第20話 義脛、鬼一法眼の所へ行った事4

■承安5年(1175)12月

 十二月二十七日の夜更のことだったので、義脛の衣装は白小袖の一重に藍摺りの衣を重ね、上質な絹の大口袴に唐織物の直垂を着篭めていた。

 そして太刀を脇に挟み、姫君に別れを告げた。

[訳者注――上質な衣装に身を包む義脛あげの描写である]


 姫君はこれが最後の別れになるからと悲しまれた。

 そして戸の脇に衣を被ってうずくまって泣いた。



 義脛は天神の前で跪き、こう祈りを捧げた。

[訳者注――湛海の想定よりも先に義脛が天神に到着している]


「南無大慈大悲の天神よ。利生の霊地よ。すみやかに機縁の福を授けられ、拝む者たちには千万の願いが成就するとお聞きいたします。この地に社壇を設け、名付けて、天神と呼んで崇め奉る天神よ。願わくは湛海を間違いなくこの義脛の手にかけさせてくださいませ」


 そう祈りを捧げてから南へ向かい、四、五段(40から50メートル)ほど歩くと大木が一本あった。

 大木の下の薄暗い場所は五、六人が隠れられそうである。


 それを見て、いい場所があった。ここで待っていて斬ってやろうと思い、太刀を抜いて待つことにした。


 やがてそこに湛海がやってきた。

 腹巻を着た五、六人の屈強な者に前後を歩かせている。


 その湛海はまるで自分は名のある印地の大将であるとでも言いたげな一風変わった装束を身に着けていた。


 褐色の直垂に伏縄目の腹巻を着て、赤銅作りの太刀を佩いている。

 御免風の革で表鞘を包んだ一尺三寸(約40センチ)ある刀をしっかり差し、鞘を外した大長刀を杖のように突いている。

[訳者注――美しい衣をまとった義脛に対して、粗野な印象を持たせる湛海の外見描写となっている]


 法師ではあったがいつも頭を剃っていなかったので、頭には掴めるほど長く髪が生えていた。

 その髪を頭巾で覆っていたので、まるで鬼のようにも見えた。


 義脛が身を屈めて見やれば、湛海の首まわりに邪魔になるものは着けておらず斬りやすそうに見えた。


 どうやっても斬りそこなうことはないだろうと義脛が待ち構えているのも知らずに湛海は義脛が立っている方へ向かって祈りを捧げる。


「大慈大悲の天神よ、願わくは名を知られた男を、このわし湛海の手にかけさせたまえ」

[訳者注――この時点で、義脛の名も世間で知られているのがわかる]


 義脛はこれを見て、どのような剛の者であっても今すぐ死ぬかもしれないとは知らないのだなと思った。


 今すぐに斬ってやろうと思ったが、少し前に自分が天神に大慈大悲と祈念していたので、義脛にとっては喜ばしいことになり、彼奴にとっては冥途へ向かう祈りになった。


 しかし、湛海が祈り終えないうちに斬って社殿を血で穢すようなことがあれば神慮の咎を受けるかもしれない。


 ここは帰る最中を狙おうと考えを変え、敵を素通りさせて戻ってくるのを待つことにした。


 それは摂津国の二葉の松が大地に根ざし、千年を待つよりも長く感じられた。


 湛海は天神を参拝して義脛を探したが誰もいなかった。

 一人の僧に会ったので慌てた様子で問い詰めた。


「このような若者がお参りしていなかったか」


「ああ、その方でしたら既にお参りを済ませて帰られました」


「急いでお参りしていればみすみす逃がさなかったものを。きっと法眼の家にいるに違いない。行って追い出し、斬って捨ててやる」


 湛海は心中穏やかではない様子で同行者にそう言った。

 そして七人は連れ立って天神を出た。


 今だと義脛は先ほどの場所で待っていた。


 七人は二段(約20メートル)ほど近づいたが、湛海の弟子の禅師という法師がこう言った。


「源義朝殿の若君は鞍馬寺にいた頃は牛若殿、元服してからは源九郎と名乗っていますが、法眼殿の末娘に近づいたそうです」

[訳者注――この情報は末姫を娶り、法眼の宝を自分のものにしたかった湛海にとって残念な展開だと考えられる]


「女が男に会えば正しい判断ができなくなるもの。もし今回のことを聞いており、義脛に教えているとすれば、あのような木の陰で待ち構えているかもしれません。四方に気を配り油断なさいますな」

[訳者注――この禅師という弟子の言う通りである]


「皆の者、音を立てるな」


 湛海がそう指示をした。


「それならばそいつを呼び出してやろう。剛の者であればまさか隠れたままということはあるまい。臆病者なら我らの様子に怖気づいて出てこられまい」

[訳者注――湛海、図らずも義脛の弱点をつくことに成功する]


 こうなったのならただ姿を現すよりも、いるかと言う声につられて出てやろうと義脛が思っているところに湛海が憎々しげな声で呼びかけた。


「今出川の頃から世の中に不用となった源氏は来ておらぬか」


 その言葉が終わらないうちに太刀を振りかぶり、おおっと叫びながら義脛は姿を見せた。

[訳者注――煽りに弱い義脛であった]


「貴様が湛海で間違いないか。この私が義脛だ」


 といって追いかけた。

[訳者注――待ち構えて不意を突くつもりが、堂々と姿を見せて戦うことになっている。湛海の作戦勝ちとみるべきか、義脛は煽られやすいとみるべきか。どちらかというと後者が優勢だろうか]


 それまで弟子たちは「ああ攻めよ、こう攻めよ」と言い合っていたが、その時になると三方へさっと散っていた。

 湛海も二段(約20メートル)ほど逃げている。


「生きようが死のうが弓矢を取る者にとって臆病ほどの恥があるか」


 そう思った湛海は長刀を握り直して戻ってくる。

 義脛は小太刀を構えて走り寄り、散々に打ち合った。

[訳者注――長刀と小太刀ではリーチの差で圧倒的に長刀が有利である]


 もともと義脛の技量の方が優れていたので、湛海は劣勢に立たされていく。

 これはかなわないと大長刀を握り直して必死に打ち込んだが、少し怯んだ瞬間に長刀の柄を斬り落とされてしまった。

[訳者注――これまでも示されていたが、義脛個人の武勇はかなりのものであった]


 長刀をからりと投げ捨てたところに、小太刀を構えた義脛が走り寄って斬る。

 切っ先が首に届いたと見えた瞬間、首がぽとりと前に落ちていた。

[訳者注――小太刀を使ったこの技はおそらく大天狗から教えられた京八流の剣技であろう]


 湛海は三十八歳で死亡した。

 酒を好む猩々は樽のほとりに繋がれ、悪を好んだ湛海は鬼一法眼に協力して死ぬことになった。

[訳者注――鬼一法眼の弟子だった湛海だが、京八流を受け継いだ義脛とそうではなかった湛海の対比にもなっている]


 手下の五人の者たちはこれを見て、あれだけ威張っていた湛海ですらこんなことになったのだ。まして我々が勝てるはずもないと思い、散り散りになって逃げていった。

[訳者注――湛海の弟子は5人だったのか6人だったのかはっきりしない。そのため描写がブレている]


「待て、憎き奴らめ。一人も逃がさぬぞ。湛海と一緒にいた時は共に戦うと言っていたではないか。汚いぞ。戻ってきて戦え」


 義脛にそう言われて、さらに足を速めて逃げていく。


 あちらに追い詰めさっと斬り、こちらに追い詰め枕を並べるように一人をさっと斬った。

 しかし残りはあちこちへ逃げてしまった。

[訳者注――後を追いかけて斬り捨てた義脛の脚力は六韜によって得られたものであろうか]


 義脛は斬り落とした三つの首を集めて、天神の前にある杉の下で念仏を唱えていたが、心の中ではこの首を捨ててしまうか、それとも持って帰ろうかと考えていた。


 そういえば法眼は必ず首をとって欲しいと言っていたのを思い出し、持って帰って奴の胆をつぶしてやろうと思い立った。

[訳者注――自らが成したことを誇示するところは『鏡の宿で吉次が泊まった宿に強盗が入る事』から何も変わっていない]


 そして三つの首を太刀の先で刺し貫いて帰ることにした。

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