第三章 この私が……
第35話
「長い!」
佐藤優子の話を聞き終えてから、この私が最初に述べた感想がそれであった。
そこまで詳しく話さなくてもよいではないか。
彼女の話は何度も何度もこの私を
よくもまあ、こんなに詳細に過去のことを覚えているものだ。この私が感心するほどに、彼女の記憶力は飛び抜けている。
そういえば、かつて法律家の秘書を務めていたのだったか。
それにしたってよく覚えているものだ。下手をしたら、全員の発言に一字一句の間違いすらないのではないか?
この私は自身の腕時計に視線を落とした。
現在、時計の長針と短針が縦に直線をなすまで、あと一時間といったところだ。
冬であれば暗くなっている頃合だろう。
「日暮さん、何か質問はありますか?」
「ないよ! あれだけ詳しく説明されて、質問なんぞ沸くはずがないではないか。いや、待てよ。沸いてきたぞ。質問が、沸いてきた。するぞ。質問を、するぞ!」
「どうぞ」
この私の若干まわりくどい言い回しに、佐藤優子は少し渋い顔をして
「どうしてこんなにも詳しく説明したのかね? わざわざ警察に時間を割いてもらっているのだろう? この私を聴取することが目的ではないのかね?」
「まあ、ぶっちゃけて言うと、暇つぶしです」
「は……?」
佐藤優子の返答を耳にしたこの私の
「いま、県警の方々はカノンを追いまわしているところなんですよ。だから、忙しくてあなたの聴取なんてできないのです」
なんて、という言葉が鼻につく。
あと、忙しくて、も
「だが、先ほど窓越しに様子をうかがっていると言っていたではないか」
「担当外の人が、ということです。入れ替わり、立ち代わり、興味本位で。もちろん、あなたが危険な行動を起こそうとした場合に備えての見張りの役割もありますけれど」
「そうかね。そういえば、
「刑事たちとともにカノンを追っています。必ず今日中に捕まえるから県警で待っていろと言われました。こんなに長くなるなら帰ればよかったと後悔しています」
「船橋が戻ったら説明の途中で退席するつもりだったのかね? とんでもない
「性悪女、ですか……。理にはよく言われます」
そう言って、佐藤優子は嬉しそうに笑った。これを
「日暮さん、私は暇つぶしと言いましたが、もちろん、それがすべてではありませんよ。さっきので、知りたい情報もちゃんと得えられました」
「知りたい情報? 得られた? 何を言っているのだね。いままで君が一方的に語っていただけではないか」
この私の反応がまったく予想どおりと言わんばかりに、佐藤優子は
それはこの私に船橋理を想起させ、
「カノンとの連絡方法ですよ。カノンに電話をかけるときは、相手が出るまでコールしつづけなければならなかったんですね」
「なにっ⁉」
それはまさしく図星。
先ほどの回想話の最中にも、その前にも、彼女は分からないと言っていたのに、いま見事に言い当てられてしまった。
だが、その
以前、船橋に「あなたが犯人だと思っている」と言われたときに、この私は「この私がか⁉」と反応してしまった。
それは、自殺でなく殺人だったことへの驚きではなく、自分が犯人だと告げられたことに対して驚くという
この私は、それと同じ過ちを繰り返してしまった。取り戻せはしまいが、認めるわけにはいかぬ。
「いや、待て。いまのこの私の反応は正解だったからではないぞ。貴様が
さっきの発言が単なるカマかけだったとしたら、この私が食い下がったことで、佐藤優子も多少なりとも落胆するはずだ。
しかし、彼女にそのような反応はない。自信に満ちた表情は、
「さっきの回想でカノンとの連絡方法について話しているときがありましたよね? 私はそのときのあなたの反応を見ていたんです」
「何だと? まさか、それのためだけに、延々とあの長い話をしていたのか?」
しかし、それだと最後の最後まで回想話を聞かせてきた理由に説明がつかない。本当の目的は何なのか。
「いいえ、さっきも言ったとおり、本当に暇つぶしです。でも、そのついでに確かめさせていただきました」
馬鹿にしている。
この私を、馬鹿にしすぎだ。
この私を誰だと思っているのだ。
この私は上格者だぞ。
凡夫ではないのだぞ。
「この私はまだ認めたわけではない。そんなに自信があるのなら、その根拠を説明してみたまえよ」
「ええ、構いませんとも。ではお話しましょう。回想で語ったとおり、私と栗田君の電話の中で、カノンとの連絡手段について四つほど予想が立てられていました。一つ目は、依頼者から連絡を取ってはならず、カノンから接触があった場合にのみ依頼できる。二つ目は、一定時間内に一定回数の長めのコールをすることで、相手が顧客であることを知らせる。三つ目は、一定時間コールしつづけなければカノンが電話を取らない。四つ目は、カノンは非通知設定や知らない番号からの電話は取らず、携帯に登録された番号からの電話しか取らない。この話を始めたとき、おそらく無意識なのでしょうが、腕を組み替えたりと、あなたは若干そわそわしていました。私が回想前にあなたに
「…………」
この私が言葉を失っていると、佐藤優子はさっきの説明に補足した。
「いまの長々とした説明で、あなたの反応を見て導き出したと言いましたが、それ以前に確信に近いものはありました。栗田君がカノンに電話をかけたとき、カノンは電話に出ませんでしたが、コールできなかったわけでもないし、コール中に電話を切ったのはカノンではなく栗田君です。そしてあなたはカノン宛に普通に電話をかけてきました。それだけでも十分な根拠ですが、それに加えてあなたは、栗田君が電話を取ってすぐに偽者だと見抜きました。偽物だと見抜かれたのは声もあったかもしれませんが、たったの一声で見抜いたことを考慮すると、電話を取ったタイミングが早かったから見抜けたのではありませんか?」
馬鹿らしくなってきた。
これ以上この私がシラを切っても意味はない。
秘密の宝物を透明な箱の中に仕舞い込んで隠した気になっているようなものだ。
この私は
「そのとおりだよ。奴は本来、五分ほどコールを続けなければ電話に出ない。それはカノンが着信音にパッフェルベルのカノンを設定していて、それをすべて聴き終えてから電話に出るからだ。そうすることで、カノンも顧客も相手が本物だと確かめられる。いわば合言葉みたいなものだ。バスの中ではなぜか、フルではなく最初からクライマックスのメロディが流れていたが、依頼受付用ではなく緊急連絡用として設定を変えていたのだろうな」
当然ながら、佐藤優子に驚きや喜びの様子は見られない。彼女も知っていたか予想していたことなのだ。
それにしても、この私の罪についてはいっさい
訊くまでもなくすべて知っているということか?
この私は殺人犯であり、殺人未遂犯であり、
この私に関する質問は一つたりとてないというのか。
この私を舐めすぎだ。
これは
許せない。
許されることではない。
この私を
この私はこれだけは諦めない。必ず、佐藤優子と船橋理を殺してみせる。
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