番外編 撮影旅行①
「おい、お前ら遠出しろ」
その唐突な提案は種田によって月とレックスに投げかけられた。月は家事代行中だったのでレックスの部屋のリビングで洗濯物を畳んでいた。その傍らのフローリングには激務により直近三日間の合計睡眠時間が五時間しかなかったレックスがのびていたのだが、二人は同時に顔を上げて首を傾げた。
「遠出ですか?」
「遠出? なんで?」
ほぼ同時に似たような事を言った二人に種田は特大の溜息を吐いた。
「理由は色々あるが、一番は仕事の効率化の為だ」
随分固い理由だなとさらに首を傾げた月の傍らでレックスは身体を起こした。
「その言い方だと現状が非効率って言われている気がするんだけど」
「そう言ったんだよ」
「ほぼ不眠不休で働いて、やっとまとまった仕事が終わった直後の俺にそれ言う?」
レックスは心外だと言わんばかりに眉を顰めた。対して種田はあっさり「言う」と返して月に向き直った。
「アンタはここ最近、日曜日と月曜日が休みだったよな? 次の休みもそうか?」
「そうですけど」
「なら、休みが無いとか恋人とイチャイチャ出来ないとかグチグチ言って、ここ最近仕事のモチベーションが落ちて作業効率が低下しているアンタの恋人を二日間貸してやるから、仕事の効率上げさせて来い」
何を言われたのかいまいちよく分からず月がどういう事だと考えている間に、レックスが驚きの表情を浮かべた。
「えっ? 何言ってんの? その日は遠方での撮影の予定が入ってたじゃん。確か打ち合わせも前後に入ってて、移動がハードだって言って嘆いていたのは種ちゃんでしょ?」
「その打ち合わせの片方が諸事情で延期になった。でもって、もう片方は俺が先方に連絡を入れて事前に予定をずらしておいた。もし、日曜までにお前が月曜までの編集その他諸々を終わらせた上で、五島さんがそれまでに簡単な撮影技術を会得するのなら、丸々二日間、撮影旅行に行かせてやる」
種田の発言から間髪置かず、レックスは「神!!」と喜色満面で叫んだ。次いでレックスは月を振り返る。
「撮影技術って言ってもそこまで難しくないし、失敗しても編集の方でどうにかするから安心して! めちゃくちゃいい旅館での撮影なんだ。良い部屋泊まれるよ! だから、お願い!!」
全開の笑顔が必死の形相に転じ、もの凄い勢いで拝み倒される。月は詳細を確認する前に勢いに負けて思わず頷いてしまった。途端にレックスは渾身のガッツポーズを決める。
月はそんなに嬉しいものかとその喜び様を見て口元を綻ばせる。テンションの高いまま月の仕事が終わるまで編集をすると部屋を出て行くレックスに軽く手を振って、そんなに喜んで貰えて嬉しいなぁと呑気に送り出す。再び手を動かして洗濯物を畳みながら、撮影旅行とは一体どんな手伝いをすればいいのだろうと軽い気持ちで思考する。すると立ったままの種田から声を掛けられた。
「その顔はあんまり現状を把握してないな」
ずばり言われて、月は苦笑を浮かべて素直に頷いた。
「ええと、旅館の撮影のお手伝いをすればいいのでしょうか?」
「ああ。けど、アンタのやるべき事は他にもあるからな。どちらかというと今回はそっちの方が重要だ」
それは何だと素直に問えば、種田は近寄ってきて、月の視線の高さが合うようにしゃがんだ。
「お前たち付き合って何ヶ月だ?」
「えーと、三ヶ月は過ぎました」
「デートってしたことあるか?」
「えーと、一回だけ美味しい鉄板焼き屋さんに連れて行ってもらいました」
「だよな、知ってる。レックスは忙しい上に気軽に外をうろつける存在じゃないからな。基本的にアンタの仕事後にここでしか会ってないだろ?」
「はい」
「泊った事もないだろ?」
「そうですね」
「レックスの話を聞いてる感じだとアンタは案外そんな交際に不満はないみたいだな」
「はい。松田さんが多忙な事は前からわかっていましたから。毎週会えるだけで嬉しいし有難いと思っています」
月が次々に出される問いに淡々と答えていくと、種田は何故か軽く吹き出して笑った。
「なんというか、無欲だなアンタは。普通、レックスレベルの男を女が捕まえたら、アレコレと欲が出てくるもんじゃないのか?」
自分が何故笑われているのかが分からない月はまた淡々と答える。
「好きになった人――――松田さんと付き合えただけで奇跡なので。まだその喜びを噛みしめている最中なんです。仕事じゃない時間に一緒に居られるだけで、まだまだ充分幸せです」
これは本音だった。そして種田には言えなかったが、他にも月が無欲でいられる理由があった。
それは、レックスとの恋人らしいスキンシップに恋愛初心者過ぎる月は未だに慣れておらず、過剰摂取するとドキドキしすぎて心臓と頭がどうにかなりそうだったからだ。ハグやキスを想像しただけで顔が熱くなってきてしまう程、月は未だに初心だった。
「殊勝で何よりだけど、レックスもアンタと同じ気持ちでいるとは思わない方がいいからな」
「ええっ!?」
それはどういう事だと食い付けば、種田は何故か一瞬だけ真顔になった。
「言っておくが、ご存じの通り俺は女に興味はない。これからいう事は同性に言われたの同じ気持ちで聞けよ」
前置かれ、何を言われるのかと身構えれば、身構えた分では足りないくらいの爆弾を投下される。
「アイツの欲求不満解消して来い。ちゃんと抱かれる準備して行けよ」
「え…………ええええぇぇ!? ちょっ、何言っ」
「言っとくが、レックスが三ヶ月も手を出さずに大事に大事にしてた女は他にいないからな。アイツは本来手が早い。女を信用していなかったのに、女と付き合ってたのはそっちの方面の欲を発散させるためだからな」
「なっ、ちょっ、そんな話っ」
恋愛にも下ネタにも免疫がない月は真っ赤になって、種田の声を遮ろうとする。しかし、種田は止まらなかった。
「ここ最近のレックスの激務具合は知ってんだろ? 動画も他も大きなプロジェクトが動いてる。汗水垂らして昼夜問わず働くアイツが唯一言う我儘にもならない我儘は、アンタに会いたいとかアンタとイチャイチャしたいとかそういう類のばっかりだ。流石に疲れも出てきてるし、心身ともにパワーチャージさせなきゃいつまで保つかわからん。無料で最高級旅館の完全プライベートスイート泊まらせてやるから、ヤル事ヤッて、癒して来い」
あまりの事に声も出ず、ただただ羞恥で熱くなった体で冷や汗をかく。そんな月に種田は駄目押しをした。
「それとも、俺がアンタの代わりに行ってこようか?」
言われた瞬間、月の脳内に目くるめく男同士の魅惑な世界が浮かぶ。それを月は渾身の力で首を振ってかき消した。
「種田さんはダメですっ!!」
種田はレックスが月と交際すると報告した時に、存外あっさりと受け入れ、祝福までしてくれた。その後、主に月に毒を吐いたり揶揄ったりということは何度もあったが、その表情は明るく、レックスへの想いはもう吹っ切れたものだと月は考えていた。にもかかわらず、ここに来て軽めの略奪発言。月はレックスと交際するようになってから、種田とレックスがとても固い信頼関係で結ばれているのだと実感する機会が多かった。そんな相手が今更ライバルに戻るのは御免被りたいという本音が前面に出た。
種田は月の全力の拒否に一瞬きょとんとした後に、おかしそうに笑った。
「なら、お前が責任持って行って来い」
状況的に他に選択肢がなく、月はぎこちなくも頷く。それを見て種田も満足気に「よし」と頷く。その直後種田はガラリと表情を変えてニヤリとする。
「簡単な撮影技術は俺が教える。ついでに、アイツの女の下着の好みも教えてやろうか? どうせ勝負下着なんて持ってないだろ?」
完全な揶揄い口調に月は本気になって拳を種田に向かって振り下ろす。勿論、腹立たしさと恥ずかしさからの行動だったが、不思議と嫌悪感は生じなかった。そういう経験はないが、月は経験豊富な年上の女友達から激励ついでに揶揄われているような感覚だった。実際種田も方も似た様な感覚で月に接している。紆余曲折あった二人だが、種田の方が丸くなり、月を認めるようになってからというもの遠慮のいらない友人のような関係築かれていた。
「デリカシーがない!! セクハラで訴えますよ!!」
「うっせぇ!! こっちだってアンタがそれなりの手練れだったらこんな面倒な事わざわざ言うか。意気揚々と出掛けて行ったレックスがチンチクリンで空気が読めないアンタのせいで逆に疲れて帰って来ないようにしてんだよ」
「うぅぅぅぅっ、松田さん至上主義者!!」
「そりゃお互い様だ。黙って当日までに心と体の準備をしとけ。アンタだって、レックスの期待を裏切るのは嫌だろ?」
「そうかもしれないけどっ、そうかもしれないけどぉおお!!!」
月が顔を真っ赤にして頭を抱えて蹲った。種田はその旋毛を見て吹き出しそうになるのを何とか堪えつつ、内心でだけ呟いた。
――――幸せを願ってやってんだから、このくらいの意地悪は許せ。バーカ。
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