第3話

 馬に乗れるか、と、イルスは聞いてきた。

 私は自分が乗れるような気がして、自信満々で頷いたのだが、あてがわれた栗毛の馬に颯爽とまたがった瞬間、反対側に落馬している自分がいた。

 馬も、イルスも、馬上で出発を待っていた夜警隊(メレドン)のお兄ちゃんたちも、どうしようもないものを見たという済まなさそうなショボショボした目で、地面に落っこちている私を見下ろしていた。

「……一緒に乗るか」

 そう言わなきゃしょうがないという雰囲気で、イルスは私に相乗りを申し出た。みんな、せめて笑ってくれれば。ぶっつけた腰を撫でさすりながら、私は踏み台を借りてイルスの鞍の前に乗せてもらった。

「素直に乗れないと言っていれば、馬車を出させたのに」

 手綱をさばき直しながら、イルスが小声で苦情を言った。どうも相乗りが嫌らしい。

「乗れるつもりだったんです」

 この世界で自分がどんな能力を持っているか、まだよく分かっていない。馬ぐらい乗れるんじゃないかと思ったのだ。なにしろ私は主人公なんだし、もしかしたら空だって飛べるかもしれないんだから。

「妙なやつだな。寄り道してから娼館(ルパーナ)へ行く。飯は到着してからだ」

 イルスが踵で馬の腹を軽く叩くと、馬はゆっくりと走り始めた。予定外の二人乗りで馬も怒っているかと思ったけれど、私の哀れな落馬シーンに同情してくれたのか、特に機嫌は悪くないようだった。

 夜警隊(メレドン)の一隊を引き連れて、私たちは屋敷を出て、石畳の街道を市街地へと向かった。海を望む岬のうえに建っていたイルスの屋敷は、市街地からそう遠くない場所にあるようだった。街道を駆け下る道すがら、海辺の扇状地に開けた都市が一望できた。規則的に張り巡らされた運河が街を区切っており、計画的に作られた都市であることが見て取れる。

「海都サウザスだ。港、商業区、居住区、中央が王宮、そして神殿」

 乗馬用の鞭の先で、眼下の都市を指し示して、イルスが教えてくれた。港には帆船がいくつも停泊していた。今まさに出港してゆく船も、入港してくる船もあり、かなり活気のある港のようだった。

「神殿に寄っていく」

 さらりと言うイルスに、私は少し驚いた。私には、神殿から逃げ隠れしたほうがいいと忠告したばっかりじゃなかったっけ。

「見ておいたほうがいいものがある」

 私の無言の非難に気付いたのか、イルスは小声で付け加えた。

 市街地までは、ほんのひと駆けだった。途中で何度か、街道を行く荷馬車や人の群れと行き会ったけれど、彼らがみなあらかじめ夜警隊(メレドン)の一隊に道をゆずったので、私たちは速度をゆるめる必要もなく、駆け抜けることができたのだ。

 石壁で囲まれた街の門をくぐるころになって、イルスはやっと馬の足並みをゆるめた。飛ばし屋だ、こいつ。お屋敷で結い上げてもらった私の髪は、すっかりぐっちゃぐちゃになっていて、挿してもらっていた花も、どこかへ抜け落ちていた。

 馬車を出してもらえばよかった。私は女の子なんだから!

 城門をくぐった先は、商業区のようだった。幌を張った簡単な露天から、立派な石造りの建物までが、通りの両脇をにぎわし、買い物にきた人たちで通りも混み合っていた。

「夜警隊(メレドン)だ!」

 水っ洟を垂らした兄弟が、目の前を通り過ぎる私たちを指さして叫んだ。素朴なおもちゃの木剣を腰からさげている二人は、目をキラキラさせながら、おもむろに帯から剣を引き抜いて、天を突くような仕草をした。

「夜警隊(メレドン)、挑戦だ! 挑戦だーーっ!」

 きゃあきゃあ喜びながら、ちびっこたちは隊列についてくる。

「危ねえぞ坊主ども! 母ちゃんとこ帰ってクソして寝ろ!」

 馬を恐れずに突っ込んできそうな子供を鞭の先でつっついて牽制し、イルスが怒鳴った。

「イルスだ!」

「呼び捨てにすんな。俺は族長の息子なんだぞ」

「イルスだーーーっ」

 弟のほうが、兄の真似をして、飛び跳ねながら大声で叫んでいる。イルスは苦笑とともに、しょうがねえなと独りごち、子供たちを置き去りにするため、馬の足並みをわずかに速めた。

 街の人々は、そんな光景を、ある人は面白そうに見守り、ある人は買い物に熱中して、こちらを見もしなかった。たぶん、日常的な光景なのだろう。この街は活気があって、調和がとれている。淀みなく流れる水のように。

 そんな賑やかな風景も、白い漆喰で塗られた町並みを進むに連れ、徐々に静まり、厳かな雰囲気のあるものへと移っていった。神殿が近づいてきたからだろうか。

 私は自分の素性を思って、緊張した。

 初めは、出ていけと厄介払いしたそうな事を言っていたイルスは、いったいどうして気が変わったのだろう。私をどうするつもりなんだろう。まさか神殿に差し出すことに決めたのだろうか。

 神殿の周辺の地面は、白い大理石で舗装されていた。広大な広場に囲まれ、いくつもの尖塔を持った純白の建物がそびえ立っている。塔には、それを守るように、白大理石で作られた彫像が飾られていた。長い杖を持ち、背中から、一対の翼を生やした人の姿の像だ。私には、それが天使に見えた。この世界に、翼を持った人間が実際にいるのでなければ。

「神聖神殿だ。この大陸を支配している」

 私にだけ聞こえる声で、イルスは説明した。耳元で聞こえる彼の声は、かすかな苦みを帯びていた。

「あれが神殿の支配だ。よく見ておけ」

 私の顎をつかんで、イルスは私の目を神殿脇の広場に向けさせた。そこには人垣もなく、うち捨てられたような空気が漂っており、白一色のこの一帯にあって、異様ともいえる黒い彫像が飾られていた。白い柱に、繋ぎ止められたような、華奢な黒い像……遠目には、そう見えた。

 馬が近づくにつれて、私は独特の悪臭に気付いた。きな臭い、ものの焼ける臭い。そして、生き物の焼ける臭い。

 私は、示されたものの正体に気付いた衝撃で、また馬から落ちそうになった。目眩で鞍から滑り落ちかけた私を、イルスが片腕で支えた。

 目の前を行き過ぎていくのは、火刑台だった。それが実際に使われた結果が、まだ生々しく薄煙をあげて、無惨な姿をさらしているのだ。

「火刑は公開処刑だ。あれは……」

 イルスは深い呼吸のため、わずかに言葉を切った。

「神殿種の聖女だと偽って民を惑わした罪で、処刑された娘だ。十四歳だった」

 火刑台の柱に縛られた遺骸は、燃えおちて小さかった。

「病気や怪我を治す力があったんだそうだ。だが本人は病気だった。生まれつき頭が弱くて、ずっと幼い子供のようだった。それを悪党どもが聖女に祭り上げたのさ」

「額に赤い点を描いてですか」

「そうさ、お前のようにな」

 淡々と、彼は答えた。

 空きっ腹で良かったと、私は感謝した。こみあげる吐き気が、私の視界をぐるぐると回転させていた。

「確かに、おかしな世界だ。お前が言うように。だがな、それは冗談で言えることじゃない。あの火刑台で、何度でも焼かれる覚悟が必要だ」

「放っておくんですか。お墓に埋めてあげないの?」

 顔を覆って、私は頼んだ。涙と鼻水がいっぺんに出てきた。

「今は無理だ。俺もまだ、死ぬのが怖い」

 私が涙に腫れた目で見上げると、イルスはただじっと、火刑台を見つめていた。そこにある死と、恐怖を。ただじっと、目をそらさずに。

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