第四話 探偵

 翌日の早朝に、アミナ村を発つことになった。

 スピンは出来る限りの感謝の気持ちを伝えてから、馬車に乗り込んだ。見送りにオリナが、笑顔で手を振ってくれた。

 国境へ向かって出発すると。スピンは貰ったパンをかじって腹を満たしながら、後方の警戒へとついた。

 昨晩は嫌な夢を見てしまった。年を取ってから、しょうもない夢をよく見るようになったが、昨晩のあれは過去の記憶が元になっていたせいか、いやに生々しいものだった。

 とはいえ睡眠はしっかりとれたのだ。不愉快な思いをしたことを除けば、何も問題はない。

 今のところ追手はおらず、馬車は順調に国境を目指して走っているが。スピンはその順調さが、逆に気がかりだった。

 撃退したとはいえ、追跡を再開することはいくらでも可能だ。最大限遅れたとしても、さすがにこの辺りで追いついていいころだと思うが。

「そろそろ国境だな」

 アルジャーノンの言葉に、スピンは一度馬車の中に顔を引っ込める。アルジャーノンは、両手で地図を広げていた。

「確かビイト・キングダムの使者と、落ちあうんだったよな。落ち合う場所や、目印は決めてあるか」

「ああ。落ち合うのは、この森を抜けたところにある広場で。目印は―――」

 地図を閉じながら、アルジャーノンが話していた時だった。

 いきなり馬車が急停止し、襲ってきた衝撃によって、スピンは近くの積み荷に思い切り体をぶつけた。

「い、痛てぇ、何事だっ」

 呻きつつも、スピンはすぐさま馬車を飛び降りる。続いて、剣を持ったアルジャーノンも下車したのが分かった。

 また敵だろうか。ポーチの道具を確かめつつ、馬車の周囲を伺うスピンだったが。

「アルジャーノン様」

 馬車の前方から、ラルフと共に現れたのは、黒い装束に身を包んだ集団だった。

「お待ちしておりました」

「貴方たちが……」

 何かに気づいたアルジャーノンが構えを解くと同時に、黒装束の一人が軽く両手を振ってから、光る球体を掲げて見せる。オレンジ色をした球体の中には、ビイト・キングダムの国章が入っていた。

「スピン、この人たちは敵じゃない。この人たちこそ、ビイト・キングダムからの使者だ」

「その通りでございます。国境を越える準備は、既に整っております」

 黒装束の一人が、恭しく頭を下げて見せる。その態度が、スピンは何となく気に食わなかった。

 何か嫌な予感がする。いや、嫌な予感ではない。こいつらは、間違いなく……。

「スピン」

 アルジャーノンに名前を呼ばれて、スピンは我に返った。気が付くと目の前に、綺麗な紺色の瞳があった。

「アル……」

「これで依頼達成だ。ここまでの護衛、本当にありがとう」

 ゆっくりと、アルジャーノンはスピンに対して頭を下げる。

 そうだ。これはあくまでも依頼、仕事なのだ。護衛を引き受けるのは国境まで。それが果たされた今、あとは報酬を貰ったらもうそれでおしまい。

 短い間で、アルジャーノンの人となりに触れて、いくら情が湧いたとしても。あくまでもこれは、引き受けた依頼の一つであると、割り切らなくてはならないだろう。

 服のポケットから、アルジャーノンは一枚の紙を取り出すと、それをスピンに差し出す。

「ここに、隠し財産の場所が書いてある。これが報酬だ」

「……ありがとよ」

「その財産を使って、しばらく身を隠した方がいいかもしれない。アドニスの暴虐が、少しでも落ち着くまでは」

「……そうだな」

「じゃあ、これで。改めてありがとう、スピン」

 最後にもう一度、礼を言って。アルジャーノンはスピンに背を向けると、黒装束の集団と共に森の中に消えて行った。

「行きましょうか、スピンさん」

 ラルフに声を掛けられるまで、スピンはアルジャーノンが消えた森の中をじっと睨みつけていた。

 今、アルジャーノンを連れて行ったあの集団は、ビイト・キングダムの使者に扮した偽物である可能性が高い。

 昔得た知識によると、ビイト・キングダムの陰で暗躍する者は、仲間や依頼人と面会する際、必ず特定の動作を行うという。定期的に更新される、動作の暗号こそが、その者たちの身分証明になるのだと。

 しかし今の集団が行った動作は、全くのでたらめなものだった。その後示した国章の球体は、王家の権力があればいくらでも偽物が用意できるだろう。

 恐らくアルジャーノンは、動作暗号のことは知らされていたものの、その正確な読み解き方までは知らなかったのだろう。だから、疑うことなくあの使者たちについて行ってしまった。

 今から助けに行ったほうがいいだろうか。何となく思ったものの、スピンはすぐさまその考えを振り払う。

 アルジャーノンは強いし、頭もいい。きっとすぐに違和感に気づいて、あんな集団あっという間に片づけるだろう。

 もう依頼は終わったんだ。あとは隠し財産をいただいて、しばらくまったりすればいいのだ。

「スピンさん」

「ラルフ、行くぞ」

 心配そうなラルフに、強い声でそう言って。スピンはアルジャーノンの消えた森に背を向けた。


 薄暗い森の中を、アルジャーノンはビイト・キングダムの使者と共に歩いていた。生い茂る針葉樹の葉のせいで、太陽の光がほとんど入ってこない。

「この森を抜けて、少し行ったところに我々の用意した馬車が停まっております。乗り込んだらそのまま、国境を越えてビイト・キングダムまで」

 歩きながら、ビイト・キングダムの使者がそう言った。

「そうか。ところで一つ聞いていいだろうか」

「はい、何でしょうアルジャーノン様」

「本来、合流地点はこの先の広場だったはずだが。何故そこで待たずに、移動していたんだ」

「……それはですね。獣が、出たからでございます」

 使者の言葉に、アルジャーノンは首を傾げる。

「獣、とは」

「森に棲む獰猛な猛獣ですよ……それよりも、もうすぐ馬車のところに着きます」

 話題を断ち切るように言って、使者は目の前を指さす。ちょうど森の出口となる、明りが見えてきたところだった。

 何かがおかしい。この使者たち、何かどこかおかしい。そっと剣の柄を握りしめつつ、アルジャーノンは森から出たのだが。

「―――は」

 森を抜けたところにある、待ち合わせ場所の広場には。本来待っているはずの、馬車は停まっておらず。

 代わりにそこにいたのは、がっちりと武装した数十名ほどの兵士だった。

「お待ちしておりました、アルジャーノン王子……そして、ここまでです」

「罠だったのか、くそっ」

 剣を抜くアルジャーノンだったが、さすがにこの人数相手に単騎では分が悪いことは分かっていた。

 だがしかし、ここで死ぬわけにはいかない。たとえ深手を負ったとしても、必ず生き延びて、エルウィスを助け出すと誓ったのだ。

「悪あがきを……」

 兵士が一斉に剣を構えると同時に。アルジャーノンは息を吸い込んだ。剣を握る手が、じんわりと汗ばむのを感じる。

 その時だった。背後の森から、短剣を持った兵士が飛び出してきたのは。

「隠れていたのかっ、しまった―――」

「死ね、アルジャーノンっ」

 光る短剣を防御しようにも、不意を突かれているこの状況で、間に合うわけがない。

 それでも振り向いて、迎撃しようとするアルジャーノンに。兵士の握った短剣が、容赦なく振り下ろされる。

 が。鈍く輝く短い刃が、アルジャーノンを切り裂くことはなかった。

 乾いた金属音がして、兵士の短剣は一本の黒い短剣に止められる。黒い短剣の持主は、去ったはずの男だった。

「スピンッ」

「……あーあ、結局助けちまったよ。こりゃ、追加料金貰わなくちゃ割に合わねえな」

 ため息交じりに無駄口を叩きつつ。スピンは兵士の急所に対して、強烈な蹴りを叩きこむ。

 仰け反って、痛みに呻く兵士を突き飛ばすと。スピンはアルジャーノンに小声で言った。

「アル、耳をふさげ」

 意味を理解する前に、スピンの言葉に従い、アルジャーノンは素早く剣を納めると両手で耳をふさぐ。同時に兵士たちが雄叫びを上げて、二人に対して襲い掛かって来た。

 スピンは襲い来る兵士たちに。一切動揺する様子もなく、ポーチから何かを取り出して投げた。

 次の瞬間、辺りに強烈な破裂音が響いた。鼓膜が破裂したであろう兵士たちが、痛みと同様で混乱をきたす中。スピンはさらにもう一投、ポーチから何かを取り出して投げる。

 二投目は液体の入った瓶だった。空高く舞い上がった瞬間、ビンは割れて、兵士たちに中の液体が降り注ぐ。

「なんだこれは……と、溶ける。体が溶ける」

「行くぞ、アル。剣を抜いて走れっ」

 スピンがアルジャーノンの肩を叩くと、アルジャーノンは頷いて、剣を抜いてスピンと共に走り出す。

「いったい何をしたんだ、スピン」

「音玉で動揺してる隙に、特製調合の酸が入った瓶を投げただけだ。自分たちが食らうリスクもあるが、あの人数相手にはあれが一番手っ取り早いからな」

 話しながらも、スピンは短剣を振るって、襲い掛かってくる兵士たちを片付けてゆく。短剣がかすっただけでも、兵士たちは苦痛に呻き苦しみだす。

「毒でも塗ってあるのか」

 酸を回避した兵士たちを、鮮やかな剣裁きで倒しながら。アルジャーノンがスピンに問いかけると、スピンは素早い身のこなしで兵士をまた一人片付けながら頷いた。

「剣より殺傷能力の劣る短剣に小細工をしておくのは、基本中の基本だろ」

「そうか、そうだな」

 アルジャーノンは少し笑って、突っ込んできた兵士の首を容赦なく跳ね飛ばした。

 そこから先はお互い何も言わず、ただひたすら己の武器を振るった。肉片と血が飛び散り、辺り一面に絶叫が響き渡っても、気にせずに刃を振り下ろし続けた。

 お互い敵を殺すことに、躊躇を抱くような人間ではない。殺さなければ、自分たちが殺される。

 もっとも。血で染まった白髪を揺らしながら、鬼神の如き強さで敵を倒すアルジャーノンの姿を。一部の人間は、「美しい」と感じるかもしれないが。


 酸を浴びた兵士たちの多くは逃げ出したようで、残った者を片付けるのに、そう長い時間はかからなかった。

 辺り一面に倒れた兵士たちの、誰もが動かないことを確かめると。スピンはやっと息を吐き出し、コートの内側から鞘を取り出して、黒い短剣を納めた。

「やはり、君を雇って正解だったよ」

 そんなスピンに、同じく剣を納めたアルジャーノンが近寄ってくる。

「私立探偵スピン、いや、スピン・ワット」

「……知ってたのか」

 ちょっと意外そうな顔をするスピンに、アルジャーノンは頷いて見せる。

「ここから遥か遠方にある、ワット・キングダムという国では、この国の何十倍も科学技術が発達しているという」

「そうだ。だがその代償として、科学技術により発達した兵器によって、国内外で争いが絶えなかった。そんな下らねえことをしているうちに、上部層はいつしか無能ばかりになり、民衆はそんな上部層を批判することしかしなくなった。日々疑心暗鬼と陰謀が飛び交い、誰もが他人を信じられなくなった」

「そんな、ワット・キングダムの国王直属諜報部隊、『WT』にかつて所属していたんだろう、君は」

「……昔の話だ」

 配下の大臣どもに政治の主導権を奪われ、傀儡同然となった国王が、再び権力を奪還することを望んで編成したのが「WT」だった。

 もっともそれもすべて、仕組まれたことだったりしたのだが。「WT」は行き場の無い孤児たちを集めて、徹底的な教育を施し。諜報員や暗殺者へと仕立て上げて、国内外への各陣営へと送り込んだ。

 幼くして流行り病で両親を失ったスピンも、「WT」と繋がった孤児院に入れられたことにより、諜報員としての訓練を受けさせられて、「WT556」のコードネームを与えられた。

 それから様々な場所で、ありとあらゆる手段を使って諜報活動を行い、割と国の為に尽くして来た気もするのだが。

 ある時護衛対象の要人が、スピンの目をかいくぐって勝手に行動した挙句、敵の暗殺者に殺害されるという事件が起こったのだ。

 命を狙われているのに、愛人のところへ行ったあの弁護士が悪いのだが。何を間違ったのか、スピンが敵の暗殺者と内通して、要人の身柄を売ったということになり、昨晩夢で見たような拷問を受けたのだ。

 最終的には何とか解放されたものの。あの一件でスピンは「WT」を抜けることを決意し、壮絶な闘争と逃亡の末に、遠く離れたアルト・キングダムへと流れついた。

 そこで「WT」時代の技術を生かし、探偵稼業を営み始めて今に至るのだが。過去に囚われないと思いつつも、今の自分を作り上げた礎でもある「WT」での日々を忘れないために、忘れていた昔の名前に加えて、「ワット」という姓を名乗っているのだ。

 ふっと、昔のことを思い出して。スピンが微かに苦笑を浮かべた時。森の中から、一人の人間が姿を現した。

「誰だっ」

 素早く身構えたアルジャーノンに対して、グレーのコートを身に纏い、水色の長髪を一つにまとめた背の高いその男は、静かに手を動かした。

 左手を三回握ってから、四度手を叩く。間違いない、ビイト・キングダムの動作暗号だ。

 それから男は懐から、ビイト・キングダムの国章が入った水晶球を取り出した。

「遅くなって申し訳ありません、アルジャーノン様」

「アル、彼は本物の使者だ。安心して、ついていくといい」

 スピンの言葉に、身構えていたアルジャーノンはさっと力を抜き、剣を納めた。

「初めまして、アルジャーノン様。ビイト・キングダムより参りましたベルフと申します」

 使者の男、ベルフは国章を仕舞うと、静かに頭を下げた。

「ここに来る途中、敵に襲撃され対処に手間取ってしまいましたが、何とかお迎えに上がることが出来ました」

「そうか、ご苦労だった」

「なんの。この程度些細なことです」

 落ち着いた顔で言うベルフに、スピンはため息を吐き出すと、アルジャーノンの背中を軽く叩いた。

「ほら行けよ、アル。各国の協力を得て、捕まっている従者を助け出すんだろ」

「でも、追加報酬を……」

 困ったような顔で、スピンを振り向くアルジャーノンに。スピンは少しだけ、笑って見せた。

「そうだな。追加報酬はお前が国王になったら、たっぷりもらうとしよう」

「……」

 我ながら良いことを言ったつもりだったが、アルジャーノンはそれでも行こうとはしなかった。

 何を思ったのか、彼はスピンの前で静かに跪くと、首を垂れる。

「スピン・ワット」

「な、なんだよ、アル」

「これは依頼じゃなく、単なる提案なんだが……僕と一緒に、来てくれないか」

 顔を上げて、アルジャーノンは紺色の瞳で、スピンのことを真っ直ぐ見つめる。

「何を―――」

「どちらにしろ、今回の一件で敵に顔を知られた君が、城下町に戻るのは危険だろう。だったらこのまま僕と一緒に来て、僕の元で働いてくれないか」

「……最初から、そのつもりだったのか」

 最初から元「WT」だと知ったうえで、アルジャーノンはスピンに護衛を依頼したのだろう。依頼終了ののち、こうして同行を提案することも、見越したうえで。

 やはり抜け目がないというか、なんというか。さっき不意打ちを食らいそうになったくせに、よく言うと思いながらも。スピンはゆっくりと、ため息を吐き出す。

「仕方ねえな。事務所に戻れないんじゃ、行く当てもねえし。働いた分の報酬をしっかり貰えるのなら、文句はねえよ」

「契約成立だな、スピン」

 にっこりと笑って、アルジャーノンは立ち上がると手を差し出す。あれだけ剣を握っているにもかかわらず、小さく白い彼の手を、スピンは力強く握り返した。

 これだから、月曜日に来た依頼は、ろくなものじゃない。

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