第16話

 息苦しさに、私は眩暈を覚えます。

 お父様の魔力は、まだ実際の炎として顕現してはおりません。

 それなのに、まるで全身を炙られているかのような錯覚を起こしそうなのです。


「……どうすれば、認めていただけるでしょうか?」


 臆することなく、ティディがそう問いかけました。

 お父様は意外そうに片眉を上げ、隣で事の成り行きを見ているタルファン伯爵へ目を向けました。


「気概はあるようだ」


「ほう、健気な男ではないか。小鹿のように震えてもおらぬ。儂の愚息と違ってな」


 タルファン伯爵は感想を述べて、アードをギロリと一瞥します。

 彼はどうにかお父様たちから距離をとろうと、震える手足で床を掻いているようでした。真っ赤な跡が、痛々しい染みを作っております。


「のちほど、掃除の者をよこさせよう」


「構わぬ。そこなに任せるのでな」


「…………御意に」


 そうであろう? とばかりの視線を送られて、ティディは沈黙のあと頷きました。


 私はカッと、頭に血が上るのを感じました。

 お父様は、遠回しに彼にこう言っているのです。”お前の役割は従者である””娘との婚姻など認めない”と。


「お父様! その言い方はあまりに卑怯すぎます! それではティディは頷くしかないじゃないですか! 私は彼を愛しているのに、ずっと執事としてしか傍にいられないと言うつもりですか!」


「貴族の血脈を軽んじるでない」


 お父様はキッパリと、私の訴えを切り捨てました。

 低い声音で続けます。


「”力”を示すことのできぬ者に、ソファン家の家督を継がせるわけにはいかぬ」


「そんな……」


 ティディには”精霊詠み”の力があります。

 それは確かに、ソファン家が代々受け継ぐ”炎”の魔力とは違います。でも彼は、その力で私を守ってくれたのです。それでは不足だというのでしょうか。


「……問題は、身分ではなく”力”なのでございますか?」


 ティディが、なぜか少し訝しげに問いかけました。

 お父様は頷きます。


「そうだ。婿入りとしてならば、身分などあとでどうとでもなる。だが魔力を宿す血脈は、貴族として必要不可欠なものだ。儂はソファン家の血筋を、娘の我儘で潰えさせるわけにはいかぬ」


 ――我儘。

 私が愛する人と一緒になりたいと思うのは、ただの我儘なのでしょうか?


 ……いえ、そうかもしれません。

 伯爵家の娘として生まれたからには、その血を守る義務があります。

 それを理解しているからこそ、アードとの婚約を我慢していた部分もないわけではないのです。


「でも、お父様。ティディにだって、魔力はあります」


「知っている。”精霊詠み”、希少なものだ。だがそれは、本当にソファン家の血脈に取り込む価値のある”力”なのか?」


「私を守ってくれました……!」


「それは親父殿の宝珠の力だ。こやつ自身の力はどうだ?」


「ティディは……っ!」


「お嬢様、よいのです」


「――っ!?」


 ふいにティディが、緩くかぶりを振りました。

 彼が諦めてしまったら、私は想い人と結ばれぬまま、アードの弟の婚約者にされてしまいます。

 自分の気持ちを自覚した今、彼と離れ離れになることはないとはいえ、そんなのは耐えられそうにありません。


 しかしティディは透き通るようなアイスブルーの瞳に、強い意思を宿してお父様を見据えました。


「……わたくしが、お二方に”力”を示せばよろしいのでしょう。そのように、機会を与えてくださっていると愚考いたします」


「ほう……!」


 お父様が獰猛な笑みを浮かべます。

 その傍らで、同じ表情をしたタルファン伯爵がコキリと肩を鳴らしました。


「面白い。愉快だ。のう、卿よ? こやつは今”お二方”と宣ったぞ。儂も試してよいのだろう?」


「致し方ない。吐いた唾は呑めぬものだ」


「っ!? そんな、やめてッ!」


 二人が、ティディに向かって掌を向けます。

 私が割り込もうとすると、やんわりと肩に触れられました。


「お嬢様、下がっていてください。大丈夫、わたくしはきっと耐えてみせます」


「だめっ! だめよ、そんなの! 私が炎の的になるわ! そうしたらあなたは防げるのでしょう!?」


「あなた様の身を、危険に晒したくはありません。それにそれでは、わたくしの”力”とは認めていただけないでしょう」


「だめだったらっ! あなたが死んだら、私はもう生きていけないのっ!」


「そのようなことを仰らないでください。わたくしも、死ぬつもりはございません」


 ティディは優しく微笑んで、安心させるように頷いてみせます。

 そんなふうに言われても、お父様たちの炎を浴びて無事に済むとは思えません……!


「だめ、意地にならないでっ! もう、もういいから。我慢するから。たとえ結婚できなくても、一緒にはずっといられるでしょう? それで――」


「レイナ」


 軽く肩を抱き寄せられて、ティディに名前を呼ばれました。

 固まる私の耳元で、小さな声で囁かれます。


「信じてください。この愛は、感情は、わたくし自身が証明しなくてはならないのです」


「……っ」


 私はもうなにも言えずに、離れるティディを呆然と見つめるだけでした。

 動かない私から距離を置き、お父様たちが、彼に魔力のこもった掌を向けます。


「では、始めるとしよう」


 そう、お父様が宣言したとき――。


「あなたたち、いい加減になさってください! レイナが泣きそうではありませんの……!」


 お母様の怒声が響き渡りました。

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