第12話 【最終話】甘くて甘い。
50 クリスマス・イブのお疲れ様会
いつも通りの平日にいつも通りの仕事。
冬の寒さの中、自分の吐く白い息で指先を温めながら出勤する。掃除に洗濯、料理にアイロン掛け。朝から毎週のルーティンをしっかりとこなし、午後も同じような業務を繰り返す。やる事はいつもと変わらない。雇い主にイレギュラーな依頼をされたとて、ちょっとした手間が増えるだけで、大きな変化はない。だからプロとして、月は黙々と仕事する。例え、自分の手が作り出している料理が、仕事終わった後にレックスと二人きりで食べる料理だったとしても。
そう、とうとうクリスマス・イブが来てしまった。
どんなにいつも通りに働いても、仕事の時間が終わってしまえばいつも通りというわけにはいかない。ダイニングテーブルに並べられた熱々のクリスマス料理。食事をするなら必要だろうとセットしたカトラリーやグラスはしっかり二人分。仕事時の戦闘着といっても過言ではない所属社名のロゴが入ったエプロンを取った瞬間、テーブル上の全てが緊張の材料になった。
本当にこれから私が松田さんと一緒にご飯を食べるの? 夢か何かでは?
頬をつねるという古典的な方法を試し、痛みがしっかりある事を確認した月は本格的にソワソワし始める。意味もなく部屋を見回し、うろうろとその場を歩く。
そうして、何気なく見下ろした自分の服を見て月ははっとした。完全な仕事着。ポロシャツに汚れても良いカーディガンと黒のチノパン。オシャレのオの字もない服装。料理や他の事に気を取られ過ぎて、服に関してはノーマークで来てしまったのだ。もしかしなくても着替えを用意してくるべきだったのではないかと、月は大いに焦った。そんなタイミングで背後のドアが開いた。
「おおっ! めちゃくちゃ美味しそう!!」
月は勢いよく振り返り、背後に現れたレックスの姿を目にして感情そのままにその場に膝をついた。
「えっ、ちょっ、どうしたの!?」
レックスが慌てて声を掛けてきたが、それに応じる余裕は無かった。何故なら玄関で迎え入れてくれた時はラフな部屋着だったはずのレックスがパリッとアイロンの掛かった黒シャツに燕脂のタイ、上下スーツ姿で現れたからだ。
「ドレスコードがあるなら言ってくださいよぉっ」
「えっ? 何の事?」
意味がわからないと言わんばかりの声色に月は項垂れていた顔をがばりと上げる。
「自分ばっかりそんなカッコイイ格好してっ。わっ私が考え無しだったのがいけないのかもしれませんけどっ、せめてもっとカジュアルな服を着てくれれば良いのにっ。私なんか、仕事着のまんまの酷い服しかないのにぃ!」
心の底から訴えれば、レックスはきょとんとした後に声を上げて笑った。
「仕事後に誘ってるんだからそんな事気にしなくていいよ。それから、このスーツはさっきまで撮影部屋で動画撮ってたから着てるだけ。ただの衣装だよ」
「……衣装?」
「そ。ご希望とあればこのままでもいいけど、その様子だとこういうのは求められていないようだから着替えて来ようかな?」
しゃがんで目の高さを合わせられ、戯けた表情を向けられる。月は取り乱した自分が恥ずかしくなって両手で顔を覆った。いっそジャージとスウェットで出てきて欲しいと願えば、流石にそれはないと断られ、ソファに座って大人しく待ってなさいと命じられる。
それからすぐに戻ってきたレックスはジーンズにトレーナー姿だった。カジュアルでシンプル。なのにモデルの様にカッコイイ。それでも先程と比べればまだマシだと月は自分に言い聞かせ、自分の女子力0点の服装はもう見て見ぬふりをする事にした。
それからすぐにドキドキもソワソワも治らないまま、二人きりの“お疲れ様会”は始まった。
手作りのクリスマス料理をレックスは大層喜び、美味しいと繰り返しながら食べた。一方の月は最初のうちは緊張を引きずったまま背を丸くしてチビチビと食事を口に運んでいた。ただ、レックスが巧みにトークをリードしてくれ、気まずい沈黙などは一切存在しなかった。そうして、振られた話題に一生懸命応えている内に肩の力が抜け、いつしか月も自然体で食事を楽しむ事が出来ていた。
二人は色々な事を話した。仕事の話から始まり、互いの私生活や子供の頃の話。好きな食べ物や趣味。休日の過ごし方や家族の話。他の相手にだったら躊躇してしまうような過去の話もした。互いのコンプレックスやトラウマを把握し、一緒に乗り越えた経験が気まずさを消し、どんな事を話しても二人の笑顔は不思議なくらい崩れなかった。
用意した食事をいつの間にか食べ終え、テーブルの上に食べる物が何も無くなっても二人の会話は続いていた。
「そういえば、さっきはスーツ姿でしたけどどんな動画の撮影だったんですか?」
「事前に視聴者さんから募ったリクエストに答えていくクリスマス企画だよ。テーマはクリスマスデートで、明日までにダッシュで編集して公開する予定。事前にSNSに投げたアンケートで服装がスーツに指定されていて、俺が気分で視聴者が希望した台詞や仕草をしていくという、イケメンナルシストじゃないと中々出来ない強気企画です」
自虐を含めてひょうきんに説明された撮影内容に月は興味を持った。
「おおっ。因みにどういったリクエストがあったんですか?」
好奇心から深く考える事なく尋ねれば、レックスは頬杖をつき「聞きたい?」と首を傾げる。イエスの返事をすれば、レックスはニヤリと笑ってガラリと雰囲気を変える。片手の人差し指を銃口の様にして月に向け、撃つふりをした。
「『今夜は帰さないから』とか」
突然リクエストを実演されて、見えない弾と色気のある声に撃ち抜かれた胸が甘い悲鳴を上げる。キュンと照れで呻くギリギリ手前で何とか踏みとどまる。すると今度は椅子からレックスが立ち上がる。数歩歩いて月の横に立ち、腰を折って耳元に唇を寄せてきた。息をたっぷり含んだ低い声が吹き込まれる。
「『クリスマスプレゼントには君が欲しい』――――とかとか。何というか、女の子って案外ムッツリスケベだよね」
カラカラ笑いながら耳元からレックスが離れていく。十中八九レックスが冗談でリクエスト内容を再現してくれたのはわかっていた。わかっていても月は赤面せずにはいられず、顔を起点にして全身の体温がみるみる上昇していった。色恋にただでさえ慣れていない初心な女には刺激が強過ぎたのだ。
今顔を見られたら絶対に変に思われる。
月は違和感を持たれない程度に俯いてレックスから顔を背けた。ムッツリスケベ発言に対してどう答えるべきか検討が付かないので適当に笑って誤魔化す。しかし、そんな密かな苦労をレックスはあっさりとぶった切ってきた。
自分の席に戻らず傍らに立ったままだったレックスがクスリと笑う気配がした。
「ムーちゃん、耳だけじゃなくて首も真っ赤だよ。色白いから目立つ」
発された声がそのまま耳と首筋に降り、撫でられたかのような感覚が肌を走り、ぶわわわっと毛穴が開く。言い様のない恥ずかしさが込み上げてきて、堪らなくなった月は思いっきり話題を変えた。
「プレゼントといえば!!」
顔を勢いよく上げ、白々しく両手をパチンと合わせる。そうして立ち上がって自分の荷物の許へ行き、とある物を鞄から取り出した。未だに立っているレックスの前に進み出て、赤い包装紙に緑のリボンが掛かったB5サイズの重たい箱を差し出す。
「あの、これ、良かったら受け取って下さい。……クリスマスなので」
「えっ、わざわざ用意してくれたの? ご飯食べようって誘ってから数日しかなかったのに。大変だったんじゃない?」
大変だったと言われれば確かに大変だった。
月は悩みに悩み抜いてレックスへのクリスマスプレゼントを選んだ。イブに食事をするからには何か用意した方がよいということに気がついたのが月曜日の夜だったので、それはもう慌てふためいた。それから夜通しスマホで男性へのオススメプレゼントを検索したがピンとこず、火曜日の仕事後に大急ぎで買い物に出かけた。そうしてどうにかこうにか月なりに及第点が出た品物を購入したのだが、レックスが喜んでくれるかどうかの自信は時間が経てば経つほど無くなっていった。だからレックスが恐縮そうにしている様子に月の方が恐縮する。
「いえっ、そんなことはっ。日頃の感謝も込めて用意しました。喜んで貰える物かどうかはわかりませんが、あって困る物では無いと思うので、お納め下さい」
頭を下げてずいっと差し出したそれは無事レックスの手に受け取られた。
「ありがとう。開けていい?」
こくりと頷けば、レックスはまだ片付けられていないダイニングテーブルではなく、ソファに移動して月を手招きした。少し距離を取って隣に座り、包装を丁寧に剥がしていく長い指先を見つめていると、食事中にはどこかに消えていた緊張が戻ってくる。ドクドク脈打つ胸を押さえながら、渡した物が明らかになるのを待った。
「おっ、おっしゃれー。いいねコレ!」
化粧箱の蓋が開き、出てきたそれを見下ろしたレックスは嬉々とした表情を浮かべた。箱の中に収まっていたのは手のひらサイズの平皿が四枚と小ぶりなスプーンとフォークのセット。皿のカラーはブラック・ネイビー・ホワイト・ダークグリーンとそれぞれ違う。月は仕事中に何度も台所に立つことによって、レックスの部屋に取り分け用の皿と小さめのカトラリーが一人分しかない事が前々から気になっており、それ故のチョイスだった。
「流石は家事代行さん。痒いところに手が届くプレゼント。ドンピシャで欲しかったものだ! ありがとう。大切に使うね」
眩しいくらいの笑顔を向けられ、月の心臓はついさっきまでの緊張とは別の理由で高鳴る。喜んでもらえた事が純粋に嬉しくて、顔の筋肉が緩むのを抑える事が出来なかった。
「よかった。男の人にプレゼントを贈った経験なんてお父さん以外無かったから、変なもの選んじゃったんじゃないかなって、とっても心配だったんです」
「…………変なんかじゃないよ。ムーちゃんが選んでくれたものなら何でも嬉しいし、今正に欲しかった物だから嬉しいにプラスしてめっちゃ驚いた」
今正にという点が引っ掛かり、どういうことだと思考した月は一つ思い当たった。
「…………あっ、ケーキ」
「そっ、用意したはいいけれど、丁度良い皿とフォークがなかった事に恥ずかしながらこの箱を開けてから気がつきました」
「あははっ。なら本当にこれを選んで正解でしたね」
レックスがケーキは自分で用意すると言っていた事を思い出し、月は自分の選び出した物が大正解だったと大いに喜んだ。
「じゃあ、これ今すぐ洗いますね。ダイニングテーブルも一旦片付けて、それからケーキタイムにしましょうか」
月は直ぐに作業に取り掛かろうと立ち上がろうとした。すると、腰が上がる前に手首がぐっと掴まれる。
「ダイニングテーブルはそのままでいいや。お皿は俺が洗うからムーちゃんはここに座ってて」
「えっ、でも」
自分が何もせずにレックスに働かせる事に抵抗がある月は戸惑ったが、にっこりと微笑えまれながら手首をソファに押し付けられる。
「料理はムーちゃんの手料理が食べたかったからお願いしちゃったけど、ここは俺の家でゲストはムーちゃん。大人しく座って待っててくれる?」
「うぅ、ではお言葉に甘えて」
有無を言わさぬ雰囲気に渋々ソファに深く座る。レックスは満足そうな顔をして受け取った皿を箱ごと持ってキッチンに行ってしまった。
手持ち無沙汰でソファの上で小さくなって座っていると、レックスが洗った皿を持ってきてローテーブルに置いた。次いで一度部屋から出て行き、予想と違う見た目の箱を持って来た。それは上に持ち手がある白い一般的なケーキの箱とは違い、イメージより縦に長く、色は黒、持ち手がない代わりに金色のリボンが掛かった高級感溢れる箱だった。
「わぁ、すごい! 今まで見た事のない豪華なオーラを放っている箱ですね」
凡人力を発揮して素直に箱の見た目に驚けば、レックスはおかしそうに笑った。
「そう? でも、メインは中身だから」
言いつつレックスは慎重にその箱をローテーブルに置いた。直ぐに隣に座りに来るのかと思って少しばかり身構えた月だったが、レックスは壁掛け時計を確認すると「もうちょっと時間あるね」と一人呟いて、また部屋から出て行った。そうして戻って来たレックスの手には幾つものキャンドルが握られていた。
「あの、それは?」
「前に撮影の時に使って余ったやつ。クリスマスだし、ちょっと雰囲気出してみようと思って」
レックスが一緒に持って来たライターを使い、背の低い円柱型のキャンドル一つ一つに明かりを灯していく。その光景に見入ってしまった月が気が付いた時にはローテーブルや大画面のテレビ台、ダイニングテーブルやキッチンカウンターにまでキャンドルがセットされていた。
「電気消すよ」
カチリと小さな音がした瞬間、白い光に溢れていた室内が一気に淡いオレンジ色の空間に変わる。たったそれだけの事なのに、何故だか胸騒ぎがして月の胸が騒めきはじめた。それまで以上に鼓動が早まり、ドキドキしてくる。そんな自分の心をどうにか落ち着かせたくて気分を紛らわそうとレックスを見上げた。
「何だかもの凄く大人な雰囲気になりましたね! 私、クリスマスって母や友達としか過ごした事がなかったからなんだか緊張しちゃいます」
「そう? じゃあ、テレビでも見る?」
移動してきてするりと月の隣に座ったレックスが予想外の提案をした。
「今、テレビですか?」
なんだか出来上がった雰囲気とは随分掛け離れた提案だなと思わず問えば、レックスはソファの端に置いてあったリモコンを手に取って実際にテレビの電源を入れた。
「暗い中で家のテレビ見るのってちょっと悪いことをしてる気分になるよね。でも、お手軽な映画館みたいで俺は結構好き」
リモコンを操作しながら気軽な調子で話すレックス。その態度に雰囲気作りはただの思い付きで、テレビを点けながら過ごすくらいラフな時間になるのかなと、月は肩に籠った力を抜きそうになった。しかし、次のレックスの発言により、抜けかけた力は全身に戻る。
「さて、ここからは俺からのプレゼント」
「…………えっ?」
思わず隣を見つめると、レックスは甘く笑んでいた。
「先ずは、こちらのプレミア公開をご覧ください」
演技がかった声と同時に大きな液晶テレビに映し出されたのは、レックスがたった今配信したばかりのYouTubeの動画だった。
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