第28話陽キャは意外と抜け目ない
「タオルと服貸してくれてありがと。今度洗って返すね」
向かい合ったちゃぶ台の向こう側から、俺の冬服に身を包んだ小幡は丁寧に髪をふきながらそう言った。
「......お、おう」
窓の外の惨状は相変わらずで、風の音も雨の音もさっきよりもむしろ凶悪になったはずなのに、なぜか小幡の髪がすれる音だけは寸分の狂いもなくはっきり聞き取れる。
もはや『こいつ、脳内に直接......っ!』状態だ。どんな状態だよ......。
と、不意に小幡の動きが止まった。ちらちら見ていた俺の視線と小幡の視線ばっちりかち合う。
「ねえ佐伯」
「......なんでしょう」
なにその獲物に狙いを定めたみたいな眼。身じろぎ出来ないどころか呼吸出来なくなるかと思ったんですけど?
小幡は髪をふきおえたタオルを首に掛け、ふぅと息を吐いた。
「なんか、こうやって面と向かって話すのって久々な感じがするね」
「......まあ、そうだな」
「――毎日のように会ってたのにね」
やや食い気味に返されて、うぐっと言葉に詰まる。
......こいつ無視されたことめちゃめちゃ根に持ってんじゃねえかよ。なに? 木村もそうだけど、陽キャってば揃いも揃ってしつこいヤツばっかなの?
小幡はこの隙に乗じてさらに畳みかけてくるかと思ったが、すこし意味ありげな視線を向けてきただけで、次の瞬間にはいつも通りに戻っていた。
「ま、これまで無視され続けたことを許す代わりに、いままで約束破った分もチャラってことにしてもらおうかな」
言って、小幡は「どう?」と目で問いかけてくる。
しかし、そう言われても困惑するのはむしろこっちだ。
「......そんなんでいいのか?」
なんの皮肉もなくそう思った。
だってそうだろう。明らかにつり合いが取れていない。俺が小幡のドタキャンのせいで無駄にした労力と、小幡がいままで俺の家に通うために消費してきた労力とを比較すればそれは明らかだ。
なんなら、この台風の中うちにやってきた時点でおつりがくるくらいである。
しかし小幡はあっけらかんと首を縦に振った。
「もちろん。だから呼び捨て、今後も継続していってよね」
「それとこれとはべつに、関係ないだろ......」
「あるよ。だって佐伯、私が約束すっぽかしたこと気にして呼び捨てしたくなかったんでしょ?」
盛大な勘違いをされていた。おかしいな、前も同じ誤解をされていた気がする。
「ちげえよ! まだ呼び捨てする仲じゃないからだって!」
言って、自分の失言に気付く。
「まだ?」
「......いや、それは」
「ねえ、まだってことは、今後仲良くなっていく可能性があるってことだよね? ねぇ?」
ほんとしつこいなコイツ......。
目を逸らしたり聞こえないふりをしてみるが、小幡は自分の優位を確信しているので全く引く気配がない。しかも俺のほうからそれをひっくり返しようもないのがさらに悪い。
そうなるともう、俺には黙りこくって耐えるしかないわけで。
小幡の追及をかわし、いなし、受け止める。受け止めちゃうのかよ。
そして少しの間そうしていると、飽きたのかため息とともにようやく追及の嵐が止む。ここで押し負けないあたり、すこしは小幡に対する耐性がついてきたのかもしれない。
「かたくなだなあ。もっと素直になってもいいのに」
「いやだね」
「そっかぁ......。前の佐伯はもっと素直でよかったんだけどな......」
それは素直じゃなくて従順なんだよなあ......。
その言葉をぐっと飲み込み、一度大きく息を吐いて気を紛らわせる。
小幡がうるうるとした瞳で見上げてくるが知ったこっちゃない。目をそらしてやると、またもやあからさまなため息が飛んできた。
「まあ、佐伯の好きなタイミングでいいよ」
「そうさせてもらう」
これでよし。
というか、そもそも呼び捨てってのは個人の好きなタイミングでするものなのであって、強要されたそれはもはや呼び捨てじゃないのである。
じゃあそれなんだよって話なのだが、そこはちょっと、ニュアンスの違いというかなんというか......。
と、小幡がわざとらしく咳払いした。注目しろということらしい。
「本当はもう少しおしゃべりしてたいんだけど。そろそろ、本題に入ろうかな」
そう言うと、小幡は姿勢を正して、まっすぐ俺の目を見据える。
途端に空気がピリッと張り詰めるのが分かった。
「佐伯」
「は、はいっ」
まっすぐな目で見つめられ思わず声が上ずる。
しかし小幡はそれを茶化すようなことなどせず、小さく息を呑む。
そして、すっと頭を下げた。
「――今日まで、無理に押しかけてごめん」
それがあまりにも滑らかで、一瞬俺はなにをされたのか分からなかった。
一瞬遅れて声をかける。
「お、おい......」
「なに?」
顔を上げさせようと手を伸ばしてみるが、一瞬触れるのをためらってしまった。
小幡は頭を下げたままの状態で答える。
「......言ってること、めちゃくちゃだぞ」
さっきは『これでチャラ』とか言ってたのに、これじゃあチャラにした意味がない。
「そうかもしれない。でも、佐伯にはそれ以上にいやな思いさせたと思うから。そこは謝らないと」
「俺は、べつに......」
「はは......。佐伯は手厳しいね」
「いや、そういう意味じゃ......っ」
反応をみて、しまったと思った。今のは鈍感な俺でもわかる。『寛容な俺かっけー』アピールは時に人を傷つけるということらしい。
「きっと謝るだけじゃ足りないと思うけど、今はこういうことしかできない。だから――ごめんなさい」
小幡は少し顔を上げたかと思えば、今度はさらに深く頭を下げる。それを止めることがはばかられるような、清流のような所作だった。
......たしかに今回、毎日待ち伏せしていたことの非は小幡にある。だが、それを無視し続けて少なからず小幡を傷つけたのは俺だ。
でも、ここはそれを謝る場面じゃないのだろう。それなら俺にできることはもう決まっている。
「顔上げてくれ」
「......でも」
「悪いと思ってる気持ちはもう十分伝わった。だから今後は、こういうことはしないでほしい」
お咎めなしの一番丸い収め方だと思って言ったのに、顔を上げた小幡の表情は少し暗いものだった。
いま一度自分のセリフを反芻してみるが......うん、どこにも悲しむ要素は、
「......じゃあ、私はもう来ないほうがいいよね」
ちゃんと言及し忘れていた。
「いやいや! そういうことじゃなくて! 待ち伏せは勘弁って意味だから!」
俺はもう許す前提で話していたので見落としがちだったが、そういう捉え方もあったか......。
わたわた身振り手振りでフレンドリーなアピールをする。オレ、オマエ、セメナイ。
こういうときとっさの機転で効果的な落とし文句が出て来ないのは経験値の差か。ここにきてコミュ障のしわ寄せが......!
と、
「――ふふっ」
不意に小幡の表情がすこしだけ和らいだ。
張り詰めた空気がゆるゆると緩んでいく。
「わかって、くれたのか......?」
確認のためそう訊いてみた。
「うん。もう大丈夫。だって、佐伯すごい必死なんだもん」
「ひ、必死なのは関係ないだろ......」
「いやいや。必死だからこそ伝わったみたいなところあるから」
そう言いつつ笑いをかみ殺すのやめてもらえませんかねえ......。
「――まあ、とにかく、そんな感じ」
適当にまとめられた感は否めないが、この場はそうしておいたほうがいいのだろう。徐々に全身に入った力が抜けていく。二人の間に穏やかな空気が流れはじめた。
がしかし、一つだけ聞いておかなくてはなら無いことがあった。
「なあ、小幡さん」
「さん付けじゃなくていいけど、なに?」
「これはちょっとした質問なんだけど、この台風はいつごろからひどくなったっけか」
「え? 八時くらいにはもう結構ひどかったけど、それが?」
小幡の答えに、俺は相槌でもって返して、
「つまり、小幡さんはあえて強風のなか俺の部屋に来たわけだ」
「そう、だけど......。で、でも! それは今日はもともと行く予定だったからで!」
「へぇ」
知らず木村のような返事をしてしまった。
なるほど、あの時の木村はこんな気持ちだったのだろうか。
「そういえば、この台風の予報はいつから出ていたっけか」
「先週には、もう出てたと思う......」
「へえ、それならこの日を回避することも出来たわけだ」
「そ、それは............」
そう言う小幡の視線はあっちこっちに飛んでいて定まることを知らない。
俺はその様子をしばらくジッと見つめ、そして、
「......こういう日に来たら、なし崩し的に入れるかと思ってましたすみません」
こういうとこ、意外と抜け目ないんだよなあ......。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます