017 過去の罪業

「少ししたら様子を見に来ますけど……終わったら一度、職員室に来て下さい」

「分かりました」

 丁度案内を終えたらしく、先生は応接室を示してから、職員室に戻っていった。私はそれを見送ってからノックする。

 相手の返事を受けてから入ると、応接室には二人の人間がいた。

 おそらくは私のおばあちゃんであろう女性と、スーツ姿でビシッと決めている中年男性だ。そっちはおじいちゃんじゃないとは思うけど……誰だろう?

「ああ、あなたが……」

 そう言われて流れるまま、初老の女性に抱き着かれた。

 身なりは綺麗な方だが、服はあまり傷んでいない。買って間もないのが良く分かる。

「あの……」

「あぁらら、ごめんなさい。つい……ね」

 手を離してくれた女性に勧められ、私は応接室のソファに腰掛けた。彼女も向かいに腰掛け、自分の名前と一緒に祖母であることを伝えてくる。ちなみに後ろの男性はやっぱりおじいちゃんとかではなく、弁護士の先生らしい。

 何で連れてきたのかは不明。ちょっと怪しい。

「こちらはお気になさらず」

 向こうもそうとしか返してこないので、とりあえずは保留。一先ずは目の前の人に集中しないと。

「本当、私達のことであなたのお母さんにも迷惑を掛けちゃって……ずっと後悔していたの」

「はあ……」

 初対面だし、お母さんからの事前情報もあってか……あんまり感動の再会にはならなかった。というか、私にとっては完全に知らないおばあちゃんだし。それっぽい立ち位置ポジションの人が一人もいなかったので、どう対処したらいいのかが分からないのだ。

 弁護士さんは弁護士さんで、女性の後ろに突っ立っているだけだし……とりあえず話を聞いてみよう。

「本来なら直接あの子に話さないと、とは思ってたんだけど……私とおじいちゃんは、人として間違った道を歩いちゃっていたから、あなたのお母さんに顔を合わせづらくて……」

「そう、ですか……」

「私達のことあの子から……お母さんから、何か聞いている?」

 ここは正直・・に答えた。

「『脱税していたから、税務署の職員として対応した』ということ、位です」

「そう……ええ、そうなのよ。ようやく今年・・、私達二人共出てこられてね」

 はい、脱税だけ・・じゃないことは確定しました。まあ、逮捕されて十年以上経っている時点で、他に余罪があることは分かっていたけどね。

 問題はその余罪の方だけど……今はちょっと様子を見よう。

「それで……ちょっとあなたにお願いがあるのよ。いいかしら?」

「何でしょう?」

「今日初めて会ったばかりだからしょうがないけど……私とあなたは祖母と孫、別に他人行儀じゃなくてもいいのよ」

 いや、その辺りはもう少し親しくなってからにして欲しい。

 そもそも、おばあちゃん的な人との接し方を知らないのに、他人行儀をやめろと言うのが無茶な話だ。まだ元犯罪出所者を相手にしていると思った方が気楽に感じられる。

 ……主に、お父さんの職場のせいで。

「その辺りは今後徐々に、でお願いします。それで……お願い、というのは?」

「ああ、そうそう。それなんだけどね……」

 ちょっと気安い感が出てきている。

 う~ん……まずいかもしれない。


「お母さんに謝りたいの。今日、お家にお邪魔してもいいかしら?」


「…………」

 ……私の心の中に、酷く冷たい感情が生まれていく。

 それこそ、自称舎弟の彼から『貧乳』だの『ぺちゃぱい』だのと言われた時以上に。




 **********




「……はっ!?」

「ちょっと、どうしたのよ?」

 ある教室から出てきた二人、その少年の方が突如、何かを言い出した。

「今、『そこまで言っていない!』ってツッコまないといけない気がして……」

「……どうせ気のせいでしょう。さっさと行くわよ」

 しかし少女の方は取り合わず、手荷物を片手にさっさと歩いていく。少年も慌てて、その後を追いかけていった。




 **********




 つまり私を介してお母さんに会いたいという話だろうけど……明らかに非常識だ。急いで会いたいとかの事情でもない限り、まずは口添えを望むはず。それすら飛ばすなんて、強引な手段を取らなければ絶対に会って貰えないと言っているようなものだ。

 ……理由に心当たりはある。多分、というよりほぼ間違いなく、余罪の方だ。

 だから私を介して、強引に会おうとしているのだろうけど……私は内心煮え滾っている感情を押し殺し、冷徹に思考を巡らそうと一呼吸した。

 ふぅ……よし。

「……話は分かりました」

「本当!?」

 勢い込んで聞いてくるけど、私は『話は・・分かりました』と言っただけだ。会うことに対して了承した覚えはない。

 何せ背後には弁護士・・・が控えているのだ。下手な発言は避けるに越したことはない。

「でもその前に、いくつか確認させて下さい」

「確認、って何をまた……」

 訝し気な眼差しを向けてくるが、明らかに孫相手にするものじゃないってことは、さすがの私にも分かる。

 向こうはそれに気付いているのだろうか……?

「私がお母さんに電話を掛けて、事情を話してから替わることもできますが……それでは駄目なんですか?」

「やっぱり直接会って謝りたいもの。それに、ちょっと驚かせてあげたいし」

 驚かせるとか……謝罪する側の態度とは思えない要素有。

「お母さんの職場や連絡先等は、ご存じないのでしょうか?」

「捕まった後、手紙を出したこともあるのだけど宛先不明で送り返されてきちゃって……一応職場の税務署にも問い合わせようかとも考えたんだけどね。ほら、今は個人情報がどうとかうるさいじゃない」

 それでも伝言を預かって貰うなり、直接乗り込んで問い質すなりすれば、少なくともお母さんは気付くはずだ。しかも驚かす・・・という目的も果たしている。

 話に若干の矛盾有。

「じゃあ……私がこの学校に通っていることは、誰から聞きましたか?」

「ああ、それは……」

 そう言って、彼女は後ろに控えている弁護士さんの方を見た。

「この弁護士さんの提携・・している興信所に依頼したのよ。さすがにどの学校に通っているか位しか調べて貰ってないけど」

 おまけに弁護士さんの通称に『悪徳』か『偽物』と頭に付く可能性まで出てきた。

 まともな弁護士はまず、表立って探偵や興信所と提携しているとは言わない。ギリギリグレーゾーンでも、違法行為に触れる可能性がある業務をするのだ。下手に繋がっていると、事務所の信用問題に関わってきてしまう。

 それに、依頼人によってはその人の素性や事情の確認を内緒で行う必要も出てくる。じゃないと、自分が犯罪に加担してしまうこともあるのだから。

 そのせいで、たとえ個人的な知り合いだとしても、依頼人に紹介すること自体がまずない。だから提携していることを依頼人に話している時点で、本当に弁護士なのか、本気で疑わしく思えてくる。

 そもそも……法律を勉強している人間が、自分から犯罪行為に走るなんてこと自体考えられないし、そんな間抜けな人が司法試験に受かるとも、到底思えない。

「……それで、聞きたいことはこれで全部かしら?」

「そうですね……」

 それ以前に、この人は気付いていない。

 私がこのおばあちゃん自身のことについて、一切触れていないことに。まるで私に興味がないから、向こうも興味を持たれていないことに気付いていない感じだ。

 こうなると……やっぱり聞いた方がいいかもしれない。

「……じゃあ、最後に一つだけ」

「何かしら?」

 こっそりと指を軽く動かし、何が起きても対処できるようにしてから、私はゆっくりと口を開いた。

「脱税って、程度にもよるかもしれませんが、十年以下の懲役ですよね?」

「あら……そうなの?」

 本当に知らなかった、という顔をしている。変に突っ込んでもすっとぼけられそうだし、もうさっさと核心を突いた方がいいのかもしれない。

「ずっと思ってたんですけど、他にも余罪があったんじゃないですか? たとえば……」

 ここで私は、ずっと考えていた仮説を語った。


「そう、たとえば…………『虐待・・』とか」


 ……あ、驚いてる。

 無表情を装えていないどころか、そんなことはないと否定する言葉もない。痛いところを突かれてしまい、向こうは何も考えられないみたいだった。




『お母さんは、虐待されて育った』

 私がずっと、考えていた仮説だ。もしその通りなら、今までのことにも説明がつく。

 虐待されて育ってきたから、身体の傷跡を隠そうと私に対して肌を見せなかったのだろうし、包丁が苦手だというのも納得がいく。

 包丁そのものに精神的外傷トラウマがあるのか、それとも躾の道具として誤って使わないよう避けているのか……もしかしたら両方かもしれない。

 大体、いくら実家が罪を犯していても、そんな簡単に切り捨てられるなんてこと自体、普通は難しい。正義感よりも報復の気持ちが上回っていたと考える方が自然だった。

 それに……お母さん自身も言っていた。

『『しなきゃいけないこと』と『絶対にしたいこと』じゃあ、目的意識モチベーションが本当に変わってくるのよ』

 つまり『実家を正さなければならない』よりも、『実家を潰してやりたい』という気持ちの方が強かったという意味にもとれる。怒りや憎しみで周囲が見えなくなる人間というのはよく聞くけど、それも逆に言えば、周囲に惑わされずに目標へと邁進できたということだ。ある意味、『喜怒哀楽』の『怒』の感情を上手く使いこなした結果とも言えるだろう。

 そう考えると、お母さんが高卒の苦学生だったって話も説明がつく。

 多分、何かの拍子で虐待のことがばれたんだ。起訴まではいかなくとも、子供が保護されて施設送りになるなんて、よくある話だ。

 その後バイトをしながら通信制の高校に通っていたのだって、真っ当な人生を歩む手段がそれしかなかったから、だけじゃない。将来実家に復讐する手段を得る為でもあったと思う。下手に頭が回るのなら、合法的に復讐する方がいいと考えるのが自然だ。犯罪自体、割に合わないことの方が多いのだし。

 だからこそ、弱みを的確に突ける職種を選んでいてもおかしくなかった。何せ、もう『脱税』していること自体知っていたのだ。同時に虐待についても告訴してしまえば、他にも余罪があるんじゃないかと疑いの目を向け、隅々まで捜査させることもできる。

 そして実家は警察送りとなり、お母さんは晴れて復讐を果たしたのであった。


 しかし……話はそれで終わらなかったから、こんなにも、事態が拗れてしまったのだろう。




「ち、違、」

「じゃあ、余罪は何か教えて下さい。あなたのことを伏せた上で、お母さんに電話して確認を取っても構いませんよ」

 今、言葉は出させない。下手に言い訳をさせている間に、余計な考えを生ませない為に。

 そして、それ以上に……『沈黙する』という解答を得る為に。

「そもそも気付いていますか? あなたの話に、所々矛盾があることは」

 さっき気付いたことを推理小説の探偵よろしく語ってやると、反論できないのか完全に口を噤んでしまっている。

 後は駄目押しだ。

「ちなみにこの会話、録音・・してますからね」

 から取り出したスマホを掲げて見せる私に、目の前のおばあさんは腰を上げて手を伸ばそうとしてくる。いくら刑期が長くても、スマホの録音が裁判の決定打になり得ることは理解していたらしい。

 むしろ、犯罪者だからこそ理解していたのかな?

 まあ……どっちでもいっか。

 私はスマホを、ソファの裏に落とした以外何もしなかった。もう必要はないし。

「……スマホそれ、もう壊しても無駄ですよ」

 慌てて立ち上がってスマホを拾い上げようとする女性に対して、私は冷淡に告げた。

もう一台・・・・のスマホに、同期済みなので」

 私は普段、同一機種のスマホを二台持ち歩いている。有事に備えて、お父さんからお母さんを介して渡されていた物だ。

 一台は懐に、そしてもう一台の普段使い用は鞄の中に仕舞っていた。

 懐の方はボイスレコーダーの代わりにしている上に、一応電話番号も別にしているから、不審者対策になる。自称舎弟の彼に教えたのも、こっちの連絡先だ。いざとなればあっさり解約して、手を切れるように。

 おまけにこのスマホは、機種こそ市販品だけど、中に入っているアプリはお父さんの会社の人が作った特別製だ。常に情報を同期しているから事前に操作しておかないと、故障どころか圏外になった途端、お母さん達に緊急連絡が飛ぶ仕組みになっている。

 ついでに言えば、鞄に入れていた方の普段使いのスマホはあの二人友達に頼んで移動済み。最悪の場合は独自の番号で状況を連絡、襲われたりとかした場合は壊して、って伝えてある。

 一応電波妨害機ジャミングも警戒していたけど、圏外になっていないってことは、その手の準備はしていなかったらしい。

 警戒感に落差があり過ぎて、正直呆気に取られてしまう。もう少し状況を逼迫させてくれても良い位だった。

 そうしたら格好良く決め台詞とか言えたのに。『王手詰みチェックメイト』とか。

「あなたのことはお母さんに連絡して対応して貰います。何を考えているのかは知りませんが、私は一切関係しませんので」

 それにしても……後ろの弁護士の人、なんで呼んだんだろう?

「あの、」

「ちょっとっ!」

 遮られちゃった……でももう話すこともないし、無視してさっさと応接室から出よっと。

「子供を盾にしてあの馬鹿娘から慰謝料せしめる予定だったのよ!」

 うわぁ、本当に居るんだ。往生際で悪事を勝手にばらす人って……


国選でも・・・・弁護士は弁護士でしょう! 少しは口を出しなさいよっ!」


 ……ちょっと待って。

「あの、この弁護士の人。あなたが個人的に雇ったんじゃないんですか?」

「あなたも馬鹿ねっ! そんなお金があったらこんなことしていないわよっ!」

 立ち上がったはいいものの、ソファの裏に落としたスマホを拾いに行けなかった。

「馬鹿はそっちでしょう……」

 私は距離を取った。もちろん、口だけのおばあちゃんからじゃない。

 ……この得体のしれない、自称・・弁護士からだ。

「これ、裁判になったとしても明らかに民事ですよね? この人はもう出所しているから、犯罪行為が未遂の段階では、刑事にならないでしょうし」

「……それが何か?」

 民事になること自体を否定してこない。

 弁護士だから状況をきちんと把握していると主張したいのだろうけど……私にとっては逆効果だ。

「いや、そちらこそ何言ってるんですか……」

 だって……国選・・弁護士でしょう?

「国選弁護士って、個人で雇えない人が税金で報酬を賄う制度を利用して依頼するんですよね?」

「おや、お詳しい」

「だから……」

 この場合、知識を与えてくれたお母さんに感謝すべきか。

「刑事訴訟でしか活用できない国選弁護士が……民事訴訟こんな所関わっているいること自体が間違っている、って言っているの!」

 それとも、藪蛇つつく羽目になったことを恨むべきか。

「……実際に、ここにいますよ」

「じゃあ教えてくれる?」

「何を?」

 もう敬意を払う気はない。

「……所属弁護士会と登録番号。本物の弁護士なら答えられるわよね?」

 回答は沈黙。

 だから私を含め、この応接室にいる人達の行動が変わる。

 警戒し、観察・・に入る私に、未だに状況を把握できずに呆然とするおばあちゃんとか言っちゃっている人。

 そして、弁護士の身分を詐称している……


「さすがはあの男・・・子供ガキ、というべきかな……?」


 ……得物を取り出そうと身震いした、本物の犯罪者と。

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