第30話 絶望と希望 #30

            ✳︎


 いつものようにアラームの音が部屋にけたたましく鳴り響くのを、僕は眉間に皺を寄せながら止めた。もぞもぞと布団から抜け出して立ち上がると、この季節特有の凍てつく寒さが襲ってきた。たまらず僕はもう一度毛布にくるまってミノムシみたいになって寝転んだ。あっという間に季節が巡り、気がつけば今年もあと三週間ほどで終わるという事実に驚かされる。改めて時間の流れる速度を感じながらも、僕は三回目の鳴り響くアラームを止めて再び立ち上がった。顔を洗い歯を磨き、朝食を食べて髪の毛を整えた。一連のルーティンを終えて僕は家を出た。最近、僕らの中で待ち合わせの定番になっている公園へ彼女を迎えに行く。すると、大体いつも彼女の方が先に公園に来ていてスマホを触りながら僕の迎えを待っている。今日もいつもと同じようにその公園の中にある時計台の下に彼女の姿が見えた。僕は駐車場に車を停めて彼女を迎えに歩いた。今日の彼女を見ると、手にはスマホではなく一冊の本を持っていた。


 「おはよう、吉田さん」

 「あぁ森内くん、おはよう。今日も寒いね」

 「うん、そろそろマフラーが手放せないよ。吉田さん、今日は本読んでるんだね」

 「そうそう。最近、小説にハマっててさ。ベタベタの恋愛モノだけどね」


そんな話をしながら僕らは僕の車に向けて歩き出した。あの事故からもうニか月が経った。彼女の驚異の治癒力はみるみる彼女の体を回復させていった。事故の後遺症は何も残ることはなく、以前と同じようにスタスタと軽やかに足を動かせている彼女が僕の隣を歩いている。僕はそれだけで感情が昂ってしまう。リハビリに励む彼女を見守っては涙を溢していた僕の涙腺は、この二ヶ月の間に見事に壊されている。何泣きそうな顔してんの?と笑いながら彼女は僕の左肩を軽く叩いた。僕は目に虫が入っただけと、いかにもな返答をして車に乗り込んだ。


 「いやぁ、まさか森内くんとアッちゃんが知り合いだったなんて予想外すぎたよ!」

 「いや、おれも吉田さんとアスカさんがずっと前から仲が良いのなんて知らなかったから衝撃的だったよ」

 「お互いアッちゃんにサプライズされたみたいになってるね」

 「はは。確かにね」


車を走らせて二十分ほどが経ち、僕の車は目的地に着いた。ここに来るのは実に二ヶ月ぶりだ。僕は約束を守り、彼女と二人でここへ来た。それまでは彼女のリハビリに付き添った。それは、一日でも早く彼女をここへ連れてきたかったからだ。今日はついにその瞬間が来た。まだ開店時間には程遠く、仕込みをしている時間だ。前に驚かされた分、今回は僕たちで驚かせてやろう。僕は彼女とそう話し合い、車から出た。店の裏側のドアに設置されているインターホンを鳴らすと、はーいと心が落ち着く声が返ってきた。足音が近づき、ガチャリとドアが開いた。


 「すみません、朝の仕込みしてまして」

 「アスカさん、おはようございます」

 「アッちゃん、おはよう!」


僕ら二人の顔を見たアスカさんは、その場で立ち尽くし石化したように目を丸くしたまま動かなくなった。


 「ア、アスカさん?」


次にアスカさんが動き出した時には、吉田さんを目掛けて勢いよく抱きついていた。そして、あっという間に顔がぐしゃぐしゃになっていた。


 「ユガぢゃあーん!退院おめでどうー!!本当に無事でよがっだよおぉー!」


ぶわっと涙や鼻水を流したままわんわんと泣いているアスカさんの表情を僕は初めて見た。それにつられて吉田さんも涙が溢れていた。


 「そんなに泣かないでよ。アッちゃん。私、体は頑丈だって昔から言ってたでしょ」

 「だ、だってー!」

 「ほらほら泣かないで!私たちも開店準備一緒に手伝うから」

 「ありがどうぅー!でも、二人は何もしなくていいからぁ!」


それから僕らも店に入り、開店準備をしている間もアスカさんは鼻を啜りながら手を動かしていた。僕も久々にここに来たから、出来る範囲で手伝った。吉田さんもテーブルを拭いたり食器を整えていたりしてくれていた。三人いるとスムーズに準備が進んだようで、開店までにはまだ十分に時間が残っていた。その間にアスカさんは、以前僕に伝えたことを包み隠さずに吉田さんに伝えた。彼女は一言も聞き逃さずにアスカさんの言葉を受け止めていた。


            ✳︎


 「そっか。アッちゃん、本当のこと言ってくれてありがとうね」

 「どうして?ユカちゃん」

 「え?」


アスカさんの目頭からは再び涙が溢れた。


 「どうして怒らないの?どうしてありがとうって言うの?私、最低なことしたのに」

 「ふふ。だって今、ちゃんと全部話してくれたじゃん。現に、森内くんと私の間も取り持ってくれたんだし」

 「でも、嘘ついてたり、自分が都合の悪くならないようにしたりしたんだよ」

 「それはもう昔の話でしょ。今のアッちゃんは今のアッちゃんだし。それに、ちゃんと言ってくれたからもう私は気にしてないよ」

 「で、でも」

 「大丈夫。アッちゃんはいつまでも私の大切な友達だよ。いつまでもね」


吉田さんはアスカさんを優しく抱きしめて背中をゆっくりと撫でた。アスカさんの鼻をすする音が大きくなった。


 「もう。昔からだけど、どっちが年上か分かんなくて困るよ。本当に」

 「ふふ、私はいつもアッちゃんは私のお姉ちゃんって思ってるけどね」


抱き合う二人を目の前で見て、思わず僕も顔が熱くなった。僕は心を落ち着かせながら二人のそれを見守っていた。すると、店の裏口のドアがガチャンと開いた。そこには何とヒロキがいた。


 「ヒ、ヒロキ!?」

 「おう。タク。お、吉田も!元気そうで良かったよ!久しぶりだな、同窓会以来」

 「久しぶり!北村くんのおかげで、私、前よりも素敵な人生歩めてる気がしてるよ」

 「何だそりゃ?事故に遭ったのにか?相変わらず前向きな人だね。ま、無事で良かったよ」

 「それよりも!何でヒロキがここに?」

 「タクヤくん」

 「は、はい?」

 「ユカちゃんの病室で言ったでしょ。強力な助っ人を呼んだって」

 「それって」

 「うん。ヒロキくんにはいつも、仕事の合間を縫って店を手伝ってくれてるんだ。今日は夜勤明けだっけ?」

 「はい。ここでアスカさんの仕事を手伝えるなら、夜勤明けでもへっちゃらですよ。仮眠もさせてくれますしね」


へへと笑い合うアスカさんとヒロキを見て、あぁ、この二人ならやっぱり大丈夫だと僕は改めてこの瞬間に思った。


 「タク。ビックリしたろ」

 「いやビックリどころじゃないよ。消防士辞めたの?」

 「んなわけないだろ。合間を縫ってアスカさんの店を手伝ってんだよ。ヘタしたら、今は俺の方がここで仕事出来るかもよ」

 「相当助けてくれてたんだね。たありがとう」

 「別にお前のためじゃないよ。俺がアスカさんと一緒にいたいからやってたってだけだ」


ヒロキはへへっと笑いながら自分の鼻の頭を指で撫でた。昔からの照れ隠しのクセが今も残っていて少し笑えた。


 「私もビックリだよ。北村くんとアスカさんが一緒にいるなんて。二人はもう付き合ってるの?」

 「おう!もちろん付き合って」

 「ないよ。まだね」

 「だそうだ!吉田!まだな!」

 「ふふ、そっか。よかったね北村くん。アッちゃんは昔から本当に良い子だから絶対幸せにしてあげてね」

 「当たり前だよ。もし吉田にダメだって言われても幸せにするつもりしかないよ」

 「ちょっとちょっと。話、進めすぎだよ。まだまだこれからなのに」

 「はは。結婚式には呼んでくださいね」

 「タクヤくんまで!早すぎだって」


まさかこの空間でこの四人が笑い合う瞬間が訪れるなんて以前の僕からすれば信じられないような状況だ。その現実が今、目の前にあるのが僕は本当に嬉しくて油断すればアスカさんよりも涙が流れそうになった。


 「それでアッちゃんに提案があるんだけど」

 「何?ユカちゃん」

 「私ね」

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