第10話 思いがけない客
「ああぁあぁっ、
「じつはね、久しぶりに古い知り合いから電話が来ちゃってさ。つい話し込んでたら時間が経っちゃって」
えへへ、と笑うぽっちゃりメガネおじさんが微笑ましくて、凛は頬を緩めた。
いつも思うのだけれど、このおじさんからよくもまぁあんなに〝俺サマ〟な息子が生まれたものだ。これほど似ていない親子はそういないだろう。
「大丈夫。テレビ見て待ってるから」
凛は事務所の右側にあるパーテーションの奥へ入り、ソファーに座ってテレビをつけた。夕方のニュース系ワイドショーの賑やかな声が事務所に流れはじめる。
あまり興味のない芸能系のニュースだったせいか、凛は次第に眠気に襲われた。
〇 〇
「あれ? 凛ちゃん寝ちゃったの? 義手ここに置いとくよ」
ソファーで居眠りをしている凛の顔を覗き込み、鷲須は微笑みながらローテーブルの上に義手を置いた。テレビを消してパーテーションから出てゆく。
ちょうどその時ドアが開き、二人連れの客が事務所に入ってきた。
一人は中年の日本人男。もう一人は若い金髪の外国人青年だった。
「いらっしゃいませ」
「ああ鷲須! 電話じゃ埒が明かないから、直接来てしまったよ!」
「玉川さん?」
鷲須は目を見開いた。
中年の男は玉川という、鷲須のサラリーマン時代の先輩だった。昔から細身の人ではあったのだが、さらに痩せたようで少しぎずぎずした感じに見える。
(苦労、されてるのかな?)
ヒューマノイドを製造販売していた会社がつぶれてから、鷲須は家業だった義肢製作所を受け継いだが、当時の同僚たちのほとんどが技術者として転職したと聞いていた。だが、そう云えば彼の話を聞いた覚えはなかった。
「あ、どうぞ。散らかってて申し訳ないです」
鷲須は戸惑いながら、カウンターの内側に二人の客を招き入れた。応接コーナーは凛が休んでいるから使えない。手早く作業机から物を片付けながら、比較的きれいな椅子を二つ引き出した。
「コーヒーでいいですか?」
「ああ。お構いなく。忙しそうだね」
「ええ。それだけ義肢を必要とする人が多いということですよ」
鷲須は困ったように眉尻を下げながら、二人の前にコーヒーカップを置いた。
「こんな状態では、とても外国には行けません。ぼくは、この仕事が好きなんです」
電話でも断ったのだが、鷲須はもう一度断わりの言葉を口にした。
玉川の話というのは、ヒューマノイドの技術を必要としている国で働かないか、というものだった。彼と一緒に来ている金髪の青年は、きっとその国の関係者なのだろう。
「もったいないとは思わないのか? 確かに義肢装具士は大切な仕事だが、きみほどの技術者ならもっと先端の、それこそ開発に携わることができるじゃないか!」
「玉川さんは行かれないのですか?」
「技術者としてのおれはもう引退だ。会社がつぶれてから、おれは初めて食うにも困る貧困を体験した。おかげで今は、貧困児童を救済するためのNPOの責任者をしている。だから、彼から打診を受けたとき、きみなら適任だと紹介したんだ」
玉川が手のひらを金髪の青年に向けたので、鷲須はあらためて青年に目を向けた。
くせのある淡い金髪に縁どられた端正な顔立ち。吸い込まれるような青い瞳はまるで宝石のようだ。きっと歩いているだけで若い女の子の目を惹きつけるだろう。もしかしたらアイドル並みの騒ぎになるかも知れない。
(すごいイケメンさんだなぁ)
ぼんやりとそんなことを考えていたら、金髪の青年が名刺を取り出して鷲須の方へ手を伸ばした。そのままテーブルの上に置く。
「私はリュシアン・ディディエと申します。労働人口の減少に苦しんでいる国々に向けて、良質なヒューマノイドを提供する仕事をしています。我が国ではヒューマノイドは違法ではありませんが、今後は人間と区別がつくようなタイプに変わる可能性もあります」
流暢な日本語だった。彼は柔らかな口調で説明し、輝くような笑顔を向けてくる。
「ぜひ、あなたに働いて欲しい。報酬は今の十倍を約束します」
「じゅっ、じゅうばいっ?」
鷲須は素っ頓狂な声を上げた。
リュシアンはクスクス笑いながら頷く。
鷲須は恥ずかしくなってパシパシと頬を叩いた。どんなに報酬が高くても答えは変わらない。それをわかってもらうために、彼は頭を振った。
「申し訳ないが、さっきも言ったように、ぼくはこの仕事が好きなんです。辞めるつもりはありません。本当に申し訳ないですが……」
何度も頭を下げながら、鷲須はリュシアンが置いた名刺を押し返した。万が一にもこの話を受ける気はないという意思表示だ。
しかし、リュシアンは微笑んで、鷲須の手を押し戻すように自らの白い手を重ねた。
「私は諦めません。またお誘いしに参ります。どうかこの名刺は持っていてください」
〇 〇
話し声が聞こえた。
それがテレビの音ではなく、鷲須と誰かの話し声だと気づいた瞬間、凛は目を覚ました。いつの間にか居眠りをしていたらしい。
凛はあわててソファーの上に座りなおした。
目の前のローテーブルには義手が置いてある。凛が居眠りしている間に修理が終わったのだろう。
手を伸ばして、固まった。
義手の手首の部分にある、一ミリほどの赤いボタンが点滅していたのだ。
自爆テロの被害者である凛のために、鷲須が特別につけてくれたヒューマノイドを感知するセンサーのボタンだ。
(五メートル以内に……ヒューマノイドがいる!)
凛は震えながら立ち上がった。パーテーションの影から事務所内を見回す。
見たことのない客が二人、ちょうど帰るところだったのか、凛に背を向ける形で事務所の出口へ向かっている。
そのうちの一人が、ふいに振り返った。金髪の外国人だ。
あわててパーテーションに隠れたが、もしかしたら見つかったかもしれない。
ドキドキと鼓動する胸を抑えながらローテーブルの義手に目を落とすと、もう赤いボタンから光は消えていた。
(……誤作動?)
もう一度おそるおそるパーテーションから顔を出すと、客はもう帰ったらしく、見送りに出ていた鷲須が戻ってきたところだった。
「おじさん……」
「ああ、凛ちゃん起きたのか」
ふわりと笑顔を浮かべる鷲須に、凛は駆け寄った。体中が凍ってしまったかのように冷たく強張っている。
「さっきの人は誰? あの人は、ほんとに人間?」
「えっ、どうしたの?」
鷲須は一瞬ポカンとしてから笑顔を浮かべた。
「ぼくの昔の上司と外国からのお客さんだけど……確かにあの青年は人間離れしてたね。でも大丈夫。うちは入口にヒューマノイドセンサーつけてるからね」
「入口に? じゃあ、あたしの義手が反応したのは、やっぱり誤作動……」
そう呟いてはみたが不安は消えない。
凛は何かに突き動かされるように外へ出た。
義肢製作所の前に立ったまま、駅へと続く夕闇の商店街へ目を向けようとして、息を吞んだ。
淡い金髪に縁どられた白皙の青年が、道を挟んだ凛の向かい側に佇んでいた。
まるで凛が出てくるのをわかっていたかのように、立ちすくむ凛に向かって嫣然と微笑みかけてくる。そして満足したように、ゆっくりと背を向けた。
凛は逃げるように事務所へ戻り、鷲須に叫んだ。
「おじさん、
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