第67話 着任


「遅い……どこで何をしておる……!」


 ガスパー将軍は苛立ちを隠せなかった。場所は自身の執務室。エルゾの町にある駐屯地である砦の一室だ。迫力のある顔だが初老という年齢には勝てず、髪の毛はほとんどが白髪だ。旧エレンツィア王国を裏切り帝国に着いた軍人の一人であった。


 ガスパー将軍は第四平定軍麾下きかの旅団長という立場にある。カザラス帝国では百人の兵を「小翼隊」と呼び、五百人で「中翼隊」、千人で「大翼隊」という構成になっている。この大翼隊数個で旅団となる。つまり彼の指揮下にある兵はこのエルゾに駐留している千人以外にもいるということである。エルゾはその特殊性から常時多数の兵を置くことで圧力をかけられていた。


 今日はヒルデガルドの着任の期日当日、時刻は昼であった。しかし彼が待っているのはヒルデガルドではない。リョブであった。


(まさか失敗したのか? ……いや、そうであればヒルデガルド様が到着しているはず。どちらも来ないというのはどういうことだ……?)


 ガスパーはすでに確認のために兵を送り、街道沿いを確認させに行かせていたが、野営の跡や戦いの跡はあったもののそれ以外には何も見つけられなかった。


(もしや、この儂に一言の挨拶もなく、ダーヴィッデ様の元へ行ったんではないだろうな。くそう、あの腰巾着め!)


 ガスパーは怒りに任せてクズ籠を蹴りつけた。その時、扉の部屋がノックされた。


「なんだ!」


「し、失礼します」


 部屋から聞こえた物音にビクビクしながら兵士がドアを開ける。


「ガスパー閣下、ヒルデガルド様がお見えになられています」


「ヒルデガルド様が!?」


 ガスパーは驚きの声を上げる。


(リョブたち失敗したのか……これは好都合だ。レッドスコーピオ自由騎士団を倒したのは見事だが、ここは儂の砦だ。たかが十数人、砦に閉じ込めて葬ってしまえば、全ては儂の手柄だ……)


 ガスパーは心の中で素早く計算し、ほくそ笑んだ。


「よし、全員広間へお通ししろ」


「ぜ、全員ですか?」


 兵士は戸惑った。


「そうだ、全員だ」


「す、少し厳しいかと……」


「なぜだ?」


 ガスパーは怪訝な顔をした。


「なぜって……五百人以上いらっしゃいますので……」


「なっ!?」


 ガスパーは絶句した。




 ガスパーと砦の応接室、テーブルを挟んで部屋の奥側にヒルデガルド、ラーゲンハルト、フレデリカが座っている。ガスパーが入ってくるとヒルデガルドだけが立ち上がり、敬礼した。


「ヒルデガルド・カザラス小翼長、ただいま着任しました」


(この小娘……皮肉のつもりか……!)


 ヒルデガルドは礼儀を重んじ形式的に振舞っているのだが、ガスパーには癇に障ったようだ。


 ちなみにカザラス皇帝ロデリックの第一妃の子供は「カザラス」がミドルネームで、「ローゼンシュティール」がファミリーネームであるが、第二妃以降の子供は「カザラス」がファミリーネームとなっている。これは皇帝ロデリックの意向によるものだった。


「よ、ようこそおいでくださいました。どうぞおかけください」


 ガスパーはヒルデガルドに着席を促す。ガスパーもしきりに汗を拭きながら入り口側の席に腰掛けた。怒りや戸惑いで、その感情はグチャグチャになっていた。


「遠路はるばるようお越しくださいました」


 ガスパーは頭を下げる。その際、フレデリカをギロリと睨んだが、フレデリカは素知らぬふりをした。


(……ヒルデガルド様がラーゲンハルト様に援軍を頼み、五百の兵を用意した……それはまだわかる。だがなぜフレデリカが一緒にいるのだ? 護衛が多くて襲撃をやめた? ではリョブはどこに? ま、まずは何が起こっているのかを確認せねば)


 ガスパーは目まぐるしく考えを巡らせた。


「ヒルデガルド様は内密にこちらへいらっしゃるというお話だったかと思いますが……ずいぶんと大勢でいらしたのですな」


 ガスパーが作り笑顔で尋ねた。


「大本営の指示通り、私は商隊員と護衛の冒険者数人、そしてわずかな手勢のみでエルゾまで参りました」


 ヒルデガルドが無表情に答える。


「そうさ、おかげで大変だったんだよ。そのせいでリョブが……あぁ、気の毒、気の毒」


 フレデリカは大げさに悲しむ演技をしたが、「気の毒、気の毒」の部分は完全に「めでたし、めでたし」の言い方だった。


「ど、どういうことだ……?」


 ガスパーがこめかみに血管を浮き立たせながらフレデリカに尋ねる。


「あんたも知ってる通り……あたしらレッドスコーピオ自由騎士団はリョブたちとヒルデガルド様をお迎えにモンナの町へ向かっただろ? なんせヒルデガルド様はわずかな護衛しか連れていないからね。万が一何かがあったら大変だ。ところが運悪く、獣の森の獣人どもが襲ってきてね。リョブたちと商隊は全滅。”剣者”ルトガー様もお亡くなりになり、あたしの部下も三人死んだ。たまたま近くにいたラーゲンハルト様の部下も五名やられちまった。いやー、許せないね、獣人たちは」


 フレデリカは笑みを浮かべながら悲劇の一部始終を語った。


「いや……え、それは……」


 ガスパーはフレデリカが何を言っているのかわからず、口をパクパクさせるだけだった。


「レッドスコーピオ自由騎士団やリョブ殿が加勢してくださらなかったらどうなっていたことか……どうか、ダーヴィッデ様にもお伝えください。おかげさまで最悪の事態は避けられました。ありがとうございます、と」


 ヒルデガルドはガスパーを冷たく睨みながら言った。今度は間違いなく皮肉である。


「は、はぁ……」


 ガスパーはもはや何も理解できておらず、惰性で相槌を打っているだけだった。


「いやぁ、僕も散々だよ。僕の部下の多くがヒルデガルドのファンになっちゃっててさ。亡くなった五人は軍を辞めて、こっそりヒルデガルドについて行ってたみたいなんだ。それを調査するために僕が来たんだけど、今度は五百人もついてきちゃってさ。みんな軍を辞めてヒルデガルドの私兵になるんだってさ。いやー、さすが我が妹だ。あ、ちなみに合流したのはエルゾに着いてからの話だから、大本営の指示には反してないよ。たまたまヒルデガルドたちもエルゾの近くの森にいたみたいでね。城門の前でばったり会ってさ。門番に聞いてもらえばわかるよ」


 ラーゲンハルトが軽口をたたきながら、両腕を組んでうんうんと頷いた。ヒルデガルド一行はラーゲンハルトに手紙を送ると、そのまま進みエルゾ付近の森の中に隠れラーゲンハルトの援軍が来るのを待った。ガスパーが偵察を送ったのは、すでにヒルデガルドが森に隠れた後だったのだ。そして安全確認のためラーゲンハルトの兵を先行させ、エルゾの兵がいきなり襲ってくることがないことを確認してからヒルデガルドたちも姿を現したのだ。


「そ、そうですか。ファン……」


 ガスパーは間の抜けた表情で呟くことしかできない。


「さて、表向きの言い訳はこれくらいにしてと……」


 ラーゲンハルトの口調が変わった。まとう雰囲気が、それまでの軽いものから冷たいものに変わる。その目は猛禽類のように鋭い光を放ち、ガスパーを睨みつけていた。その様子にガスパーは背筋が凍るのを感じた。


「ダーヴィッデに伝えてくれ。こちらも少なからぬ被害が出たが、内紛で帝国を割るわけには行かない。今回は穏便に済ますつもりだ。だがこれ以上やるつもりなら、こちらも容赦はしない。悪いがそちらの行動はこちらに筒抜けだ。今回の襲撃を防げたのもそのせいさ」


 ラーゲンハルトの迫力ある眼光にガスパーの息が止まる。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだ。


「ついでにダーヴィッデに伝えとくれ。次に会う時に、あんたの命乞いを聴くのを楽しみにしてるよ、ってね」


 フレデリカも先ほどまでの薄ら笑いをやめ、冷たい表情で言った。


「君もどちらにつく方が得か、よく考えるといい。ガスパー将軍」


 ラーゲンハルトはガスパーの肩に手を置いた。


「あがっ……は、はい!」


 呼吸をすることを思い出し、脂汗を流しながらガクガクとガスパーは首を縦に振った。軍人としても、政略家としても格が違う。ガスパーはそれをまざまざと見せつけられた気分であった。

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