

「ガゥッ!?」

「おや、素直な反応」

 ヴィンはにたりと笑う。とてもロマーナには見せられない、凶悪な笑みで。

「あなたがどういう存在なのかは、知ったこっちゃありませんが、正直なのは美点ですよ。おりこうさんです」

「グルルゥ……」

「さて、何をするつもりかと問われていましたね。こちらも答えてあげましょうか」

 ギュッと締め上げ、糸の終点を結ぶ。これでぬいぐるみは、下処理をされる肉塊のように身動きが取れなくなった。

「そうですねぇ……。魔法を足すと言えばいいでしょうか。あなたにかけられている封印の魔法に、更に文字を書き込むのです」

「なっ……! そんなことできるわけが!」

「ないと思うでしょう。ですが僕も、無駄に百年を過ごしてきたわけではないのです」

 ここでようやくアッシュは気づいた。いつのまにかヴィンの背後で大きな鍋が煮立っており、その下には魔法陣が描かれていることを。

「――ロマーナ様のお名前を出したのは失敗でしたね。それさえ無ければ、もう少し手心を加えてあげたものを」

「貴様、まさかその魔法は……! やめろ! 行使すれば、代償で貴様の体が弾け飛ぶぞ!」

「それ僕にとっては代償でも何でも無いんですよね。なんせほら、不死なので」

「え、ちょっ、待っ……ワーーーーーーン!!!!」

 哀れなるぬいぐるみに影が迫る。アッシュの悲鳴は、ロマーナの部屋まで届くことは無かった。

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