最強の牙 改定版

 四日後、出撃となった。

 それは新潟ベース史上最大の作戦だった。十四の全戦闘部隊が出撃し、トレンチ・エキスカベータも四基全てが同時に投入される。

 出撃時はいつもピリピリした雰囲気に包まれるが、今回の出撃はいつも以上だった。

 地裂は巨大だった。長さが東西方向に六キロあり、山裾から海岸線まで続いている。地裂本体から枝のように広がった副地裂は四本。それぞれ数キロの長さであり、合計で十四キロの地裂となっていた。

 しかも、基地から七キロと比較的近い位置に発生している。移動不可区域は十八キロ離れた位置からだが、それが一気に十一キロ狭まった状態だ。オセロの駒を一個ずつひっくり返していたら、急に盤ごとひっくり返されたようなものだ。

 その十一キロの区間には十二の避難所があり、約四千人が暮らしている。もし地裂を無効化することができなければ、その四千人を見殺しにすることになる。人的被害の規模も大きい。絶対に負けるわけにはいかなかった。

 移動車両には、十五人の兵士と、カメラマンが一人。欠員のままの席には、兵士が補充されることはなかった。恐らくもういないのだろう。兵士になれる若者は。

 いつもより短い時間で現場に到着し、皆が降りていく。外では青い砂塵が舞い上がっていた。いつもより風が強く、視界が悪い。

 私のカメラは防塵仕様らしいので、例えば砂漠やサバンナのような場所でも問題なく使えるらしい。レンズ表面にはもう砂がついていたが、うかつにこするとレンズのガラスが傷ついてしまう。面倒だが、ブロワーというふいごのような道具を使い風圧で砂を吹き飛ばす。

 地裂までは一〇〇メートルの距離だったが、地裂はいつもより大きく見えた。延長が長いというだけでなく、地裂部分の地面の盛り上がりが大きい。普通はせいぜい二メートルだが……数倍はあるように見える。裂け目からは盛んに青いブルーガスが噴出していた。拡散態地殻獣も多数確認できる。

 私は戦場の状況を目視しながら近づいていく。いつもと同じ、地裂から五十メートルの距離。いつもと同じはずだが、しかし、拡散態地殻獣の様子が違った。

 明らかに大きい。普段は一メートルほどの球体だが、今出てきているのは二メートルを超えている。地裂も大きいから遠くからではわからなかったが、接近している兵士と比べるとよくわかる。地裂も、拡散態地殻獣も、どちらも異様に大きかった。

 地裂の大きさが地殻獣の大きさに比例するという話は聞いたことがなかった。だとすると、これも突然変異なのだろうか? 大型の個体が生き残り、その形質が地底の本体にも伝播する。生存に有利な変異が、特性として拡散態に反映される。理屈は分からないではないが、しかし、その速度が早すぎる。

 数センチずつ大きくなるとかではなく、今日、いきなり二倍になっている。生物の進化とは全く違う速度だ。数万年かけて起こる変化、進化が、数日か、数週間程度で発生している。何億年も地殻の中で変わらずに生きていたはずなのに、何なんだ、こいつらの進化の速度は。

 しかし、兵士たちの役割は変わらない。削撃銃で地殻獣を殺し、トレンチ・エキスカベータの進路を啓開するのだ。

 削撃銃の音が聞こえ始めた。重い音が響き、そして弾芯の弾かれる音が続く。傾斜した外側で弾かれているのではない。ほぼ真ん中に着弾しているのに、弾かれているのだ。

 衝撃が足りず劈開に至っていない。大きいからなのか、それとも別の理由があるのか。もし理由があるのなら、私のカメラで捉えなければいけない。

 一人の兵士が左右にジグザグに動きながら後退し、削撃銃で撃ち続ける。今では後ろ姿で、なんとなく誰か分かるようになった。佐々木だろう。背が高く、射撃もうまい。しかしその佐々木が、四発撃っても地殻獣は劈開しなかった。当たった場所は砕けているのだが、やはり、衝撃が足りていないようだった。

 傾斜装甲で防いでいるとか、そういう小手先の問題ではない。削撃銃が通用しないのだ。これ以上強力な武器はない。あとは戦車とか戦闘機くらいのものだが、新潟ベースにはない。というか、この世界にはもう残っていない可能性が高い。手詰まりだった。

 手詰まりだった?

 私は他人事のように判じた自分の思考を疑った。何人の命がかかっていると思っているんだ。四千人だ。その命がかかった戦いなんだ。

 それに、地裂を無効化できないと、そこを起点にどんどん地裂が増えていく。長岡市の周辺はそのせいで、僅か三日で市のほとんどを失った。今回の地裂も放っておけば、あっという間に基地本部まで地裂が広がってくる可能性がある。

 手詰まりなどど言ってはいられない。しかし、私はただのカメラマンだった。戦いを見守ることしかできない。しかし、何かを見つけられるかもしれない。

 佐々木は六発目を撃った。中心より僅かに右にそれていたが、しかし、拡散態の表面が薄く割れた。劈開だ。拡散態は前進をやめ、逃げるように横に転がり始めた。

 中心での劈開は無理でも、少しずらして撃ち込めば、浅くだが側面に向かって割れるようだった。だがずらしすぎると、今度は表面の傾斜で弾かれてしまう。射撃には絶妙な調整が必要となる。佐々木にはそれができたようだ。

 佐々木は弾倉を入れ替える。弾倉一つで六発だ。装填するものの他に予備弾倉を三つ携行しており、計二十四発持っている。残り十八発だ。

 七発目を佐々木は撃った。狙いは劈開を起こした断面の中心で、拡散態は真っ二つに割れた。一度劈開を起こした断面は弱部になるらしい。でかいが、殺せる。

 この情報を皆にも伝えなければいけない。だが……手段がなかった。無線はあるが、受信のみで、私から発信することはできない。車両まで戻れば無線を使わせてくれるかもしれないが、戻っている時間はない。必要なのは今だ。持ち帰って分析して明日に使うというわけにはいかない。ここで地殻獣を止めなければ、四千人の明日が消えるのだ。

 どう伝えればいい? 一人一人に走って伝えるか? 無理だ。戦闘中にそんな余裕はない。やはり、車両まで走って戻って無線を使わせてもらうか。下手すると軍法会議ものだが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

 左に別の兵士がいる。多分……寝屋だ。射撃の腕は普通だ。後退しながら弾倉を取り換えているが、拡散態は劈開している様子はなかった。

 佐々木並の射撃の腕となると数人だけだ。それに、少しずらして撃つということに気付くとも限らない。

 佐々木が二匹目の拡散態を、手際よく二発で仕留める。そして寝屋の方へ近づいていく。となると……とりあえず寝屋の方は大丈夫そうだ。

 三百メートルほど右にトレンチ・エキスカベータの影が見えた。砂塵でぼんやりとしているが、その影が地裂に近づいていく。

 今日はこの地裂以外に対処する地裂はない。必要ならいつまでも待てる。しかし時間をかけすぎると、せっかく拡散態を殺したのに新しいのが出てくる可能性がある。用意したセメントミルクも固化して使えなくなってしまう。

 今のところ戦況は悪い。拡散態は二割も死んでいないだろう。このペースではいつまでかかるか分からない。それに、やがて弾も尽きてしまう。

 恐らく、掃討が終わっていなくてもトレンチ・エキスカベータは地裂を切り裂いていくだろう。拡散態が妨害してくるはずだが、構っていられない。取り付いてくるものを各個に破壊していくしかない。

 寝屋や他の兵士たちも、拡散態を劈開させ殺せるようになってきた。他の兵士のやり方を見て、真似ているらしい。伝えなければと思ったが、杞憂だったようだ。彼らは私が思っている以上に優秀だ。

 拡散態が次々に殺されていく。トレンチ・エキスカベータが地裂に取り付く準備をし、トレンチ・カッターが回り始める。拡散態は半分近くに減っているように見えた。まだ多いが、殺し方が分かっているのなら、時間の問題だろう。

 私は少し近づいて、戦いの様子を撮ろうと思った。地裂も拡散態も大きかったが、この様子なら問題ない。となれば、資料としての映像を残すことに専念しなければ。

 一瞬、光が見えた。地裂から激しい光が放たれ、そして吹き飛ばーー。


 気付くと、私は地面に倒れていた。右半身を下にして、カメラを握って倒れている。

 ここが戦場であることは何となく分かった。ガスマスクとゴーグルをつけていて、遠くに地裂が見える。ここは寝室ではない。そして夢の中でもない。

 何故寝ていたんだ? 私は起き上がり、痛む頭を押さえた。すると、ヘルメットにへこみがあった。何かがぶつかったのだ。金属製のヘルメットが変形するほどの衝撃で。酸素マスクやゴーグルが外れていなくてよかった。吸えば死ぬし、目などの粘膜に触れても危険だ。

 そうだ……何かが光った。爆発のような……そう、吹き飛ばされたのだ。

 何が爆発した? 味方の攻撃ではないだろう。地裂を爆発しても却って拡散を助長することは分かっているし、それにもう爆弾なんて残っていないはずだ。

 だとすると……あれは? 地裂の一部が大きく抉れていた。まるで爆破したとしか思えないような状態になっている。内側から破裂したように、土や地裂が丸く抉れている。

 私は右の方に何かを見つけた。ゴーグルが汚い。光が乱反射しているようだった。手袋の指で擦るが……しかし、見えているものは変わらなかった。

 キラキラと光る塊。

 それは地殻獣だった。丸みを帯び、少し細長い。それにとてつもなく大きい。二メートルとか、そんなサイズじゃない。桁が違う。

 そいつは芋虫のように蠢動しトレンチ・エキスカベータに向かって動いていたが、大きさがほとんど同じだった。

 エキスカベータの全高は、カッター部を支える中央のケーブルタワーの部分で約六十メートル、タワーを除いても三十メートルはあるが、今目にしている地殻獣の高さは、エキスカベータとほとんど同じだった。長さもそうだ。トレンチ・エキスカベータは途方もなく大きいが、この地殻獣も、途方もなく大きかった。こいつが、あの地裂の大きく抉れた所から飛び出てきたらしい。

 トレンチ・エキスカベータは既に地裂を掘削していた。このままでは巨大地殻獣とぶつかるが、そのまま直進する気のようだ。

 人類最後の砦。地殻獣に対する最強の牙。トレンチ・エキスカベータが、唸りを上げ地殻獣に襲い掛かる。

 対する地殻獣も、トレンチ・エキスカベータを敵と認識しているのか、前進の速度を上げた。

 両者の距離が縮まっていく。私はその様子を固唾を飲んで見守っていた。カメラの液晶に二つの怪物が映っている。近づく……接触した。

 金属と岩がぶつかり重く鈍い音を立てた。岩が削れ、鉄が軋み、そしてどちらも動きを止めた。互いに押し合っている。互角のようだった。

 しかし、トレンチ・カッターがゆっくりと回転し、地裂と一緒に巨大地殻獣の体を削っていく。巨大地殻獣の体の中心を真っ二つにするように、カッターがゆっくりと確実に削り引き裂いていく。

 青白い溶岩のような地殻獣の体組織が飛び散る。湯気のように、内側から青いブルーガスが噴き出していた。

 両者とも下がらず、しかしトレンチ・エキスカベータはカッターで地殻獣を削り取っている。時間はかかるかもしれないが、これならあの巨大地殻獣も何とかなりそうだった。

 兵士たちはまだ戦っていた。拡散態地殻獣は大分減っていたが、まだ削撃銃の音は続いている。そして……何人かの兵士が倒れているのを見つけた。

 私と同じように気絶しているのか。さっきの爆発は、おそらくあの巨大地殻獣が現れた時の衝撃のようだ。噴火するように地裂から飛び出し、私のヘルメットにも岩の欠片が当たった。もしヘルメット以外の部分であれば、死んでいただろう。

 そう考えると……倒れている兵士たちはもう、死んでいるのかもしれない。この距離では確認する術は無い。今度は誰がいなくなるんだ? 第四部隊は、死者の方が多くなってしまうかもしれない。カメラを持っている両手から、何かが抜け落ちていくような気がした。また遺影が、増えてしまう。

 トレンチ・エキスカベータの方から音が聞こえた。それは、金属が破壊される音に聞こえた。両者とも位置はそのままだが、巨大地殻獣は全身をたわませ、その動きを波のように前方へ送っていく。その衝撃がトレンチ・カッターに叩き込まれる。

 ワイヤーの切断する音が聞こえた。金属が大きく軋む。それでもトレンチ・カッターは動きを止めない。白煙を上げながら、地殻獣を削り取っていく。

 再び地殻獣の攻撃。衝撃がトレンチ・カッターに叩き込まれる。

 激しい破壊の音。金属が折れる音だった……。カメラのファインダーにもその様子が映っている。カッター中心部のシャフトが折れたのだ。そして強度を失ったカッター部分は、フレームが一気に押しつぶされていく。牙が折れた。最強の兵器が、敗れたのだ。

 それでもエキスカベータは前進を止めなかった。だが地殻獣はカッターの切れ目を中心に左右に分かれ、エキスカベータを挟み込むように前進し始めた。エキスカベータは横方向に押され、徐々に傾いていく。

 最上部の運転席から人が出てきた。二人いる。梯子を使って下に降りようとしているが、急にエキスカベータが横に振られ、二人とも地面に落ちていった。二人が立ち上がることはなかった。

 エキスカベータには機関室があり、他にも何人か乗っているはずだったが、その姿は見えなかった。やがてエキスカベータは完全に右に押し倒され、潰されながら青白い光を放つ地殻獣の体に飲み込まれていった。

 いつしか削撃銃の音はやんでいた。拡散態地殻獣は全て片付いたようで、兵士たちの仕事は終わったようだ。兵士たちは周辺確認のために移動し、タングステン弾芯を回収していく。

 しかし、トレンチ・エキスカベータは破壊された。いくら拡散態地殻獣を片付けても、これでは意味がなかった。

 他の三基も出撃しているから、それがこちらに回されてくるのだろうか。静かになった戦場で、地裂からブルーガスの噴きあがる音が聞こえていた。まるで鳴いているようだった。それは地殻獣の、勝利の雄たけびなのだろうか。それとも、たくさんの同胞を失った慟哭なのだろうか。

 後方に照明弾が上がった。赤。撤退命令だった。

 タングステン弾芯を回収し終えた兵士は車両に戻っていく。倒れた兵士を担ぎ、支え合いながら。

 私も走る。肺が重い。体も重い。

 砂塵の切れ間から空が見えた。どこまでも青い空。空は既に、地殻獣に奪われている。私たちに残されたのは、片隅の大地だけ。

 それも奪われていく。私たちが死に、地殻獣が栄える。それが生命だ。我々の番が来たというだけだ。

 私はゴーグルの中で泣いていた。目が霞む。青い空が滲んでいく。もう、何も見たくなかった。

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