003 公衆トイレの怪(前編)

 何故ホームレスは公園に住居を構えるのか。

 それこそ広い土地や人気のない場所があれば、勝手に開拓して住処に変えてしまうのが人間だ。有史以来、その本能が変わることはない。今でこそ権利云々でトラブルになることもあるが、それ以外に人間のやることが変わることはなかった。

 だからこそ、ホームレス成り立ての者達が公園に住み着き始めた理由はおそらく、便利な生活から抜けられなくなったからだろう。

 公衆トイレや水場、場所によっては電源を手に入れることができる。さらには炊事場もだ。けれども、キャンプ等の野外生活に慣れているならまだしも、人は容易に生活水準を替えることはできない。

 そして公園の管理人によっては、条件付きである場所・・・・の継続使用を容認することもあるらしい。

「……それで掃除しているの?」

「一見無法者だけどな。大抵のホームレスは生きる為に、面倒なことも率先してやってんだよ」

 放課後、またいつものように公園に来たものの、ベンチに腰掛けていなかったので今日は出掛けているのかと思った。だから気にせず読書しようとしたのだが、外気で身体を冷やしてしまったので、先にお花を摘むことにした。

 しかし、彼がそこで掃除をしていたのだ。

 その理由わけを聞いてみると、管理人がホームレス達の生活を見て見ぬ振りをする対価として、家賃代わりに園内の掃除を引き受けているらしい。

「空き缶拾いも、ある意味金稼ぎも兼ねた社会奉仕だからな。下手なボランティア精神よりは真面目に活動しているよ……金にならないゴミは拾わないけど」

「……それ、微妙にたち悪くない?」

 便器でブラシを擦りながらぼやく彼に、私はそう返した。

 真面目にボランティア活動を行っている人達は、そのホームレス達ですら拾わないような汚いゴミを拾わさせられているのだ。そんな罰ゲーム真っ青なことをさせられるから、町のゴミ拾いをしようと考える人が徐々にいなくなり、清掃員を雇わなくてはならなくなる社会になってしまうのだろう。

 雇用が増えるだけならまだいいが、これは明らかに、人の親切心に泥を塗るような行いだ。これでますます、社会は駄目な方へと転がっていくことになるかもしれないと思うと……やめよう。暗い未来しか思い浮かばなくなりそうだ。

「ところで……まだ、掃除は終わらないの?」

『清掃中につき、立ち入り禁止』の札はたしかに入り口にあった。しかし偶に片付け忘れていることもあると、それに賭けて勝手に入ってきたのだが、まさか彼が女子トイレにいるとは思わなかった。

 普通は女性が、女子トイレを掃除するものじゃないのだろうか?

 ……なんて、適当に話し込んで気を逸らしていたものの、そろそろ限界に近い。

「先に済ませたいなら、少し出ていようか?」

「お、お願い……」

 少し内股になりかけている私を極力見ないようにしてくれつつ、道具を持ってどいてくれた。そして掃除し終えたばかりの個室を指差してくる。

「掃除も終わったから、ここ使え。隣には隠しカメラが仕掛けられてるっぽいんだわ」

「先に外しといてよっ!?」

 しかし今の私には、そうツッコむのが限界だった。




「……聞いてないでしょうね?」

「所詮は水音だろう。いちいち気にすることか?」

 再び掃除を始める彼の横で、私は腕を組みながら件の個室を見つめていた。

 先程彼が言った、例の隠しカメラが仕掛けられているトイレの個室だ。

「それよりも……なんでカメラを外さないの?」

「色々面倒なんだよ」

 大きめでほつれだらけのハンカチを取り出し、ギャングよろしく顔を覆った彼は、私を入り口付近に移してからトイレの中へと入っていった。掃除する際に映らないよう顔を隠すのは分かるが、何故先にカメラの方を外さないのだろうか。

 一通り掃除を終え、戻ってきた彼はハンカチを外しつつ答えてくれた。

「あの手の隠しカメラの相場、っていくらか分かるか?」

「盗撮の趣味なんてないから分からない。一万円位?」

「ものによってはな」

 彼は肩を竦めてから、洗面台を磨きにかかっている。

「安いのだと四、五千円で買えるし、高性能だと数万円するものもある。死角から見た限り、旧式だが割と高性能なものだった。多分中古で買ったんじゃないかな?」

「……で、それが外さない理由と何か関係あるの?」

「盗撮犯の背後関係が分からないから、念の為にな」

 掃除も終わり、私は彼と共に外に出た。個室の横に用具入れのスペースがある場合も多いが、この公衆トイレでは裏手に備品入れを用意しているらしい。

 そこには道具の他にも、予備のトイレットペーパーやゴミ袋も常備してあった。

「個人で盗撮している分には、別に外しても問題ないんだよ。報復してくるにしても結局は一人だしな。だがあれは、個人で買うにしては少し高価な代物やつだ」

 備品入れの扉を閉じてから、彼は言う。

「金掛けられる個人ならまだしも、もし裏に組織がいるのなら厄介なことになる」

「……そんなせこいことする組織なんて、そもそも存在するの?」

 こんな誰が来てもおかしくない公衆トイレに隠しカメラを仕掛けて誰彼構わず盗撮する犯罪組織なんて、馬鹿らしくて存在すら考えたくなくなる。

 むしろ勝手に滅びそう……というか滅びろ。

「不特定多数の盗撮だけが目的とは限らないからな……」

 盗難防止用に施錠した彼と共に、私は管理人の詰所へと向かった。

 その間中も彼との話は続く。でもまさか、異性と盗撮について語り合うことになるとは思いもしなかったけど。

「……元々、隠しカメラってのは文字通り、隠し撮りが主な用途だ。目的の人物が来る可能性がある場所に事前に仕掛けておき、必要な情報を得る為に行う。それこそ取引があるからと勇み足かました女性の麻薬捜査官マトリとか、お偉方の女がよく公園でランニングしているから弱みを握ろうとしている敵対組織とかな」

 たしかに……そう考えていくと、可能性がいくつも出てくる。

「正直外して欲しいな、あのカメラ……私、この公園によく来るのに」

「ま、今のところ一ヶ所だけみたいだし、とりあえずは放置でいいんじゃないか?」

 次から公園に来る時は事前に済ませてこよう、と私は内心でそう誓った。

「一応俺から管理人に話しとくから、しばらくはあのトイレに近づくなよ」

「頼まれたって行かないわよ」

 そう簡単にスカートの中を見せるもんか。まあ、今のところ見せる相手もいないんだけどね……

 そして詰所の前に着くと、彼は私にお札を一枚渡してきた。

「ホットの缶コーヒー、無糖で」

「分かった。いつものベンチでいいの?」

「ああ、後でな」

 報告なら一人で十分な上に、私は部外者だ。一緒に詰所の中にまで入る理由はない。

 私は彼に背を向け、慣れた調子でコンビニへと歩いた。




「……怪奇現象?」

「どうせ誰かのいたずらだろうけどな」

 いつものベンチに並んで腰かけながら、私は彼が聞いてきた話に耳を傾けた。

「ここ最近、夜な夜な怪しげな声が聞こえてくるって、苦情が来てるんだと。俺達ホームレスの誰かか、って疑われたんだが……便所に行くだけならともかく、いちいち奇声を上げる理由なんてないだろう?」

「他の人には聞いてみたの?」

「少なくとも昨日は違う。俺含めてホームレス全員、他所の公園で宴会してそのまま泊まってきたからな」

 ……目の前の人は本当にホームレスなのか、正直疑ってしまう。

 いや、生物としては同じ人間だからこそ、変わらない生活をしていると考えられるか。単に家がないだけで。

「でも昨日も苦情が来ていたらしい。俺達の内の誰かじゃないのはたしかだから、とりあえず今夜、見張ってみるよ」

「ふぅん……」

 こういう時、割と怖いもの見たさで興味が出てしまう。

 お母さん、昨日は帰って来ていたから、今日徹夜になる可能性は高い。もし泊りがけだったら……

「ねえ、それなんだけど……」




「本当物好きだよな、お前……」

「わざわざ迎えに来るあなたも、相当なお人好しだと思うけどね」

 今日もお母さんは、仕事で家を留守にしていた。私はそれを確認してから、彼から指定された電話番号に連絡し、迎えに来てもらったのだ。

 ……それにしても、公衆電話に自分から電話できるなんて、今日初めて知ったな。

「しかしいいマンションに住んでるな……俺が前に住んでた賃貸とは大違いだ」

「そんなに違うの?」

「住んでみりゃ分かるよ。一月真面目に働いても、地域によっては手取りの半分位持っていかれるからな」

 言われてみれば、たしかにお母さんは高給取りな気がする。

 お父さんからの仕送りもあるにはあるが、そのほとんどはマンションのローンと私の学費で消えていると聞いたことがある。それ以外にも車とか、お金が掛かるものがあるにも関わらず、お母さんの口から『節約』という言葉を聞いたことがない。

 むしろ娘の夕飯代に、一日五千円も置いていく位だ。相当儲けていないと、そんなことできるわけがない。

「……ひょっとして、私って裕福な家庭の子供なの?」

「いや知らねえよ。金使いが荒い様子は見えないけど、普段はどうしているんだ?」

「えっと……」

 口元に指を当て、普段の生活を振り返ってみる。

「定期的なお小遣いはないけど、一人で夕飯を食べる時は必ず五千円貰えるから、その残りを貯めているの」

「……それって、月に何回ある?」

「多い時で二十日、最低でも十日は帰ってこないことが多いかな」

 そう考えると、たしかに裕福だと思う。普段から月に五万から十万円も貰えている計算になるのだ。たとえ夕食代を引いたとしても、かなりの金額が余っているのは間違いない。

「俺でも高校時代、月五千円だったぞ……」

「でも、ご両親と一緒に食事していたんでしょう?」

「まあ……共働きだったが、中の上位の一般家庭ってところだったな」

 私から見れば、別居していないそっちの方がうらやましい。

 もう慣れたとはいえ……いつも一人だけの夕食なんて、寂しいから。

「そういえば……もう夕飯は済ませたのか?」

「……え?」

 少し感情に呑まれていたので、一瞬、彼が言った言葉が理解できなかった。

「う、ううん、まだ。パンでも買って、見張りながら食べようかな、と思って……」

「そうか。じゃあ、俺の分の弁当も頼む」

「あ、うん。分かった……」

 そしていつも通り、彼は私にお金を渡してきた。

 ついさっき、私が裕福な暮らしを知っていると話したばかりだというのに。

「もしかして……気を遣っている?」

「単なる礼儀だよ。お前だって、金たかるような男とつるみたくはないだろう?」

 それはそう、だけど……

「ほら、行くぞ。それとも……やっぱり止めとくか?」

 ……全部じゃないとはいえ、気を遣ってくれていることは私にも分かる。

「ううん……行く」

 本当は『ありがとう』とお礼を言う場面だろうが、私は気恥ずかしさから口を閉じ、彼の背中を追いかけた。

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