琥珀色のアムネジア

ひなみ

第1話 終わる平穏

『さぁて、そろそろ白黒つけようぜぇ!』


 正面からの殺気をこちらに吹き込んでくる風のように感じ取る。目を瞑っていてもわかる。受け継いだ能力の顕現けんげん。究極の行きつくべき先、これが秘伝『無我の境地』。

 迎え撃つは、この狭い道場で幾度となくシミュレートしてきた幾パターンにも及ぶ想定済みの敵。

 代々伝わってきた秘剣。それを我が物にする覚悟と強い意志を胸にたゆまぬ鍛錬を重ねた。百を千を、いや万を億を越えるほどに斬り結んできた。

 だがこれが完璧と言えるほどの代物しろものであるとは言いがたい。けれど最低でも相打ちには持っていくだけの自負はある。


 ――ススッ


 半歩ほどり足で後ずさり僅かな隙をあえて与える。

 これは呼び水。


『潰れろぉ!』


 ここで相手は必ず踏み込んでくる。十二分に引き付けてそれをかわしふところへ忍び込む。不意をつかれた相手の反応は幾らか、ほんの0.5秒ほど遅れる。

 瞬間、鯉口こいぐちを鳴らし刀身を露出させるべく一気に引き抜く。それは極限にまで研ぎ澄まされた勝負の時に他ならない。

 そして切っ先が向かうは――。


桃莉とうりー! 大変だよ! ――ひゃあっ!?」


 喉元に直撃寸前、何かに弾かれた手応えとともにギリギリの所で木刀ぼくとう

 何が起こった? いや、落ち着け。

 これが真剣ならどうなっていただろう。あるいは肉体を貫く感触はいかなる物か。それを考えただけでも嫌な汗がだらだらと頬や背中を伝っていく。


「……今は入ってくるなって言ってただろ!」


 安堵あんど焦燥しょうそう。それが交互に複雑に入り混じり想定以上に大声を出してしまう。この得も言われない気持ち悪さを洗い流そうと水飲み場へと急ぐ。

 背後から先ほどの乱入者の気配を感じたもののひとまず放っておいた。


「おーい、待ってよー。わたしが急いでここまで来た理由、知りたくないわけ?」

「どうせいつもの買出し手伝ってくれ、とかだろ。それの何にく理由があるんだよ、みなと?」


 ばしゃばしゃと水で顔を清める。ようやく心地の良い――現実を感じるような冷たさに触れる。

 それも束の間、不意に背中をつつかれて振り向くと顔に布地のような物が飛んできた。


「それはそれで大変だけどさ。もっと、もーっとだよ。これからわたしが言う事、聞かないと絶対に後悔すると思うよ?」

「まったく大げさだな。わかったよ」


 まっさらで柔らかなタオルで顔を拭いながら、湊に向けてわざとらしく大きな溜息を漏らす。

 対する彼女は咳払いを一つして、


「それでは発表します。しますよ、いいですか?」

「いいよ。もったいぶるな」

「じゃあ、言うよ……言っちゃうよ?」

「はいはい。わかったわかった、早くしてくれ」

 と、少しずつ距離を詰めると湊は離れるような動きを取る。急ぎなのかそうじゃないのかはっきりして欲しいところだ。


「ちょーっと、焦らないでよー!?」

「急かしてきたのはそっちだろうが」

「はいはい。じゃあ耳貸して?」

「ほら」


 腰を少し低く落とす。

 だんだんと彼女の甘い息遣いが近づき、そして――。


「フーッ!」

 耳にこそばゆい吐息が吹き込まれると総毛そうけ立った。


「てめっ、みなと! そこに直りやがれぇ!」

「いやぁー、やめてぇー!」


 力比べのような組み手から続けざまの足払いで転倒させ、軽く宙に浮かんだ彼女の背後に回って引き寄せると、ちょうど膝枕に近いような体勢に。

 すかさず曲げた親指の第一関節で左右のこめかみをぐりぐりとえぐる。ここは昔からの弱点で、現に今も激しくのた打ち回っている。


「いたいいたい! それ、やだやだ、ごめんなさい!」

「身をもって自業自得という言葉を知れ」

「ちょっと、なんで、謝ってる、のに! 本当やめてえぇ!」


 と、なおも抵抗を続けてはいるがこちらも力を緩める事はない。

 目には目を弱点には弱点を。これも教えの一つだ。

 まるでうなぎのようにうねる彼女を捕縛ほばくしていると、突然引き戸がガラッと開いた。


「……桃莉にいちゃん。また湊さんとじゃれあってるの?」

 入り口には唖然あぜんとした様子の人物が立っている。

 そこに向けて息を大きく吸い込み、


「「じゃれてないわ!」」


「あはは、おんなじ顔しておんなじ事言ってるー! おもしろーい!」

 彼は心底おかしそうに無邪気に笑っている。


「おい、真似すんなよ」

「ぶー、そっちですぅー!」

 いつの間にか起き上がっていた、涙目の湊とにらみ合ったまま数秒。このままではらちがあかないと悟り主題を移す事にした。


「そんなことよりスバル、何か用か?」

「うん。さっき女の人の叫び声が聞こえたから、どうしたのかなって……」

「いや――気のせいだろ?」


「そんなことって……」

 湊の方からは、むううと膨れ面をしながら抗議をするような視線をありありと感じた。

 それに見て見ぬ振りを決め込んでいるとスバルから、


「そういえば、湊さんはどうしてここにいるの?」

「そうだ。それを今から聞こうとしてたんだ」


 ようやく本題を思い出した様子の湊が「ついうっかり!」と言って、しわくちゃな一枚の紙を差し出してきた。


「ばとるとーなめんと?」

「うんうん!」


 来た。ついに待ち望んでいたあれが始まる。


「湊さん、それってどういうものなの?」

「スバルくぅん、そろそろ湊おねえちゃんって呼んで欲しいな。じゃなくて! そうだね、読んだ感じ総勢50人で戦って勝ち進んでいく大会……ってあるね」

「すごーい、そんなにいっぱいいるんだ!」


 ここから確実に、急速に自分を取り巻く環境や生活が変わっていくのは間違いない。その為の準備を今から進めていこう。

 二人が話しているのを耳にしながらそれだけを考えていた。


「ねえ、にいちゃん。それって勝ったらなにかあるの!?」

 ふと気がつくとじっと覗き込むように、スバルが目を輝かせて俺を見ていた。


「言うまでもなく、優勝したらそいつが最強って事だ」

「じゃあもしも。にいちゃんがさ、最強になったら僕は僕は?」

「知りたいか? ――スバル、本っっっ当に知りたいのか!?」

「うん、うん!」

 目の輝きがみるみる増していく。


「聞いて驚くなよ、お前は最強の弟になるんだ!」

「やったー! つよい!」

 頭をわしゃわしゃと撫でると、はしゃぐスバルを見てつい笑みがこぼれる。


「もう、このおバカ兄弟は!」

 一方の湊はあきれ返った様子だ。


「あんまり危ない事しないでよね。桃莉が出るとなったら百目鬼どうめき君も黙ってないだろうしさ」

「へっ、そりゃいい機会だ。あいつとはいずれ決着をつけないとならないからな」

「ねえねえ。前から不思議に思ってたんだけど、なんでそんなにいがみあってるの? ……もしかして喧嘩でもした?」


 小首をかしげ、これまでとはうって変わってトーンを落としそう尋ねてきた。


「さあな」

 咄嗟とっさに彼女から顔をそむけるもその瞳は食らいついてくる。茶色と黄金こがね色のオッドアイ。本人はそれを気にしているようだが、相変わらず吸い込まれそうな綺麗な色をしている。


「ねえ、もっと仲良くしなよー。わたしたち幼馴染みなんだよ? 昔みたいに、3人でさ」

「昔は昔、今は今って言うだろうが。人ってのは変わっていくものなんだよ」

「何それ、全然答えになってないんだけど! ――とにかく、わたしも行くから置いていかないでね。絶対だよ!」


 そう言うと彼女は用事があるといって騒がしくここを後にしていった。


「やれやれ。止めに来たのかと思ったら……あいつは本当何を考えてんだかな」

「湊おねえちゃん、この間言ってたよ。にいちゃんが心配なんだって!」


 馬鹿言うなよ。俺はあの時よりずっと強くなった。だから誰にも負けはしない。何を心配する事があるんだ。


「スバル、そろそろ再開するからいつも通りに頼む」

「あ、うん。さいきょー頑張ってね!」


 最も強い者を目指す。決して鍛錬を怠らなかった俺に自信がないはずはない。

 ――そして、ヤツと決着をつける。その為にこれを振るうと決めたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る