名吉村の神隠し    ≪ この探偵は「ち」を愛でる ≫

寄賀あける

1  探偵事務所 『ハヤブサの目』

「面倒くさいから、代わりに行ってよ」


 ほる隼人はやとが僕に言う。冬だし、部屋の中なのに、トレードマークの少し黄色いサングラスはいつも通りだ。だが服は、着古したTシャツにジーンズ、出かける気はないらしい。


 出張先はどうやら山奥、最寄り駅からタクシーで一時間じゃ着きそうもないへんな場所。隼人が自分で行くなんて、まぁ、有り得ない。


「いや、断る」

隼人が行くとは思えない、だけど僕だって行きたくない。


「かなりの豪雪地と見た。ただでさえ貧血気味なのに、そんなところに行ったら寒さで眩暈めまいを起こしそうだ」

「大丈夫だって、心配し過ぎだよ」


「そんな事言って……こないだ猛暑の○○盆地に行かされた時は熱中症で、もう少しで病院に連れて行かれそうになったじゃないか」

「ちゃんとボクが助けたよね」

いけしゃあしゃあと隼人が笑う。


「ぶっ倒れた僕のために、みんなが救急車を呼んでいるすきに、周囲の目をかすめて僕をかっさらっただけじゃないか。あの後きっとあそこじゃ大騒ぎだ」

僕の抗議は隼人には通じない。


「バンちゃん、もうちょっと健康管理に気を付けようね」

ニッコリ笑ったって、騙されるものか。と、いつも僕は思う。思う……


「○○県、あの山ばっかのあそこ、のきちむらってところ。若い女の子ばかり立て続けに五人もいなくなった。しかも村に行ける唯一の道が雪崩なだれで封鎖されている間の出来事だ。道路の閉鎖は解除されているから、今なら村に行ける」


「あ……」

僕に構わず隼人が勝手に話し始める。


「バンちゃんのだぁい好きな密室、しかも若い女の子。行かないなんて、言わないよね?」

「う……しかし、密室って言うにはいささか広すぎないか? それに五人もいなくなりゃ警察だって動くんじゃ?」


「警察は集団家出と見ているらしい。だが、村人たちはそう思っちゃいない。なきかみたたりだと信じている」

「無血神って?」

使い捨てライターでタバコに火を点け、ふうっと隼人が煙を吐く。


「土地神らしいよ。如何いかにも怪しいよね。で、バンちゃん、コーヒーれて」

「いいけど、僕に煙を吹き掛けるな」


 隼人の話によると、最初の娘が姿を消したのは七日前だったらしい。らしいというのは家人に友達のところに泊まる、と言って出掛けたが、友人宅に来なかったのが判ったのが三日後だからだ。ちなみに雪崩は八日前の深夜に起こっている。


 そして六日前には二人目、これは牛の世話をすると言って出たきり母屋に帰ってこなかった。当然、牛小屋にもいない。そして五日前には三人目、と毎日誰かが姿を消した。


 三人目の時、最初の娘の親が騒ぎ出して、友人宅に来ていないことが判っている。三人目が、最初の娘が行くと言っていた友人だった。ここで村人たちも焦り始め、娘のいる家では外出させないようにしたが、家にいるはずの娘が消えた。四人目、五人目の事だ。


「で、六日目、雪崩で閉鎖されていた道路が開通した。と同時に新たに行方不明者がでるのも終わった。二日前の事だ」


 コーヒーに砂糖を山盛り四杯、ミルクポーションを二つ入れながら隼人が言う。湯気ゆげで曇ると、サングラスを外した。


 右目は薄いレモンイエロー、左目は薄い灰銀色の虹彩、珍しい色の上、オッドアイの隼人は人前でサングラスを外さない。外ではいつもオレンジジュースだ。ガムシロップ三つとミルクポーション二つ、と頼んで嫌がられて以来、アイスコーヒーは頼まないらしい。


 ラーメン屋のそうさんによると、嫌がられたのではなく、気になってたコーヒーショップの店員さんに笑われたのがショックだったってのが真相だそうだ。肩まで伸ばしたサラサラの髪に派手なスーツを決め込んだイエローカラーのグラサンの男が、コーヒーの味が判るのかってくらい甘くする。笑った人の気持ちが判らないでもない。


 ラーメン屋と言えば、隼人はラーメン大好きだが、奏さんの店『めん』以外では食べない。自分で作るなんて、もちろん面倒だからやるはずもない。


 奏さんは一人で店を切り盛りしていて、そして隼人が素顔を見せる数少ない仲間の一人だ。他の客がいなくなる閉店時間を狙って隼人は美都麺に行く。


 数少ない仲間……奏さんは鉢金入りの鉢巻きを外したことがない。


「で、バンちゃん。村長は行方不明の五人を見つけ出して欲しいそうだ。生きているうちに」

「生きている?」


「警察は家出じゃなければ山の傾斜に滑り落ちた、つまりもう命はないものと、本格的に捜索する気はない。雪の季節が終わらなければ、斜面の捜索は危険だ、とね」

「でも、村の人たちは生きていると信じているんだね。まぁ、親や知り合いは死んだとは思いたくないよね」


「謎なのは、村長は無血神の祟りだとボクには言うのに、警察には一切言っていないってあたり。その上、無血神の祟りなのだから、次の満月まで娘たちは生きている、と村長は力説する」


「なぜ警察にそれを言わないんだ?」

「だから『謎』だとボクは言った」


 ふん、と隼人が鼻で笑いながら、煙草を灰皿に押し付けて消す。


「それじゃ、ボクはシャワーを浴びてくる。ずきばんくん、キミはボクが出てくるまでに支度を終えておくように」

「おい、まだ引き受けるとは……」

隼人が聞く耳を持っているはずはない。


 ほる隼人はやとと僕、ずきばんは探偵事務所『ハヤブサの目』を経営している。所長が隼人、そして何でも兼任の所員が僕、の二人所帯だ。便宜上、隼人が所長になっているが、共同経営だ。


 と言っても、隼人が現場に行くのは仕事が終わってからが多く、顔さえ出さない時もある。僕で手が足りなければ、必要に応じて隼人が援軍を呼んでくる。


 八王子駅南口から少し上った斜面に立つ古家の、一階に事務所を構えていた。僕が知る限り、この事務所に客が来たことはない。依頼はいつも隼人がメールで請けている。


 古家の二階は、割と居心地のいい3LDKで、隼人と僕が一部屋ずつ使い、もう一部屋は外階段も使えるからか、客間と称して隼人が女を連れ込むのに使っている。と言うわけで、その部屋の内部を僕は見たことがない。


 次の満月まであと三週間。最長、二十日の滞在を考えると、スーツケースはあっという間にパンパンになった。何とか押し込もうとしているとき、部屋のドアがノックされた。隼人がシャワーを終えたと合図したのだ。


 やっとのことでスーツケースを閉じて行ってみると、隼人はコップに注いだ赤い液体を上半身裸のままキッチンで飲んでいる。甘酸っぱい匂い、きっとアセロラだろう。僕に気が付くと、にっこり笑って近寄ってくる。笑みを浮かべた唇の端に、微かにアセロラの赤い色が残っている。


「行ってくれるよね?」


 細身だけれど均整の取れた身体、無駄な脂肪も余計な筋肉もない、だからこそ空を飛べる美しい身体 ――


「うん。隼人の頼みを断った事なんかないだろう?」

「そうだね、それでこそボクのバンちゃんだ」


隼人がそっと僕の首に腕を回す。僕の目の前に隼人の首筋が露わになる。我慢できずに僕は、隼人を抱き締めるとその首筋に唇を寄せた ――


 事が終わると隼人は、いつものようにクスリと笑い、

「ほんと、バンちゃん、いい子だね」

と、僕の口角を指で拭った。


 そしてすぐに

「これで当分お悪戯いたする気も起こさないだろうから、ボクとしても安心だ……さて、そろそろ行かないと、電車の時間だよ」

と、僕を追い立てる。


 電車の切符はこれ、降車駅までは村長が迎えの車を寄越すから心配ない、と慌ただしくしている中、

「あ、そうそう、バンちゃん一人じゃ荷が重そうだから、援軍を呼んでおいたよ。後でメッセージ、送るね」

隼人が早口で言っていた。


 八王子で特急に乗れば、程なく富士山が見えてくる。その頃、隼人からメッセージが届く。

「援軍二人とは現地で合流。なんとしてでも満月の前までにミッションクリア、頑張れ」


 添付された画像を開くと、二人の人物がこちらに向かって微笑んでいる。二人そろってグレイの髪、一人は短髪の男、もう一人も男だが見た目はロングヘアの女、双子の兄弟だ。そして人狼だ。


 知性を失う満月の夜に、二人そろって襲ってきたら、僕なんか簡単に食われちまう。

(はいはい、満月の前までには解決するよ)


 乗換駅まで不貞寝ふてねしよう、眠れないだろうと思いながら僕は目を閉じた。

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