第34話冴えない大学生は顧みない
無遠慮に寄せられるいぶかし気な視線を受け止めつつ、俺は練習した爽やかな笑顔を浮かべた。
小幡曰く『第一印象で八割決まるから笑顔は大事だよ』とのことなのだが、もうこれまでの大学生活で第一印象どころか最終的な印象まで決まってんだよなあ......。
しかしまあ、ほんの少し表情を意識するだけで何か変わるかもしれないというのならやらない手はない。
......よし、笑顔笑顔。
「よお木村、久しぶり。小幡に言われてここに来たんだよな?」
「なにその顔。きもいんだけど」
「き、きも......」
「てか、もう大体わかったから説明とかいーわ」
あ、さいですか......。
木村はつまらなさそうに『まだこいつと絡んでんのか』とつぶやくと、あからさまに大きなため息を吐いた。
......陽キャなくせしてしっかり頭が回るところも憎たらしい。
と、木村の目が、ふっと余裕ぶったものからにらみつけるようなものに変わる。
「あのさ佐伯クン。チョーシ乗ってんみたいだから言っとくけど、こないだのこともう忘れちゃった?」
早速ジャブを打ってきた。的確に俺が目をそらしたいとこ狙ってくるなコイツ......。
が、この程度でひるむ俺じゃない。
「いや、流石にちゃんと覚えてるよ。あと一応言っとくけど、俺と小幡はそんな関係じゃないぞ」
「は? 当然だろ」
......予想してた返事ではあるけどさ、ここまで腹立つ言いかたされるとは思ってなかった。
「――で? 何の用?」
木村は不機嫌そうに言うと近くの柱に寄りかかってガン飛ばしてくる。
さっきも言ったが、ここに木村がやってきたのは小幡から『伝えたいことがある』と言われたから、のはずだ。それもちょっと真剣な感じで。いちおう小幡からはそういう予定だと教えられた。
もちろん『伝えたいことがある』なんてのは嘘だ。
いや、俺から伝えたことがあるという点でいえば間違ってないのだが、木村が予想したものとは大きく異なっているに違いない。
とにかく、そうして嘘の呼び出しで木村をおびき寄せ、そこで俺が決着をつけるというのが今回の作戦の全貌だ。
俺はまっすぐ木村の目を見て口を切る。
「まあ用ってほどのことじゃないんだけどさ、話を聞いてほしいっていうか」
「......はっきりしろよめんどくせぇ」
聞こえるように悪態をつけばそれだけで俺が委縮するとでも思ったか。
残念、自慢じゃないが今はそれどころじゃないくらい緊張してるから何の効果もないんだな、これが。ほんとに自慢じゃないな......。
俺は木村を無視して本題に入ることにした。
「俺と小幡のことなんだけど、説明しときたいことがあるんだ」
「だから、付き合ってないってのはもうわかってんだって」
「いや、今回はその話じゃなくて」
「じゃあ何の話だよ」
まだ語調は強いながらも、すこしは俺の話に興味を持たせることが出来た。
あとは持っている手札を順番通りに切るだけだ。セリフとトチんなよ、俺......。
素早く鼻から息を吸う。
「多分もう小幡から聞いてると思うんだけど、俺とあいつって実はちっさいころの知り合いで、言ったら幼馴染なんだよ。だから、この前の『一緒の部屋に入ってった』ってのも昔の知り合いのよしみっていうか、そんな感じで」
今回の作戦は『俺と小幡は幼いころの知り合いである』ということを軸に構成されている。だからいま俺の持っている手札はすべてそれ関連の内容だ。
そしてこれは先制パンチ。事前に小幡からもそう言っておいてもらうことで、両者の理解が一致していることをアピールする一手だったのだが、
「......なるほど、口裏合わせはちゃんとしてるってか?」
木村の表情は全く揺るがないどころか、逆に険しいものへと変化する。
本来ならここで少しは反応を得られたらよかったのだが、これは相当ひどいな......。
しかしもちろん、こんな返事も織り込み済みだ。俺は迷いない所作ですっと懐から一枚の写真を取り出し、木村に見せつける。
映っているのは幼稚園生くらいの男女だ。
男の子のほうは泥だらけの体操服に身を包んでニッコリ笑っていて、もう片方の女の子は遠慮がちに男の子の陰からカメラのほうにピースを披露している。
そう、この写真は小幡が俺の部屋に初めて来たときに見せてくれたものだった。
「なんだそれ?」
「ここに写ってるのは幼稚園に通ってた頃の俺と小幡だ。木村から見て右にいるのが俺で、もう片方が――」
「――それくらいは見てわかる」
「そ、そうか......」
木村は俺から写真をひったくると、たいそう疑わし気にそいつに目を落とす。
べつにやましいことなんかないのになぜかドキドキするな。
すっかり黙り込んだ木村と俺との間をうめるように、セミの鳴き声が通り抜けていく。
「......ど、どうだ? これで信用してくれたか?」
これが今回の切り札だ。
いちおうもう一つ手札は残っているが、ここで納得してくれなければあとは正直どうなるか分からない。
首筋を流れる汗がくすぐったいのがどこか他人事のように感じて、ただ今はじっと相手の反応をうかがう。
木村がゆっくりと顔を上げた。
「なあ、佐伯クンさ」
写真をペラペラと弄びながら、その表情はいやらしくゆがんでいる。
俺がそのセリフの続きを警戒するとそれを相槌と受け取ったのか、木村は嘆息交じりに口を開いた。
「随分とさえちゃんに肩入れしてるみたいだけど、ほどほどにしといたほうがいいんじゃないか?」
「......どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だって。ていうか、まだわかってないって相当やばいぞお前。いやマジで」
木村は嘲笑交じりにそういうが、その言葉の真意が全くつかめない。
わかってないもなにも一番わかってないの木村自身なわけで、俺がその言葉に首をかしげると木村はあの心底人を下に見るような目を向けて、
「――どうせ身体だけの関係なんだろ?」
自信ありげにそう言った。
............ん?
「......なに言ってんだ、お前?」
心の底から疑問に思ったことがそのままこぼれ出てしまう。
「シラ切らなくていいよ、どうせわかってんだから」
徐々に木村がなにを言ったか分かってきた。
マジかよ、嫉妬なんか目じゃないくらいの、ものすごい誤解されてんじゃねーか......。
「お前はそう思ってなくても向こうはそう思ってるだろうな。だからあんま気にしすぎると後々後悔することになるぞ」
「いやいや、待ってくれ! こ、これを見ろって、ほら!」
俺は携帯を手早く操作し小幡とのLINEのやり取りを表示する。
どさくさに紛れて出したが、実はこれが最後の手札だった。
そこでなされているやり取りはほとんどが他愛もない雑談だ。色気づく様子などみじんもない、それこそ木村のいう関係同士などありえない内容だ。
......はじめて異性と連絡先を交換して浮かれまくっている俺の様子が収められているので本当は見せるつもりなど無かったのだが、ここはもう仕方ない。
木村は俺の差し出したスマホに目を向けるとあん? と眉をひそめる。
「......大学生にもなって幼馴染とか、バカバカしい」
そしてそう忌々し気に言い捨てると、苛立たし気に鼻を鳴らす。
「いい加減認めたらどうなの」
「な、なにをだ......」
「どうせ逆レでもされたんだろ? べつに恥ずかしいことじゃねえよ、なあ?」
と言いつつめっちゃにやにやしてんのマジ何なんだこいつ......。
「佐伯クンさ、もう嘘つくのやめなよ」
「嘘なんかじゃ――」
「――嘘なんだよ」
木村は俺のセリフにかぶせてそう言うと、さっき渡した写真を雑に押し返してきた。
「あんな顔とスタイルだけいいバカに必死になってよ、陰キャってのはこれだからいやだ。筆おろししてもらったのがそんなにうれしかったのか?」
その迫力に、俺は思わず黙ってしまう。
すると木村はそれを俺の降伏宣言だと受け取ったのか、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「............ぁ」
声が出ない。口を開けようとしても金魚みたいに開閉を繰り返すだけで、二の句が継げない。
俺にはもう、頼るべき手札がない。たったそれだけでこうも簡単に崩れるものなのだろうか。自分のアドリブの弱さに嫌気がさす。
「......っ」
今ここでいくら悔いてもどうしようもないことはわかっているのに、じりじりと焦燥感にかられる。
初め俺は、木村にも多少の誤解はあるかな程度に考えていた。でも、こうも拗らせているとは思わなかった。
もうこれ以上続けてもきっと木村は俺の言うことに耳を貸さないだろう。
視界の端では俯いた俺を見て木村が踵を返すのが見えた。
......これで、作戦は失敗。
でもまあ、俺にしてはよくやったんじゃないかと思う。第一、あの状態からこの場に逃げずに来られただけでも大変な進歩だ。
これから先の大学生活はさらにハードモードになったかもしれないが、それでもべつに構わない。
......。
構わない、はずなのに。
「............いだ」
口が勝手に動いた。
いや、これは俺の意思だ。
遠ざかる背中をジッとねめつけ、震える足に鞭打って力を籠める。
「俺は、............ていだっ」
ぴたりと木村が足を止めた。
そしてゆっくりと俺に向き直る。
その目は静かに『まだなにか?』と問うてくる。
......こうなればもう、恥も外聞も、関係ない。
目の届く範囲にほかの生徒が見当たらないのが幸いだった。
それで俺は決意を固める、
すっと大きく息を吸い込み、ぐっと止め、そして、
「――俺は、まだ童貞だぁぁぁっ!」
モテない男の咆哮が、田舎の空にこだました。
ここまでこればもう後に引くことなどできない。
目を丸くした木村をしっかり見据えて、俺はまくし立てた。
「俺だってヤれるもんならやりたかったよ! あいつしっかりしてそうで意外と無防備だし! 押し倒すチャンスなんか無限にあったね! けど我慢したんだよ! それなのになんだ? 身体だけだぁ!? ふざけんなよ! 俺の踏ん張りをたたえろよ!」
アホみたいに口をぽかんと開けた木村の表情がどんどん曇っていく。
「それに――っ!」
頭の中で緊急のアラームが鳴り響く。でも、最後に一つだけ言っておかなきゃいけないことがあった。
「それに言っとくけどな! せっかく作った大切な友達バカ呼ばわりしてんじゃねえよ! たかだか四か月の付き合いでそいつのなにがわかるってんだ! ああん!? そんくらいでわかった気になって、てめぇのほうがよっぽどバカじゃねえか! バカがよ!!」
言い終えたと同時に空っぽになった肺へいそいでぜーはー酸素を送り込む。
言ってやったぞと言う達成感が一割、なにやってんだという後悔が九割。
......でも、いまのが俺の包み隠さない本心だった。
木村は『言いたいことはそれだけか』とでもいうように長く息を吐きだすと、いまにも殴り掛からんばかりに表情を不愉快そうにゆがめる。
「......でけぇ声だしゃいいと思うなよクソ陰キャが」
「んだと......この......だ、大学デビューっ!」
「あーあ、いるよなそう言ってひがむ奴。――まじできもいわ」
言いつつ、木村は一歩二歩と俺との距離を縮めてくる。
その表情にはすでにいつもの気に食わない余裕の色はない。
「てかさ、さえちゃんも大学デビューっしょ? あれ?」
「あ?」
「雰囲気でわかるんだよね、俺。で、勢い余ってこんないかれた陰キャと仲良くしてるわけ? マジうけるわ。あー、しょーもな」
手を伸ばせば届く距離までやってきて、木村はぴたりと足を止める。
......この後の展開は、もう感覚で理解した。
「――お似合いだよ、陰キャ同士」
それがゴング代わりとでもいうように、言うと同時に木村の腕がまっすぐ俺の胸ぐらめがけて飛んでくる。
俺もそれに対抗して手を伸ばす――
――その時だった、
「はいっ、突撃」
聞きなれた声が曲がり角の向こう側からしたかと思えば、次の瞬間、
『いよっしゃっぁぁぁぁぁぁっっ!』
野太い声とともに、屈強な漢が曲がり角から出現する。
赤と黒のストライプのユニフォームに身を包み、その胸のエンブレムに刺繍された文字は、
「――うぐあっ!」
激しい衝撃。心地よい浮遊感。
「な、なんでアメフト部がここに......!?」
木村の焦った声を最後に、俺の意識は途切れるのだった。
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