27 嵐、来る。
同じベンチに座って電話越しにやり取りをした月とレックス。月は落ち込み切っていた気分をそれなりに上昇させ、その分冷静さを取り戻した。少しの間黙り込んでいたレックスの方も通常運転に戻っていた。
月は少しばかりの気恥ずかしさを解消するための軽い会話を心掛け、雰囲気を解した。その後に、その場に居て無視することが出来ない巨大なレックスの広告について触れた。
「なんか、いつもの松田さんと雰囲気が全然違って、見るとドキドキというかソワソワします。あっ、勿論格好良くて素敵だとは思いますよ」
『ははっ、後付けでルックスを褒めてくるあたりムーちゃんらしいよね』
「……それって、私は普通じゃないって言ってますか?」
『良い意味でね』
「本当かなぁ?」
レックスとの軽い調子の会話は気楽で楽しいものだった。
レックスの隣に居ると、心に常に引っ掛かっている針金に結び付けられている重しが軽くなる。しかもレックスはその重しの存在を認識し、多くを語らずとも月の気持ちを理解してくれていると思えた。
自分の気持ちを理解してくれている人物を月自身が受け入れ、心を許す。
それは月がコンプレックスをその胸に抱え込んで以降初めてのことであり、月の心を少なからず癒していた。だからこそ月はレックスに心を開き、屈託なく笑うことが出来た。
辺り一面の赤い広告に起用され、日本中にその顔を知られていると言っても過言ではないレックスではあったが、月にとってはとても身近な心の拠り所になっていた。
『おっ、ちょっと今人減ったんでない?』
レックスの声に反応して周囲を見渡すと、確かに先ほどまであちらこちらに居た待ち合わせと思われる人が捌け、人が疎らになっていた。
「そうですね」
『今なら撮影しちゃえるかな』
「えっ? 今からですか?」
人が疎らになったといえど、ガラガラとまではいかない広場内の景色に月はやめておいた方が良いのではないかと思った。そんな心配をよそに、レックスは月に一言断りを入れると通話を切り、どこかに電話を掛け始める。
「あっ、種ちゃん? あははっ、ごめんごめん。でも今の所誰にも声とか掛けられてないし、注意深く回り見ているけど気が付かれる気配とかないから大丈夫だって。うん、でさ、今いい感じに人が捌けたから撮影しちゃおうかと思って。大丈夫だって。バレても無難に交わして直ぐに車に引っ込むよ。今回は無理に変な事しないで周囲の雰囲気を映して、軽くコメント出来たら終了だし。でさ、無事に終わったら、これから飯食おうと思っていた店にムーちゃんも連れてって三人で飲もうよ」
「えっ!?」
聞き捨てならない台詞に思いっきりレックスの方を振り向いてしまう。見つめたレックスは一瞬だけ悪戯な顔でウインクをして直ぐに視線を正面に戻してしまう。
「えっ? いざとなったらムーちゃんを盾にして逃げろって? 何言ってんの、種ちゃん。そうなる前にそっちが飛び出して来るくせに」
軽口を叩いて笑ったレックスは種田との会話を一方的に畳んで立ち上がった。
「んじゃあ、いっちょやっちゃいますか」
ぐっと腕を上げて伸びをして、小さく気合を入れたレックス。月は何を言われた訳ではなかったけれど、撮影が終わった後に一緒に飲みに連れて行ってくれるかもしれないという情報の真意を確かめたく、黙ってその場に止まった。
レックスは一気に撮影モードに気持ちを切り替えたのか、月の存在を気にすることなく準備を始めた。鞄からカメラを取り出しそれを自撮り棒に、着ているジャケットにはピンマイクを装着しているのが横目で見える。そうして撮影道具を整え終えると歩み出す。レックスは広場のほぼ中心に辿り着くと、画角を確認した後にカメラに向かって何やらコソコソ話しはじめた。
それを見て月はほっと安心する。あまり派手な演出やチャレンジ企画はなしで、こっそり撮影するつもりであることが見ていて分かったからだ。意識して見ると撮影しているのが分かるが、現状そこまで目立っていない。レックスの広告を見にこの場に来たファンにだったらバレるかもしれないけれど、そうでない人達には何をしているのだろうと気になられる程度で、わざわざ声を掛けられる事は無さそうだった。
特にすることがない月は少しでも何か役に立てたらと、レックスがやって来たファンに取り囲まれるようなことが無いように、周囲にそれらしき人物がいないかどうかと監視のようなことを始める。すると、駅の方から広告看板を見上げてキャアキャア言いながら歩いて来る女子高生三人組が現れた。一瞬ヤバイと思った月だったが、レックスも直ぐに彼女達の存在に気が付いたらしく、近くのベンチに腰掛けてカメラを目立たないように持ち直していた。
レックス本人がその場に居ることなどこれっぽっちも知らない女子高生たちは辺り一面のレックスにスマホを向けながらはしゃいでいる。レックスはその様子をさり気なく窺っているようだった。アレコレとレックスを褒めちぎる発言をしている女子高生から少し離れた位置でうんうんとカメラに向かって頷いているレックス。どんな動画になるのかが何となく想像出来た月は思わず口元を綻ばす。恐らく女子高生の顔や声は出さないように編集をする事を念頭に、その反応を聞いた自らの感想などを密かに撮影しているのだろう。
しばらく同じ場所に留まっていた女子高生とレックス。しかし、女子高生が空いているベンチを探し始めると、長居をしそうな気配を感じ取ったレックスが自然な動作で立ち上がり月の方に戻ってくる。そうして、また月の座っているいるベンチの端に腰掛けると撮影道具を片付け始めた。その最中に再び月のスマホが震える。
「もしもし」
『これ以上は見つかっちゃいそうだから、今日はこのくらいにしておくわ』
「お疲れ様です。確かにあの子達に下手に見つかったら騒ぎになっちゃいそうですね。さっきからずっとキャアキャアキャピキャピで看板撮影してましたよ」
『すごく嬉しいけどね。ファンとの非公式な交流は出来る限り避けた方トラブルが起こらなくて吉だから。つきましては、この後暇かいお嬢さん?』
「あははっ、本当にナンパしてくれるんですか?」
『するするぅ。この後、俺と一緒に楽しいトコ行かなぁい?』
「ええー、どうしよっかなぁ? ついて行ったら急に怖〜い男の人が出てきて睨んできたりしませんか?」
『ああ〜、それはあり得る。残念ながら避けられないイベントとなっております。でも来て欲しいな。結構美味しくて有名な揚げ物専門店の予約、その怖〜いお兄さんがし直してくれてると思うから』
一頻り冗談混じりのやり取りをした後、月は本当に自分も一緒に行って良いのか今一度確認する。するとレックスは広場から少し離れた人の少ない通りに車で一旦移動し、そこで月を拾うから、是非一緒にと言ってきた。月に断る理由は特に無かった。千穂に一報入れなくてはと思いつつ、誘いを受けようとしたその時だった。
「あっ」
『ん?、どうした? 何か予定あった?』
問われて月は首を横に振った。
「いえ、予定とかは無いですし、是非ご一緒させて下さい」
『じゃあ、どうしたの?』
「えっとですね、ちょっと気になる人を偶々見つけてしまって」
『気になる人?』
そう、月が声を上げたのはその後の予定云々が原因ではなかった。偶々視線を向けた広場の一角に気になる存在を見つけて、思わず声を上げただけだった。
「左側にある外灯の下、あそこのベンチに座っているスーツの女性なんですけど、夕方にここに来た時も居たんです。あの人、松田さんの看板を見上げながら泣いてたんです」
それまで、顔が見えない角度で座っていた女の顔を遠目に見て、月は直ぐにその存在を思い出した。
『えぇっ!? 泣いてたの? なんで!?』
「知り合いでもなんでもないので分かりませんよ。泣いている姿が印象的で顔を覚えてしまっただけなので」
『そっか……。でも、自分を見られて泣かれるってなんか複雑』
レックスがそうに呟くのに苦笑を零しつつ、見知らぬ女の為にフォローを入れる。
「きっと、のっぴきならない事情があるんですよ。あっ、今も目を擦ってる。……また泣いてるのかなぁ」
スーツの女はまた広告を見上げて涙を流しているようだった。夕方にも見た姿がこの場にまだあるということは、もしかしたら、月が最初に見つけたその時以降ずっと広場に止まっているのかもしれない。そうなると他人ながらに少し心配になった。
『まぁ、人生色々あるんだろね』
それはさして興味のない声色だった。自らの姿を見つめる女が涙を流すという普通じゃ有り得ない状況も、さらりと流せる程度にレックスを取り巻く環境は特殊なのだろう。そう思って月は視線を女からずらそうとした。
すると、そのタイミングで女が月達が座るベンチ側に顔を向けた。
目が合った、と月は思ったがどうやら勘違いだったらしい。女は月ではなくレックスの方を見ている。距離があってもそれが分かった。
ファンかどうかは分からないが、何らかの強い感情を持ってレックスの看板を見上げていた女がレックスを凝視して固まった。これは変装が見破られる可能性があるのではないかと、月がレックスの心配をした時だった。
『――――
スマホからレックスの呟き声が耳に届く。それは明らかに独り言だった。そして、その囁きが人名を表しており、現状下でそれが何を意味するのかを月は直ぐに悟る。
「……お知り合いですか?」
月が問うた瞬間、レックスは弾かれたように勢いよく立ち上がった。
「っ、ごめん、俺もう行くわっ」
レックスはもうスマホを耳に当てておらず、荷物を抱え直して直ぐに歩き出していた。僅かだが震えているように聞こえた声が気になって、月はついレックスに直接視線を向ける。見上げたレックスはもう月の前を通り過ぎるところだった。一瞬だけ窺えた顔面からはこれでもかというほど血の気が引いているように見えた。
「どうし――――」
「松田くん、待って!!」
レックスに掛けようとした声が他者の大声によって遮られる。反射で声の方を振り返ればスーツの女がレックスに向かって走り出していた。
月にはっきりと聞こえたその制止の声は距離的に考えて絶対にレックスにも聞こえたはずだった。しかし、レックスの足は止まらないどころか速くなる。
「待って、松田くん!! 待って!!」
女は必死に声を上げて走るから広場内の視線が集まる。そしてその視線は自然と声を掛けられているレックスにも向けられた。
このままでは不味い、月がそう思った時だった。
「ねぇ、松田ってレックスの本名じゃなかったっけ?」
「えっ? ちょっと待って!? じゃあ、あの人レックスじゃない!? スタイルめっちゃいい!」
「うそうそうそっ、マジで!?!?」
ファンの女子高生達が女の声をしっかり聞き取ってしまったようで、レックスの姿を見て直ぐにその正体を特定してしまった。すると、今度は女子高生の声に気が付いた周囲の人々が騒然となる。その場がレックスの巨大広告に囲まれているだけあって、注目が集まるまであっという間だった。
注目が集まるまではまだ良い。しかし、一目レックスを見ようとする者、その姿を画像に収めようとスマホを構える者、中には接触を試みようとかなり距離を詰めようとする者などが見る間に集まりレックスの歩む速度を落とさせた。
「すみませんっ! 通して下さいっ!」
レックスから明らかに切羽詰まった声が響く。普段のファン対応がどんなものか知らない月だったが、何でもそつ無くスマートに熟すイメージがあるレックスにしては明らかに余裕がない。
そんな様子を目の当たりにした月の体は勝手に動いていた。
ベンチから立ち上がって走り出し――――レックスの後を追うスーツの女の手首をぐっと掴んだ。
「きゃっ! えっ!? 何するんですか!?」
「すみません! でもっ、ちょっと待ってください!」
「何なんですか!? 離してっ、私はあの人にっ」
女が月の手を振り払おうとした時、人だかりで足止めされてしまったレックスがチラリと背後を振り返った。そして、女の手首を掴んでいる月と目が合う。月は声を張ってレックスに進む様に促した。
「早く車にっ!」
レックスは青い顔のまま目を見開いた。そうして片手で顔を覆って数秒後、キャップを外して頭を掻きむしった。周囲は変装の一部である帽子が外された事によって、黄色い悲鳴が上がったが、レックスはそれには一切反応せずに、何故か車の方ではなく月達の方に戻ってきた。
「松田くんっ」
戻ってきたレックスに女が喜びとも安心とも苦しみとも言い難い声を上げる。しかし、レックスは女には声を掛けるどころか視線を向けようともしなかった。月を感情の無い目で見下ろし、月の手首を掴んで引いて女から離れさせた。
「離れて。穢れるから」
「……えぇ?」
思ってもみなかった単語がレックスの口から飛び出してきた。聞こえていたにもかかわらず、月は思わず聞こえなかった様に振る舞ってしまう。しかし、レックスは言い直すような事はせずに、月の腕をそのまま引いて耳打ちして来た。
「ごめん、この場は撮影関係者の振りをして」
「えっ、あっ、はい」
いまいち状況が分からないまま頷くと、レックスが突然演技がかった。
「ちょっと、早くして下さいっ。周りにバレないように撮影してたけど、バレた後は潔く素早く退散だって言ってあったでしょ?」
「ごっ、ごめんなさいっ」
「早く行きますよ。あー、皆さんお騒がせしてしまってすいません。こっそり撮影してお暇する予定だったんですけど、見つかってしまいましたね。車を待たせていますので失礼させて頂きます」
レックスが周囲を見回して明るい声を張る。ただ、月は自らの手首から伝わる手の異様な冷たさと僅かな震えから、レックスが常時と異なる精神状態である事を悟ってしまう。強めに引かれた手首から視線をレックスの顔に移す。笑顔がこれでもかと言うほど強張っていた。その強張りが遠目に何かを捉えて僅かに和らぐ。
「レックス! すいません。彼は今撮影と言えどプライベートでここに居ます、道を開けて頂けますか!」
「あっ、マネージャーの種ちゃんだ! 本当に撮影だったんだ!」
種田の声に反応したファンが振り返り、その姿を捉えて弾んだ声を上げた。月はファン達とは全く違う気持ちで種田の登場に心の底から喜んだ。
「種田さんっ!」
声を掛けた瞬間、ギンッと鋭く睨まれたが怯んでいる場合ではない。とにかくレックスをこの場から離れさせたい一心で種田との距離を詰めようとする。
「種ちゃん、やっぱり慣れないスタッフとお忍びロケは難しかったわ~」
あはは、と呑気を装ってレックスが月をスタッフだと装わしていることを種田に伝えると、種田は表情一つ変えずに対応してきた。
「スタッフのダメ出しなど今はしている場合じゃない! 申し上げありませんが、サインや握手は今この状況では一切お受けする事は出来ません。無断撮影もご遠慮下さい!」
丁寧な口調でもはっきりと断固たる意志を持って周囲に声を張る種田が頼もし過ぎて、月はそのマネージャーとしての度胸と手腕に内心で強めの拍手を送った。
「ほら、五島さんもスタッフの端くれならちゃんと周囲にお願いをしなさい!」
「はいっ」
スタッフとしての対応をしろと種田に言われ、月はレックスに掴まれている手をやんわりと離させ、レックスを背に守るように種田と同じように周囲に向かって声を張ろうとした。しかし、レックスを前に進むように促そうとして出した一歩がつんのめる。バッグのショルダー部分が何かに引っ掛かっているようだった。
嫌な予感を胸に振り返ると、スーツの女性が月のショルダーバックを両手で掴んでいた。
「待って、行かないでっ!」
今にも涙を零しそうな大きな瞳がレックスを見上げて悲痛な表情を浮かべていた。月はその懇願に一瞬固まってしまう。
「お願い話をさせてっ。私ずっと貴方にっ――――」
女が諦め悪く、何か個人的な事をレックスに向かって言い放とうする。しかし、その声は途中で遮られた。
「その鞄から手を離して貰えませんか?」
ゾクッと月の背筋が冷たくなった。急に気温が十度くらい下がったのではないかと思えるくらい肌を覆う空気が冷たくなった。
――――今のは本当に松田さんが出した声なの?
間違えなくレックスの声だったと耳が認識した後だというのに、月はそれを疑いたくなった。
どこまでも、冷たく突き放した声。
ついさっきまで月の心を優しく包み込むように穏やかだったはずなのに、その雰囲気が影も形もない声色。それを向けられた女はとうとう泣き出した。
「ねぇ、どうしてそんな風に言うのぉ? 私は謝らせても貰えないのっ!?」
――――謝らせる?
二人の間に何があったのか、それを勘繰りそうになった月の思考がグイッとショルダーバッグが引かれることで中断される。
「ねぇ、お願いっ、話をさせて! じゃないとこの人のバッグ離さない!!」
脅威としては弱めだが、充分脅しと判断できる文言が女から出て来て月は目を剥く。次いでレックスから放たれている冷気が負のパワーを増してゆらりと揺らぐのを肌で感じた。
これは本当に不味いっ。
月は本能的に危機を察知し、気がついた時には声を張っていた。
「種田さんっ、まっ――レックスさんを車に誘導お願いします!」
「何言って――――」
レックスがすかさず口を挟んで来そうになったので、月は出来る限りの笑顔を作ってそれをレックスに向けた。
「今日は有難うございました! 困った時はお互い様ですっ」
多くを語れる状況ではないので、言外にここは自分に任せて行ってくれと意思表示をする。レックスは眉根を寄せた。
「でもっ」
「こらっレックス。さっさと引き上げるぞ」
やっとレックスに手が届く範囲にやって来たか種田がレックスの腕を掴んで引く。同時に月を見下ろした。
「状況がさっぱり分からん。アンタは置いて行っていいのか?」
不機嫌そうな低めの小声に月はしっかりと頷いた。
「ダメだ種ちゃん! ムーちゃんも――――」
「松田くんっ!」
「はいはいはいはいっ、種田さんっもう行っちゃって下さい!」
種田にレックスが連れていかれそうになると、女は鞄を離して追い縋ろうとする。その前に月は立ちはだかった。
「どいて下さいっ!」
「それは出来ません!」
「もうっ、何でっ!!」
女は月の肩に手を掛けて揺さぶった。涙を流しながら睨んで来る目に怯みそうになるのを何とか堪え、気丈に振る舞った。
「落ち着いて下さい。もうこの場は誰にとってもゆっくりと話を出来る状況ではありません。そもそもそれは貴方がレックスさんを大きな声で呼んだのが原因です」
きっぱりと言えば女は唇を引き結んで黙った。その隙に月は背後を軽く振り返る。敏腕マネージャーの種田はレックスの腕を引きながら上手いこと人だかりをすり抜けていた。一方レックスの方はまだ納得がいってないのか、飛んで戻って来そうな顔をしている。
距離が開いてしまったので、声を掛けることは憚られた。なので月は気軽な雰囲気で手を振ってからその顔を見るのを止めて正面に向き直った。
今は松田さんの為にやるべきことをやろう。
そう心の中で意気込んだ月は未だに自らの肩にのっていた女の手をそっと掴んだ。
「レックスさん達が車に乗り込む前にこの場を離れます。ついて来てください」
「えっ」
月はレックスの関係者として、女はレックスに絡んだ謎の女として周囲から好奇の目を向けられる可能性が高かった。よってこの場で最も注目を集めるレックスが居なくなったらファン達に声を掛けられる可能性が少なからずある。加えて女はレックスに話を聞いて欲しいと懇願したにもかかわらず、にべもなく断られてしまっている。素気無くされた怒りで余計な事を周囲に言いふらされでもしたら、YouTuberであるレックスの仕事に大きな影響が出るかもしれない。
下手に女と関りを持つ事にもリスクがある。それも分かっていた。けれども女の登場によってレックスが浮かべた表情を思い出すと、女をこの場に放置する事の方が月には怖かった。
月は女の手を引いて種田の車が駐車している車道とは逆の方に走り出した。女は初めの数歩のみ戸惑うように縺れさせたが、直ぐにスピードに乗って月と速度を合わせた。
もし、レックスが自らの背中を未だに見ていたらと思うと恐ろしかった。
女に接触する事がレックスの踏み込んではならない過去に関わることと同意だからだ。下手に踏み込めば地雷を踏んで手足がもげて、二度とレックスに笑顔を向けてもらえなくなるかもしれない。
それでも月は女の手を離さなかった。
――――覚悟は考える前に決まっていた。
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