第18話 新種


『あっ、黒川さん? おれ阿部勇樹あべゆうきです。いま新宿の地下街です。りんがリュシアンを見つけたって、走って行きました。おれも追いかけます!』


 勇樹からの音声メールが届いた時、黒川は、恭介きょうすけと一緒に東京メトロの管制センターにいた。自爆しなかったヒューマノイド〈遥希ハルキ〉は、いずれも地下鉄構内で姿を消したのだという警察の情報を、木島きじまが送って寄越したからだ。


 音声メールを聞いた瞬間、黒川の体から血の気が引いていった。

 三年前、婚約者と待ち合わせをしたショッピングモールから、立ち上る煙を見た時と同じくらい頭が真っ白になった。


(……あの馬鹿っ!)


 震える手を必死に動かし、黒川は勇樹に電話をかけた。

 幾度かコールが続いたあと、「ああっ、黒川さん!」という勇樹の困ったような、それでいてホッとしたような声が返ってきた。


「今どこにいる! 凛は一緒か?」

「────いいえ。今おれ、国会議事堂前駅にいるんです。でも、地上に出たら凛の姿が見えなくて……」


 どうやら勇樹は地下鉄の出口で凛の姿を見失い、途方に暮れていたようだ。

 初冬だというのに、黒川の背筋を冷たい汗が伝ってゆく。凛が今どこにいて、どんな危ない目に遭っているのかと思うと、居ても立っても居られない。


「すぐにそっちへ行く。おまえはもう────」

「あっ、待ってください! 凛が誰かとこっちに来ます。外人みたい。そっか、あれがリュシアンか! おれは、どうしたらいいですか?」


 勇樹にそう問われて、黒川は迷った。彼にはもう帰れと言うつもりだった。


「────気づかれないように、後を追えるか?」

 口にしたのは正反対の言葉だった。

「もちろんです!」

「どこへ向かうか見るだけでいい。身の安全を確保できるくらい距離を置け。電話はこのまま切るな。すぐにそっちへ向かう!」

「はい。わかりました!」


 会話は途切れ、歩き出したような足音が聞こえた。そのすぐ後に、時計の画面が動画に切り替わる。機転を利かせた勇樹が、エスカレーターを下る凛とリュシアンの姿を映しているのだ。

 凛の無事な姿にホッとするが、彼女が危険の只中にいるのは変わらない。

 モニターとにらめっこをしている恭介に、黒川は振り返った。


「凛がリュシアンを見つけた。行くぞ!」



 〇     〇



 リュシアンに手を引かれて、凛は地下鉄の改札をくぐった。

 行きと違うのは、ホームへは下りずにそのまま歩き続けたことだ。

 別のラインへ続く長いエスカレーターを下り、その途中にある踊り場で、人の流れから離れた。


 リュシアンは踊り場の片隅にあった白い鉄の扉に手をかざし、ロックを解除する。

 非常灯だけの暗く細長い部屋の先にはまた扉があり、二人はそこから外へ出て、金属製の階段を下りた。


 階段も同じように薄暗く、足元を照らす小さな照明しかない。それでも、光が届かない階段の先に、地下トンネルを思わせる巨大な空間が広がっているのがわかった。

 鉄骨がむき出しの工事現場か、機械室のようなものか、それとも建設中の新たな地下道だろうか。


(でも、人がいない……)


 地下鉄のホームのような暗い道を、リュシアンの後について歩いて行くうちに、今まで忘れていた暗い予感が、凛の心にじわじわと湧き出してくる。


(もし、ここで、あたしが殺されたら……誰かに見つけてもらえるのかな?)


 とてもそうは思えなかった。誰にも見つけられないまま、冷たい躯が朽ちてゆく。そんな恐ろしい予感がして、凛はそっと自分の腕を抱きしめた。


 次に浮かんだのは、黒川の怒った顔だった。どんなに忙しくても毎日連絡をくれたのは、彼が凛のことを心配してくれたからだ。頼むからひとりで勝手な行動をするなと、毎日のように言われた。


(黒サン、ごめん。でも、あたしも何かしたかったの……)


 例えこれがリュシアンの罠だとしても、鷲須わしずに会えれば一緒に逃げられるかもしれない。高性能のヒューマノイドを作りたい彼は、鷲須を殺したりはしないだろう。


 カチャッと、ドアが開く音がした。いつの間にか建物の前に来ていたらしい。


「入って」


 入室を促すリュシアンを見上げ、凛は一瞬躊躇してから中に入った。

 後ろでカチッと音がしてすぐ照明がついた。眩い光に照らされた室内は、プレハブ事務所のようだった。

 凛はあまりの眩しさに思わず目を閉じかけたが、目の端に見えたものに驚いて無理やり目を開けた。


「なに……これ?」


 見た瞬間、ざわりと鳥肌が立った。

 胃がせり上がってくるような不快感に、コートの胸元を握りしめる。

 整然と並んだ人型。一目でヒューマノイドだとわかった。

 彼らは服装も髪型もまちまちなのに、どの個体も顔だけはリュシアンに似ていたのだ。

〈明日香〉でも〈遥希〉でもない新種ニュータイプのヒューマノイドたちは、きちんと並んでいながら、目だけは凛たちを窺うように動いている。


「彼らは、私の願いを元に作られたヒューマノイドたちです。今までのヒューマノイドには、食べ物を食べるという機能がなかった。私はどうしても、食べ物を味わうことが出来るヒューマノイドを作りたかった。他の感覚と違って味覚は難しく、まだ道半ばですけれどね」


 リュシアンは憂い顔でため息をついたが、凛には彼の言葉が理解できなかった。


「どうして? 何でヒューマノイドに味覚が必要なの? え、待って。それじゃ他の感覚とかはあるわけ?」

「もちろんです。触覚はもちろん、痛覚もあります」

「はっ? ヒューマノイドに痛みを覚えさせて何になるの? 痛いから自爆テロをやめるって考えるの? AIが?」

「そうではありません。他のヒューマノイドとは違って、彼らには補助的なAIしかついていない。私はただ────」


 リュシアンは眉間に皺を刻んで口ごもる。ひどく人間的なのに、何かが不自然だ。

 凛は腕時計のカバーを上げて、整然と並ぶヒューマノイドの写真を撮った。


「黒サンに写真を送って。今いる場所の座標を送って」

 時計に向かってそう命じてから、凛はリュシアンに向き直った。

「えっ…………」


 さっきまで複雑な表情を浮かべていたリュシアンが、突き抜けたような無表情で固まっている。


「ねぇ、どうしたの?」


 思わず腕に触れた瞬間、リュシアンが瞬きをした。


「────マスターは眠りにつかれました。只今、マスターの行動をトレースしています」

「は?」


 凛はあんぐりと口を開けたまま、リュシアンを見上げた。

 彼の言葉の意味がわからなかった。ただ、さっきまで凛と話していたリュシアンと、今目の前にいるリュシアンがだという事だけはわかった。


 稲妻のような閃きに、凛はハッと息を呑んだ。


(これ……が、簡易的なAI?)


 リュシアンが説明していた言葉のひとつが、今の状況に結びつく。

 もちろん、眠りについたというリュシアンが誰なのかはわからない。わかっているのは、いま凛の目の前に居る彼が、間違いなくヒューマノイドだということだ。

 義手につけられたセンサーは、正常に作動していたということだ。


(どうしよう……これ全部、倒せるかな?)


 これだけたくさんのヒューマノイドを見たことなどない。ハンターとして対峙したヒューマノイドは常に単独だった。

 恐ろしかった。動かなければと思うのに、体が強張ってリュシアンの前から動けない。

 やがてリュシアンは硬直を終えて、凛に向き直った。


「安心してください。あなたはマスターの大切な人です。危害は加えません」


 まるでリュシアンのその言葉を合図にしたように、新種のヒューマノイドたちが一斉に動き出した。

 プレハブのような部屋に凛を残したまま、暗い地下道の先に向かって歩きだす。

 我に返った凛は、慌てて部屋を飛び出すと、リュシアンに追い縋りその腕をつかんだ。


「待って! あなたたち、何をする気なの? おじさんは何処にいるの?」

「鷲須氏はここにはいません。私たちは、眠りについたマスターの意志を継ぎ、これより日本政府の重要拠点である国会議事堂を攻撃します」


 リュシアンは高らかに宣言すると、凛の手を振り払った。そして、たくさんの新種ヒューマノイドたちと一緒に、暗い方へと進んでゆく。


「待って! そんなっ……だめよ! 行かせないわっ!」


 凛は震えながら左手を上げた。

 ぞろぞろと歩いて行くリュシアンによく似たヒューマノイドたち。凛の横を通り過ぎようとした個体に、彼女は真っすぐに伸ばした人差し指を向けた。


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