第44話 土佐坊、義脛の討手として京に上る事6

■文治元年(1185)10月

 静御前は敵の鬨の声に驚き、義脛を揺り起こし、「敵が押し寄せてきました」と言ったが、酒に酔った義脛は静御前の白い脛をさするばかりで目を覚ます様子はない。


 静御前は唐櫃の蓋を開けて着背長きせながを引っ張り出し、義脛の体の上に投げつけた。

[訳者注――着背長は大鎧の美称]

[訳者注――酔っぱらって寝入っている義脛を起こすためとはいえ、鎧を投げつけるとは静御前も肝が据わっている]


 その衝撃に義脛はがばりと起き上がる。


「何事だ」


「敵が押し寄せてきました」


「よしよし、まんまと策にはまってくれたようだ。間違いなく土佐坊が襲撃しにきたのだろう。誰か人はいないか。あやつを斬れ」


「侍は一人もおりませぬ。夜更けに別れ、それぞれの宿所へ帰りました」


「そうであったな。守りを固めていると向こうから仕掛けてこないだろうと侍たちを帰らせたのだった。侍ではなくてもよい。誰か男はおらぬか」


 女房たちが走り回って探したが、従者の喜三太しかいなかった。


 義脛が喜三太を呼べと申されたので、喜三太は南面の沓脱ぎに畏まる。


 義脛が「近こう寄れ」とおっしゃられたが、日頃近くにお仕えしていなかった喜三太にはできなかった。


「お前よ。そういうのも時によるものだぞ」


 そう義脛が命じたので、蔀の際まで近づく。


「考えていた通りに相手が動いたようだ。だがその策のためにいつもこの義脛の近くにいる者たちを遠ざけざるを得なかった。これから鎧を着て馬に乗って出るが、まずはお前が向かい、義脛の準備ができるまで戦い続けて待て。見事役目を果たしたならばこの義脛の鎧をやろう」

[訳者注――実は土佐坊が鎌倉を出発する前から義脛は朝廷に対して頼朝追討の宣旨を要求していたと資料が残っている。つまりこの時の義脛は先に相手から手を出させることで頼朝追討の大義名分を得ようとしていたと考えられる]


「承りました」


 そう言って喜三太は走って行き、大引両(家紋のこと)の直垂に、逆沢瀉さかおもだかの腹巻を着て、長刀だけを手に取ると、縁より下へ飛び降りた。

[訳者注――腹巻は体に密着させた鎧なので歩兵戦に向く]


 そこに静御前と同じく白拍子をしている女が声をかけた。


「お待ちください。出居いでいに、予備の弓があったはずです」

[訳者注――出居は寝殿造りの居間兼接客用の部屋のこと]


「入って確かめてみよ」


 と義脛が仰せになる。


 喜三太が客間に走って入ってみれば、白箆に白鳥の羽で作った十四束の長い矢に、白木の握りの太い弓が添えて置かれている。

[訳者注――十四束は握りが14つ分ある矢のこと。通常よりも長い矢である]


 喜三太は、ああ、よい物があったと思い、出居の柱に弓を押し当て、えいやっと弦を張り、鐘を撞くように弦打ちを何度かして具合を確かめたあと、大庭に走り出した。


 喜三太は一番下の身分の者だったが、藤原純友すみともや平将門まさかどにも劣らない剛の者であった。

[訳者注――藤原純友。平安時代中期の貴族。海賊を率いて瀬戸内で反乱を起こした]

[訳者注――平将門。平安時代中期の関東地方を治めた豪族。新皇を自称し東国を独立させようとした]


 しかも中国で弓の名手として知られる楚の養由ようゆうに劣らぬほどの弓上手の者である。

[訳者注――養由基。春秋時代の中国における弓の名人]


 四人張りの強弓で十四束の矢を射ることができた。

[訳者注――強い弓で長い矢を引くにはそれだけの力量が必要になる。ここでは喜三太がそれだけの強弓で威力の出る長い矢を射ることができることを説明している]


 喜三太はこの弓は自分にあつらえたかのようによい具合だと喜び、門へ向かって行き、閂の木を外し、門の片側を押し開いて外を見た。


 月星夜の光に兜の星がきらきらと輝き、内冑うちかぶとも見えて、射やすそうに見える。


 喜三太は片膝をついて、矢継ぎ早に指し詰め引き詰めして、散々に矢を射た。


 土佐坊たちの軍勢の先頭を駆けていた家来の五、六騎を射落とし、たちまち二人を殺した。

 土佐坊はこれはかなわないと思い、いっせいに兵を引く。


「土佐坊よ、見苦しいぞ。それが鎌倉殿の代官がするようなことか」


 喜三太が声をかけると、馬を扉のかげに近寄らせた土佐坊が言った。


「今夜の大将軍は誰なのか。名乗るがいい。闇討ちとは卑怯ではないか。かく言う自分は鈴木党の土佐坊昌俊である。鎌倉殿の代官である」


 しかし身分の低い喜三太では土佐坊が相手をしないかもしれないと思い、返事をしなかった。

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