Ⅰ
1 修学旅行と幼なじみ
「それじゃあ、行ってきます」
本庄武志は玄関口で運動靴の踵を指で直しながら、そう声をかけた。
「おう、楽しんで来いよ」
武志の後ろには叔父の
白髪混じりのオールバック、少し日焼けた肌。
ゴルフウェアでもある白地のポロシャツと合わせたスラックス。
目の横の皺の多さが五十を過ぎた年齢を物語っている。
「行ってらっひゃい、お兄ひゃん」
刀兵衛の横には、刀兵衛の娘である
中学生の直美は学校指定のブラウスとスカート姿で、口にはパンをくわえていた。
どういう束ね方をしたのか、頭の上のおだんご二つがピョコピョコと揺れ動く。
「行ってらっしゃい、じゃないだろ。直美もさっさと支度しないか。それにいつも口にパンをくわえたまま歩き回るなと――」
「はいはいはーい」
「ハイは、一回でいい」
刀兵衛の説教が続く前に直美はそそくさとリビングに退散していった。
いつもの朝の一幕を背中で聞いて武志は笑みをこぼし、玄関のドアを開けた。
今日から、修学旅行だ。
マンションの五階、見上げた空は快晴だった。
夏を前にして程よく気温の上がって来た五月下旬。
「そろそろ夏服かもなー」
武志は短い髪をかきあげて、腕を上に伸ばし大きく欠伸をした。
寝起きの頭はまだぼんやりとしている。
「行ってきまーす」
隣室のドアが開き、声が聞こえる。
「おはよう、
「あ、おはよう、
幼なじみの
「あ、武志くん、おはよう。瑠璃バス酔いしちゃうかも知れないからしっかり見といてくれない?」
瑠璃の後ろから開いたドア越しに瑠璃の母、
「わかってるよ、いつも通り、任せて任せて」
軽い調子で武志は手を横に振る。
瑠璃は武志と同い年の高校二年生だが、童顔なのも相まって武志にとって妹のような存在だった。直美も合わせて三兄妹の様な関係性を築いている。
「大丈夫だって、酔い止めとかちゃんと飲んだし、他の薬だって持ってるんだから」
智恵に向けて大袈裟に首を振る瑠璃の髪が揺れる。プールの塩素で脱色した茶色がかった髪の毛が色白の肌に触れる。
ミディアムボブって言うんだよ、と瑠璃に教えられたのを武志は思い出す。
春先まで伸ばしてた長い髪をある日突然切ったことに驚いて言葉が遅れた武志に、瑠璃はそう笑いながら教えてくれた。なんか髪長いと私病弱ですオーラみたいなの出ちゃってるんじゃないかって、と瑠璃は続ける。
元気な子に憧れがある、幼い頃から何かと瑠璃が口にしてた言葉だったので武志は、良いんじゃないか、と返した。
「んじゃ、もう行くからね、お母さん。ほら、
瑠璃が武志の腕を掴み引っ張る。か弱い力だが武志は引っ張られたように身体を動かす。
「あ、もう。武志くん、お願いねー」
「はいはい、んじゃ、行ってきまーす」
武志は智恵に手を振って挨拶を済ませた。振り返らずに階段へと向かっていく瑠璃に歩幅を合わせてついていく。
武志と瑠璃の通う
健康な身体はウォーキングから、と何処かで読んだ記事から影響を受けたのか長々と自分が何故徒歩通学をするのかと瑠璃に説明されたので、武志は渋々了承した。
背丈が低く歩幅も狭く歩くスピードも速いわけではない瑠璃に合わせてるので、登校時間は四十五分ほどかかる。
始業時間からすると大分早い、そんな朝の緩やかな散歩は武志にとって大事な時間となっていた。
「おはよう、二人とも」
二十分ほど歩いた先で待っていたのはもう一人の幼なじみ、
武志より少し背が高く、サッカー部で鍛え上げられた身体つきは制服姿でもスラッとしていて見映えが良かった。
切りに行くのが面倒と伸ばしっぱなしになった前髪を髪留めで上げていて、けれど雑につけた髪留めから日に焼けた肌に髪が垂れる。
「おはよう、勇斗。今日は流石に朝練無しなんだな」
「汗だくで修学旅行ってのも嫌だからな。
「それは水泳部のシャワー室借りれば良くない?」
「おおっと、そりゃ盲点だ」
「うわ、勇斗くん凄い棒読みだよ」
瑠璃の指摘に勇斗は頭に手をやり大袈裟にリアクションした。
「点数稼ぎってやつか?」
「まぁそんなとこ、嫌われたくないだろ?」
エースストライカーとして活躍する勇斗は早くも
実力主義とはいかない、と笑う勇斗に嫌な苦労だなと武志は思った。
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