3.旅たち、弟子入り

 夜から朝に切り替わる。

 東の空から太陽が昇り始め、微かに光が大地を照らす。

 吹き抜ける風は少し冷たい。

 開かれた窓から吹き抜ける風を感じながら、ふと部屋を見渡す。

 テーブルの上に山積みになっていた本たちは、綺麗に片付けられている。

 使い続けたベッドやソファーも、出来る限り丁寧に掃除をして、最大限の感謝を表した。

 生まれて十一年と少し、お世話になった場所だ。

 愛着はある。

 思いでも詰まっている。

 それでも……


「お世話になりました」


 旅立つと決めたから、俺は深々と部屋に向ってお辞儀をした。

 ここで得られる知識はもうない。

 魔術の知識は十分だと思えるくらいに学べた。

 それ以外にも、必要だと思った知識と技術は揃えたつもりだ。

 残りはここじゃ鍛えられない。

 だから出て行く。

 誰にも伝えず、ひっそりと明け方に。


「父上たちは……まだ寝てるかな」


 窓を軽々と飛び越えて、屋敷の裏手に出る。

 まだギリギリ夜も空けていないから、屋敷の明かりは消えている。

 父上も兄上も眠っているだろう。

 使用人が数人、起きているかもしれないくらいか。

 

「起きてたら気づかれるかな? でもまぁ、別に良いよね」


 どうせ止められない。

 呼ばれもしない。

 この一年、屋敷での俺の扱いは酷いものだった。

 一言で表せば空気だ。

 まるでそこにいないように扱われる。

 そのお陰で何をしていても咎められないし、自由に勉強が出来たのだけど……良かったとは思えないな。


「……行くか」


 屋敷を眺めながら数秒立ち止まり、振り返って背を向ける。

 行ってきますと、普段なら言う所だった。

 それを口にしなかったのは、もう二度と戻ってくるつもりがないから。

 自分の道を行くと決めた日から誓ったんだ。

 立ち止まらない、振り返らない。

 目指すべき未来は前にある。

 前を見続けるんだ。

 そうやって言い聞かせないと、弱さに負けてしまいそうだったんだ。

 だってまだ、俺は十一歳の子供なんだから。


  ◇◇◇


 王都から二つ離れた街、ブロッケン。

 商業が盛んな街で、商品を作る職人たちが多く暮らしている街らしい。

 規模は王都の半分以下なのに、行き交う人の数は変わらない。

 特に昼から夜にかけては、街の外から訪れるお客さんでも賑わっていた。

 そんな大通りから離れ、人通りも少ない路地に、一軒の鍛冶場があった。


 カン、カン、カン――


 鉄を打つ音が響く。

 優れた鍛冶師なら、響く音だけで鉄の状態が把握できるらしい。

 残念ながらまだ、俺にはわからないけど。


「――誰だ?」


 鉄を叩いていた職人が、ようやく俺のことに気付いてくれた。

 彼は手を止めて振り返る。


「こんにちは」

「ガキか? 他人の工房に許可なく勝手に入ってくるな。親のしつけがなってないぞ」

「ごめんなさい。ノックもしたし、ベルも鳴らしたんですが気付いてもらえなくて。扉が開いていたので入ってきてしまいました」


 親の躾について返すなら、その通りですと言わざるを得ないかな?

 躾らしい躾はとっくに放置されているし。

 そう言うと、鍛冶師のおじさんは出入り口のほうに視線を向け、明け放していることを確認して、再び俺へと視線を戻す。


「……何の用だ? 一見さんの依頼は受け付けてないぞ?」

「はい。依頼で来たわけじゃありません」

「じゃあなんだ?」

「貴方がこの国一番の鍛冶師、ブラウンさんですよね?」


 俺が尋ねると、彼はピクリと眉を動かし反応して、しばらくじっと俺のことを見つめる。

 そして細く長く息を吐き、答える。


「一番かどうかは知らんが、ワシは確かにブラウンだ」

「良かった。人違いじゃなくて」


 ホッと胸をなでおろす。

 俺も聞いた話を頼りに探していたから、人違いの可能性もあった。

 どうやら本人に出会えたらしい。


「さっきの質問に答えろ。何をしにきたんだガキ」

「俺はグレイスです」

「名前は良いんだよ。さっさと答えろ、こっちは忙しいんだ」


 高圧的な話し方と態度だ。

 話に聞いていた通りの人物像で、逆に緊張しないな。

 結論を急かしているようだし、単刀直入に言ってしまおう。


「ブラウンさん、俺を弟子にしてください」

「……弟子だと?」

「はい! 俺は鍛冶スキルを持っています」

「……」


 数秒の沈黙。

 黙ったまま彼は俺のことをじっと見つめる。


「……お前、鍛冶師になりたいのか?」

「違います」

「は?」

「俺は鍛冶師になりたいわけじゃありません。俺はただ、自分の手で魔剣が作れるようになりたいんです」

 

 ブラウンさんの表情が一変。

 厳しく怖い表情が、気の抜けたような呆れ顔になった。

 この子供は何を言っているのか、みたいなことを考えているのだろう。

 そういう反応になると思っていた。

 でも……


「俺は本気です」


 言葉で、声色で、表情で伝える。

 この日のために研鑽を積んできたんだ。

 何としても弟子にしてもらう。


「……他を当たれ」

「どうしてですか?」

「鍛冶ってのはガキが軽々と目指せるほど簡単じゃない。それで魔剣? 鍛冶師を目指してるわけでもねーのに魔剣だと? そんなことを簡単に――」


 話の途中だけど、俺は背負っていた大きなカバンの中身を見せる。

 ガラガラと鉄が音を立てる。


「簡単だなんて思っていません」

「こいつは……」

「これは全部、俺が独学で作った剣です」

「お前がこれを?」


 カバンの中身は剣だった。

 十本足らずの剣は全て、俺が自分の力で打ったものだ。


「今の俺じゃ……これが限界です。剣は作れても魔剣の器にするには程遠い……だから教えてほしいんです! この国一番の鍛冶師に!」

「……お前、正気か?」

「はい! そのために全部をかけるって決めましたから」

「……」


 これで準備してきた物は全て見せた。

 あとはもう、熱意を示すくらいしか出来ない。

 お願いだから響いてくれ。

 俺はどうしても、鍛冶を学ばなきゃいけないんだ。

 だから――


「お願いします!」

 

 精一杯の熱意と誠意を込めて、深く勢いよく頭を下げた。

 すると……


「……良いだろう、弟子だったな?」

「は、はい!」

「言っておくが子供だからって優しくはしねーぞ? 地獄を見るかもな」

「それで良いです!」


 俺にとっての地獄は、もう経験したんだ。

 あの日、父上に見限られた日が最低で、あとはもう上るだけ。


「よろしくお願いします!」


 こうして俺は、鍛冶師ブラウンの弟子になった。


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