あら? 浮気相手のご様子が……

伊澄かなで

第1話:なぜ、この方なんですの?

 天井には煌めくシャンデリア。

 広いダンスホールには色とりどりの花が飾られ、それらの花々に負けないくらい着飾った貴族の令嬢たちが、優雅に談笑しております。


 本日はこの国の、初代王女殿下の生誕祭。

 数多に催される貴族の社交界の中でも、とびきり重要なパーティの日です。


 ……それなのに、この人ときたらいったい何を考えているのでしょうか?


「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう! レイチェル・アーウィン、俺はきみとの婚約を破棄させてもらう!」


 形の整った金色の眉を吊り上げて、私を指差し宣言したのはクリス・ミューア様。

 伯爵家であるミューア家の長男で、私のたった今『元』になった婚約者です。


 いえ、正式な書類を交わすまでは『元』ではないのかもしれませんが、これだけ多くの方々の前で高らかに宣言してしまったわけなのですから、もはや発言の撤回は不可能でしょう。


 とりあえず、指を下ろして欲しいものです。

 クリス様のお声が大きいせいで周りの注目を集めてしまっておりますし、無遠慮に指をさされ続けているのは、たとえこのような状況でなくとも気分のよいものではありません。


 私は「はぁ……」と溜息を吐いてから、クリス様の隣に寄り添っている女性に目を向けました。彼女は確か……ミア・モートンという名前だったでしょうか。家の爵位だけは私と同じ、男爵家の令嬢だったと思います。


 この国では最もありふれた、栗色の髪と茶色の瞳。

 それだけならばあまり特徴のない、どこにでもいそうな女性です。しかしよく観察してみれば、彼女は殿方の庇護欲を駆り立てるような、可愛らしく媚びた雰囲気を纏っているようでした。


 ……なるほど、同じ男爵令嬢とはいえ私とは正反対のタイプです。

 一口に男爵令嬢と言っても生まれも育ちも違うのですから、当たり前の話なのかもしれません。


 ミア嬢は私と目が合うと、思わずといった様子で一度さっと顔を逸らしてから、いかにも勇気を振り絞りましたと言いたげな眼差しで挑むように睨んできました。まるで子リスのようですね。


 私は彼女に問うことにしました。


「……なぜですか?」

「なぜだと? 本気で分からないと言うつもりか? 俺ときみとの間に愛など存在しないからだ! 俺は真実の愛を見つけた! だからきみのような人の心の無い冷血女とは、婚約を破棄させてもらうと言っているんだ!!」

「あなたには尋ねておりませんわ」


 自分が話しかけられたと勘違いをしたクリス様がでしゃばって発言なさるので、私はまた溜息を吐いてしまいそうになりました。いけませんね。あまり溜息を吐くと幸せが逃げてしまうといいます。


 クリス様は私のことを人の心の無い冷血女などと仰いますが、決してそんなことはありません。私だって人並みの幸せと平穏を望んでおります。なのでこの煩わしい茶番からはさっさと解放されたいのですが、そんな憂鬱な気持ち以上に、純粋な疑問も感じておりました。


「ミア・モートンさんと仰いましたわよね? なぜ、クリス様なのですか?」

「……っ」


 もう一度ミア嬢に尋ねると、彼女は怯んだように少し表情を強張らせました。


 どうやら内面がすぐに顔に現れてしまう方のようです。男爵家とはいえ、貴族の令嬢にしては素直な人なのだと思います。

 もちろん、素直というのはオブラートに包んだ表現ですけれど。……そんな彼女が、なぜクリス様の浮気相手なのでしょう? それとも隣にくっついているだけで、『真実の愛』とやらとは何の関係もないのでしょうか……?


「……なぜって、何がですかぁ?」


 ミア嬢は幼子がものを尋ねるような、やけに気の抜けた甘ったるい作り声で聞き返してきました。

 普段からそんな喋り方なのでしょうか? 逆に疲れません?


「確認しますけど、あなたはクリス様とご結婚なさるおつもりですの?」

「そうですよぉ! わたしたちの愛は本物ですぅ! だから、レイチェル様には身を引いていただきたいのですぅっ!!」


 なるほど、と私は頷きました。

 やはり彼女が、クリス様の浮気相手で間違いないようです。そうなるとやはり不思議ですね。


 婚約は破棄なさるということですし、もうクリス様への配慮は必要ないかなと思い、私は率直に言いました。


「でもこの方、甲斐性なしのクズですのよ?」

「……え?」

「ですから、甲斐性なしのクズの不良債権ですのよ? この男。あなたの容姿なら他にもっと良い縁談もあったでしょうに、どうしてわざわざ婚約者のいるクズをお選びになったんですの?」


 実に興味深いです。

 さらに言えば、浮気をして奪った男はつまり『平気で浮気をする男』ということなのですから、今後の人生を共に歩むパートナーとしてまったく信用できません。愛とか以前の問題です。


 結婚してしまう前にそれが分かったという点においては、ほんの少しだけ彼女に感謝してもよいかもしれませんね。


「なっ!? きみは急に何という暴言をっ!」

「あら? 愛がないだの冷血女だのと、先に暴言を吐いたのはそちらですけれど」


 それも公衆の面前で高らかに。まあ、愛がないのは本当ですが。


 浮気相手であるミア嬢へのパフォーマンスのつもりなのかもしれませんけど、クリス様には常識というものがないのでしょうか? ……あったら最初から浮気などしませんね。汚らわしい。


「えー、でもぉ」


 ミア嬢はあざとい仕草で首を傾げてから、勝ち誇るように言いました。


「クリス様はわたしにこんなに素敵なドレスをくださったし、この首飾りだってくださったんですよぉ? かいしょーなしなんて、そんなことはないですよぅ!」


 そして、着ているドレスを見せつけるように体を揺らします。深い群青色の、落ち着いた色合いのドレスです。少々型は古いものですが、シルクのレース使いはさりげない気品に溢れており、さすがは王都で一番人気の職人に作らせただけはある逸品でした。


 もしやとは思っておりましたが、やはりあれはクリス様がお与えになったのですね。気に入っていただけたようで私も何よりです。……知らないって、可哀そうですね。

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