ロード・トゥ・フォーリンラヴ

乙島紅

report1. 落ちこぼれ剣士ジーク


 「幸せ」は高望みしなければ簡単に手に入る。

 例えばそれは、うだつの上がらない者同士飲む薄い安酒とか。


「今日も訓練お疲れーっす! 乾杯!」

「っは〜〜〜〜! やっぱ汗かいた後の酒はうめぇや!」

「よく言うぜ。お前、教官の目を盗んで素振りの回数減らしてただろ」

「あ、バレたか? 別にいいだろ、俺らの剣なんてせいぜい風を切るくらいにしか役に立たねえんだし」


 ……あるいは、自分とは無縁の世界をさかなに盛り上がるくだらない会話とか。


「そういやリンデルのやつ、来月から国境警備隊の増援に行かされるらしいぜ」

「うへえ、ご愁傷。あの辺、今じゃ魔族どもがうようよしてんだろ」

「ああ、一度派遣されたら無傷じゃ帰れないって話だ。本人はやっと一人前の騎士として国に貢献できる、って息巻いてたけどな」

「は〜〜。さっすが優等生、考えることが違うわ」

「俺らだったら」

「「一生訓練生で良し」」

「ははは! そうこなくっちゃな!」


 ここはアウシエン王国城下町にある、路地裏の酒場『黄昏たそがれの猫亭』。

 かつて王国騎士団の騎士だったマスターが引退後に道楽で始めた酒場で、丸太をそのまま切り出したようなテーブルと椅子が雑多に並ぶだけの飾り気のない店だ。

 場所は分かりづらいし、マスターはまともに経営する気などなく、いつも酒を片手にカウンターの客とチェスに興じている。ただ、そのぶん身内には原価すれすれの価格で酒を提供してくれるものだから、いつしか騎士団に属する若い兵士たちの溜まり場になっていた。


 開店直後から中央の大テーブルを陣取っている若者五人組は、騎士団訓練学校の同期であり、落第寸前の落ちこぼれ者同士である。

 その中の一人がふと席を立った。細身だが無駄なく引き締まった体つきに、人の目を引くくっきりとした目鼻立ち。燃えるような赤い髪も相まって、落ちこぼれらしからぬ、どこか情熱的な印象を与える青年だ。


 彼は空きが目立ってきたテーブル上の皿を一瞥し、カウンターの向こうにいるマスターに声をかけた。


「おつまみってまだある?」


 マスターはチッと舌打ちしながらチェス盤からおもむろに顔を上げた。渋い表情を見るに、どうやら戦況は良くないらしい。


「つまみ、つまみねぇ……ああ、ついさっき切れちまった」


 視線の先を辿ればチェス盤の隣に置かれた食べかけのナッツ皿である。青年は苦笑いし、袖をまくった。


「じゃあ俺が何か適当に作るよ。食材使ってもいいかな」

「ああ、好きにしろ」


 そう言ってマスターは再び盤面へと視線を戻す。

 青年はカウンターの向こうに立つと、ストックされている食材を物色し始めた。それに気づいた仲間たちから、矢継ぎ早に注文が飛んでくる。


「スペアリブ!」

「俺はアヒージョ!」

「あと、腹の足しになりそうなやつ!」

「わーかったわかった、ちょっと待ってろ」


 青年はにっと笑うと、くるりと手のひらの上でジャガイモを転がし、素早く刻みだす。等間隔の小気味いい包丁の音、お次は鍋の上で肉の油が弾けるジュワッという音。店内に香ばしい匂いが広がり、自然と酔客たちの表情が綻ぶ。


「ほーら、できたぞ!」


 トントントンと大テーブルに料理を乗せた皿が並ぶ。ソースを絡めてほどよく焦がした骨付きスペアリブに、キノコと貝のアヒージョ、それからガーリックと粉チーズを和えた大量のポテトフライ。


「うほー、うまそー!」


 我先にとがっつく仲間たちを満足げに眺めながら、赤髪の青年も席に着く。隣に座っていた若者は片手でスペアリブを頬張りながらトンと青年の肩を叩いた。


「なぁジーク、お前さっさと騎士団なんかやめて料理人に転職しろよ。そしたら俺、お前のいる店に毎晩通うぜ」


 すると向かいに座っていた青年もうんうんと頷いた。


「そりゃいいな。ジーク、顔がいいから女の客にも困らなそうだし」

「それ、俺の料理じゃなくて女が狙いになってるだろ」

「あ、バレたか?」


 ぺろりと舌を出して、ゲラゲラと笑う。

 調子は軽いが、彼らなりに青年ジークの将来を案じてのことだった。

 正直言って、ここにいる五人が訓練学校を無事卒業して騎士団に入る可能性は万に一つもない。三年前から始まった魔族侵攻により一人でも多くの兵士を集めたい騎士団であるが、それでも「いない方がマシ」と判断されるレベルの戦力なのだ。教官にも「早いうちに転職を検討しておくように」と口酸っぱく言われている。

 実際、ジーク以外の四人はすでに騎士団以外の就職先を決めている。騎士団の馬の世話係になる者、あるいは鍛冶屋に弟子入りする者。そして残り二人は城下町から離れ、実家の家業を継ぐという。

 ジークだけが、まだ何も先のことを決めていなかった。


「まあ、なんとかなるっしょ。あと一回は入団試験受けられるんだし」

「それで落ちたら即退学だけどな」

「その時はその時で考えるよ」


 ジークはへらっと笑ってビールをあおった。これでこの話はおしまい、という無言の主張を汲み取って仲間たちは別の話題に切り替える。


 ジークとて、何も考えていないわけではない。

 人には才能相応の役目があり、その役目をまっとうすることが幸せだというのが父の口癖だった。

 その教えに沿えば、仲間たちが言う通り才能の無い剣を振るのは諦めて料理人の道へ進むのがきっと正しいのだろう。

 だが、どうしても騎士団への憧れを捨てられない自分がいる。剣を振るって魔族を倒し、人々を救う勇者に焦がれる自分がいる。たとえ能力に見合っていない夢だとしても、だ。




 それから何杯飲んだだろうか。

 酔いが回り現実感のないふわふわした心地に身を委ねていた頃。夜更けとは不釣り合いなドタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、力強く店の扉が開け放たれた。

 客――ではなく、ジークたちの教官であった。


「ああジーク! ここにいたのか!」


 ジークは酒でほんのり赤らんだ顔で仲間たちと顔を見合わせ、はてと首をかしげる。


「俺、なんかやっちゃいました?」


 確かに剣術の成績は悪いが、他人を困らせるような悪事をするたちではない。とはいえ、今は酔っているのでなにぶん自信がない。無意識のうちにしでかしていた可能性もある。となると、いよいよ落第か。


 肩をすぼめて教官の告げる言葉を覚悟して待つジーク。仲間たちも固唾を呑んで見守る中、差し出されたのは一通の手紙であった。


「これが、お前宛てに届いた」


 教官は神妙な表情で言った。

 純白の美しい封筒に真紅の封蝋。差出人の名前は記されていない。


「ははあ、さては恋文ですかね?」


 酔ったノリで名推理してみせるジークの頭に、即座に降りかかる拳骨げんこつ


「馬鹿野郎! 封蝋の紋章をよーく見てみろ!」

「紋章……?」


 ジークは眉間にしわを寄せてじっと封蝋を見つめた。酒でぼけた焦点が徐々に合い始める。


 封蝋の紋章は、獅子の横顔。


 それは、この国を治めるアウシエン王家からの文である証だった。


 ジークは思わず手元にあったチェイサーを頭から被った。酔いが醒める。だが、夢見心地は終わらない。


 なぜ、一般の兵士、いや正確には兵士にもなれていない見習いの人間に、直々に王家からの手紙が?


「と、とりあえずなんて書いてあるか見てみようぜ」


 同じく酔いが醒めたらしい仲間に急かされ、ジークは恐る恐る封を開いた。


 手紙には、こう記されていた。


 


===============


 ジーク・ブライアン殿


 貴殿を『魔王討伐特命部隊』、別名『勇者』に任命する。

 詳しくは明日説明するので登城すべし。


          ――カルロ三世


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