1-8

「……あっ……げほっ……!」


 棚に整理整頓されていた数々のアイテムは床に散らばり、金属製の棚は所どころへこませながら床になぎ倒されていた。


 ――藤代はいくつものスキューバダイビングアイテムにぐったりと身を預けていた。口元からは赤い液体が零れ、痛みに顔を歪ませている。彼女の腕、脇腹、左胸、太ももには空気ボンベの破片が突き刺さっていた。着用しているオレンジのブレザーが赤に染まっていく。


(あい……つ……、あいつは……! あいつはどこにっ!!)


 痛みに顔を歪ませながらも目の動きだけで藤代は周囲を見渡す。そして倒すべき敵は目の前にのこのこと現れた。藤代が炎を浴びせたウェットスーツ裏から。――まったくの無傷で。


「どういうことa? なんて言いたそうな目をしてますけど?」


 少年は横たわる少女を真上から覗き込んだ。外部の炎に照らされた少年の顔つきが藤代の瞳に映る。彼は爽やかな面持ちで、わずかに微笑んでいた。


「あらかじめボンベに数式を組んでいたんです。シールド魔法『防御プロテクト』のね。あなたが攻撃する瞬間にそれを発動させただけですよ? たったそれだけです」

「……たった、……それだけ? 何を言って……るの……よ…………?」


 愕然とした顔で、茶髪の少年を見た藤代。

 数式魔法を発動させる方法には二通りある。一つ目は個人の与えられた記述用紙スペースにあらかじめ数式を組んでおく方法。そして二つ目は、R4にあるあらゆる物体に数式という文字を書いていく方法。この方法のメリットは、とにかく数式の制限がないこと。書けるスペースに限りがないので、時間の許す限り数式を書くことができる。


(だからっておかしいわよ! そんな方法で闘う人間なんて……!?)


 反面、デメリットも存在する。それは、短時間でミスをせずに長い数式を書いていくことなど不可能に近いという点。たとえ本などを見ながら周辺の壁や地面に長い数式を模写したところで、ほとんどの確率でミスは起こる。ミスが起これば魔法は正確に発動しない。それに時間の経過によって壁などの落書きはシステムの関係上、徐々に消えていく。


 この方法が使用される場合はあるが、どれも数行で組むことができる魔法ばかり。

 初心者が『防御プロテクト』の数式をその場で、この緊迫した状況で組んだなんて有り得えるはずがなかった。それでこそ超人の域、神様の領域でしか為せることのできない業。


「『防御プロテクト』ってデフォルトであるんですよね。小型端末にも載っていますよ。ほらっ、僕はこれをコピーしただけです」


 宮西はスマートフォン型の『R4ナビ』の画面を藤代に見せた。そこに書かれてあるのは初心者用のシールド魔法『防御プロテクト』の数式魔法。だが、初心者用の簡単な数式で構成されている魔法だからこそ、発動させるための数式は長い。これを一つでも間違えると上手く発動しないはずだろう。


「世の中にある不思議なチカラは魔法だけじゃないんですよ? ま、というか僕がここに来た理由だって、このチカラの正体を探るためですけど」


 ボンベの破片による傷で意識こそあるものの、藤代の身体は脳の命令で動かせるような気配はなかった。


       ◇


 宮西京は藤代みなみの諦め顔を見届けると、静かに目を瞑り、己の中に眠る『魔法使い』に感謝の気持ちを捧げた。


 ――――正体不明の体質のうりょく、宮西京の体内に宿るもう一つの人格とも呼べるべきもの。


 彼の身体はある時、まるで独立した人格を持っているかのように、宮西の意志に呼応するか、もしくはひとりでに動き出す。高速で数式を書きあげたり、行くべき道を案内したり、ペーパーテストの解答を勝手に書き始めたり……どれも素早く精密な動作で。


「潔く負けを認めてほしいのですけれど、構いませんか?」

「……いやぁ……やだぁ……」


 藤代はゆっくりと首を横に振る。その声は弱弱しくて、駄々を捏ねる子供を連想させた。

 宮西は困りましたと言いたげに肩をすくめたが、


「……ミヤニシ……キョウ……」


 倒れ込む少女に急いで顔を向けた宮西。おかしい、自分は名乗ってないはず! そう思いすぐに彼女の様子を確認した。


「……このっ、全部……、ぜーんぶ『宮西京』が悪いんだから! ソイツのせいであたしはリーダーを追い出されたんだから! あたしは悪くないもん……悪くないもん!」


 弱弱しくコンクリート製の地面を叩く藤代。自身を見下ろす人間がまさに彼女が恨む『宮西京』だと知らずに。


(……おかしい、僕、なにかしたのか? いや、まだR4に来て一週間ちょっとのはず……。現実世界でもこの人には会ったことないはずだし……)


 口ぶりから察するに、『宮西京』が原因で、彼女はチームから追い出されてしまったということは読み取れた。しかし、どういった理由で『宮西京』が絡んだというのは全くの不明。


(ま、ここではこれ以上の考察はできないでしょう……)


 宮西は藤代の傍に転がっていた彼女のR4ナビを、小さく腰を折って拾う。同じオレンジ色のブレザーを着用した人たちと仲良く映ったプリクラがナビの背面に貼ってあった。

 宮西はナビを操作していく。


(おっ、なるほどなるほど。結構難しそうな数式ばかりですねぇ。えーっと、これはさっきの方程式で、んーっとこれは……何だろう? ま、一週間あれば大丈夫かな? ちょっと変えれば爆発の魔法になりそうかも)


 一通り藤代の魔法『紅に染まる無限世界アンリミテッドクリムゾン』を構成する数式を確認し、彼の能力で所持していたトランプにコピーをした。コピーを終えると、宮西はそっとしゃがみこんで、


「このままじゃ出血多量でHPなくなっちゃいますよ? 端末までは少し遠いですけど、自力で歩けますか?」


 彼が言う端末とはR4内で至る箇所に設置されてあるもので、数式魔法の作成、ログアウト、HPの回復など多数の機能を持ち合わせているコンピュータである。

 藤代は悔しそうにぐっと下唇を噛み、黙りこくる。


「たとえ仮想現実であっても人を殺めたくはありません。だから助けてあげますよ」


 そう言って、宮西は藤代の背中と膝の裏に手を回し、よいしょと持ち上げた。


「……うっ、結構おも……いや、何でもないです……」


 自主規制で口を慎み、宮西は実験施設の外に出た。


「…………うわぁ」


 その時、上空には数えきれないほどの星々が夜空を彩り始める。宮西は藤代を抱えながら、そっと微笑んで輝く星々を見守った。

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