8 ガラクタと宝物
「誠に申し訳ございませんっ。本当に申し訳ございません」
月が床に額を擦り付ける代わりに廊下に並べられた段ボールの中身を高速で仕分ける最中、レックスは声を上げて笑いながら物置部屋でひっくり返ったバケツの中身を回収していた。というのも、月がそれらがおもちゃだと分かって尚触る事が出来なず、レックスを頼るしか片付ける方法がなかったからだ。
月は何度か片付けようと試みた。しかし、見るだけで鳥肌が立ち、万が一本物が一匹でも紛れ込んでいたらと余計な想像を膨らませて身動きが取れなくなる。掃除を生業にしているので普段はここまで拒否反応が出る事はない。しかし、直前に体験した直接肌に触れた感覚と多量のそれが頭上から降り注いだ記憶が濃過ぎてどうしても身がすくんでしまう。それを見かねたレックスが自ら片付けに取り掛かったのだった。
「いやぁ、見事なビビりっぷりだったね。ムーちゃんがYouTuberだったらカメラが回って無かったことが惜しまれるね」
知るかっ! 何てものを保管しているんだ! バケツの中身と一緒に滅べ!!――――と脳の片隅で喚き散らす。しかし、残った脳の中身はレックスに対する申し訳なさと仕事中に再びやらかしてしまった事に対する不甲斐無さで埋め尽くされていた。
顧客の手を煩わせるだけでも家事代行としてあってはならぬ事態だ。にもかかわらず、月がレックスの手を借りるのは椅子と一緒にひっくり返った時に続いて二度目。その上、今回は月が不注意で散らかしたものを“生理的に無理”というなんとも情けない理由で押し付けている。時間を無駄に消費してしまい家事代行業務が滞る事が最もレックスが忌避するところであろうと、月はそれ以前よりピッチを上げて手を動かしたが、時間と状況が許すのならば土下座して謝りたり心持ちだった。
そんな月に対しレックスはとても寛容だった。数回に渡る謝罪の言葉をあっさり受け入れ、逆に自らがバケツの中身を事前に片付けるなり処分するなりしなかったことを謝ってきた。その上、気持ちが収まらない月が繰り返す謝罪を笑って聞き流しつつ、作業をしながら気さくに話しかけてきた。
「まさかこんな物が飛び出して来るとは思わなかったでしょ? 他にも変なものばっかり出てくるから整理大変だったよね。丸投げしちゃってごめんね」
「いえ、そんなっ、謝って頂くことなんて何もありませんっ。私の方がっ――――」
「はいはい、もう謝罪はお腹いっぱいだからいらないですよー。これっぽっちも怒ってなきし気にしてもないから。それよりさぁ、家事代行のプロさんに教えを請いたいんだけどさ。物ってどうやったら捨てられる?」
レックスはしゃがんだまま、どこか懐かしそうに物置部屋の中を見回していた。
「基本が貧乏性だからさ、なんでも取っておきたくなっちゃうんだよね。片付けも碌にしないから、ガラクタばっかり溜まっちゃってどこもかしこも物だらけ。でも、前回片付けて貰った後の部屋がめちゃくちゃ快適でさ。自分でもキープする努力はしなきゃあかんと思った次第なんですよ、先生」
お道化て振り返ったレックスに対する言葉が喉の奥に詰まって出てこない。口から出たがっているのは未だに謝罪の言葉だが、それはもういらないと言われてしまった。発言通り本当に気にした様子がないので一先ず安堵することができた。だからと言って申し訳なさと不甲斐無さが消えるわけではない。しかもその感情を生むのは直前の失態からだけではなかった。
月はレックスを自信満々のいけ好かないナルシストだと思っていた。
動画は毎日見ていた。けれども千穂のように噛り付くように見るのではなく、朝食を摂る片手間でぼんやり眺めていただけだった。よって、数分間の映像の中から彼の人柄を拾い上げ分析しようとしたことなど一回もなかった。『イケメンだけど文句ある?』というインパクトの強いチャンネル名に引っ張られ、勝手にいけ好かない男だと決めつけていた。その上、コンプレックスだらけの自分とは対極の存在だと思い込み、脳内で僻みと嫉妬とストレス発散のサンドバッグにしていたのだ。
しかし、実際に会ったレックスは気さくで寛容で優しかった。イメージのままのレックスだったら月はもう既に三回罵倒されるか見下された上で三回契約解除を言い渡されていてもおかしくない。けれども、本物のレックスは今回の失態を許すどころか自分にも非があったと謝罪までしてくる。お高くとまっている様子など一かけらもなく、ただの雇われ家事代行スタッフの月に対しても心を配って接してくれるのが分かる。安直な言葉で言えば月基準で“めちゃくちゃいい人”だった。
勿論、二回会っただけで人間の人格をこれまでの情報だけで決めるのは早計だ。それでも、現状のレックスを前にそれまでの勝手なイメージを持続することは出来なかった。
となると、急激に自らの度量の狭さを思い知り情けなくなる。月は松田樹という人物を完全にYouTuberのレックスとして見ていた。画面越しの遠い存在に対して視聴者はその発言に一切の責任を負わない。その人の奥深くを見ることなく目に見え耳にする情報だけを頼りに自分のしたい範囲でその人物を評価し時には崇めたて時には批判する。月はその他人事のポジションが抜けきらぬままレックスに接していた。だから、前回の作業中に文句の一つでも言ってやろうなどという不穏当な発想が浮かんできたのだ。通常の顧客にそんな不遜な考えは持たない。本来だったらレックスを顧客と認識した時点で頭を切り替えなくてはならなかったのだ。
自分の未熟具合を思い知り存分に反省する。それと同時にレックスに対して失礼極まりない考え方をしていた自分を恥じた。思考を態度に出した覚えはなかったが、人の内面は往々にして外面に滲み出るものである。自分もその例に漏れないかもしれない。そう思うと月の居たたまれなさは膨れるところまで膨らんだ。
とはいえレックスにその内心を詫びるわけにもいかず、結局は誠心誠意接するという、良好な人間関係を構築するための基本の基に戻るしか打つ手はない。
月は先生呼びを謙虚に固辞した後、真面目くさって断捨離や整理整頓のコツを幾つか教えた。レックスもそれに耳を傾け、気の利いたリアクションを幾つか挟みつつ興味を示した。
少しでも役に立てただろうか?
月はレックスの表情を確認するために手元から視線を上げた。するとレックスは再び棚を見上げながら懐かしむと同時に惜しむような表情を浮かべていた。
「このガラクタ達ともそろそろバイバイしなきゃだね」
感慨深げなそしてどこか哀愁の漂った声が四畳半の部屋に響き月まで届く。その途端、大事なことを伝え忘れていたことに気が付いた。
「捨てたくない物を捨てる必要はありませんっ。ガラクタと宝物は紙一重です。思い入れのあるものを無理に捨てちゃダメですからね」
ついつい口調が強めになってしまい、レックスがきょとんとした顔で振り向いた。
「ガラクタと宝物は紙一重?」
小首を傾げられ、月は自らにできる精一杯の回答を捻りだした。
「ええとですね、例えばここにある物です。この部屋にはほとんど日用品や生活必需品がありません。となると私みたいな面白味に掛ける人間は断捨離しようとするとほとんどのものを処分対象にします」
レックスが律義に「面白味に掛けてないと思うけど」とフォローを入れつつ「やっぱりそうだよね」と微笑んでどこか寂しそうな顔付きになる。月はすかさず話の続きを語った。
「ですが、松田様もしくは松田様のファンの方々にとってここは宝の山なのではないでしょうか? ここにある物はほとんど動画の撮影に使った物ですよね? 一つ一つに思い出があって、松田様がこれまで頑張って来た歴史がこの部屋に詰まっているんじゃないですか?」
昨今、断捨離だのミニマリストだのとシンプルライフが注目されている。月自体はスッキリした生活は好むので、私生活に取り入れたり仕事柄本を読んで勉強したりもしている。だからといって捨てられない人が駄目なのかというとそうではない。捨てられないは勿体ない、つまり物を大切にする精神の現れだ。生活が破綻したり健康に害が出る程部屋が散らかっている状態は宜しくないが、それなりに整理整頓が出来るのであれば思い出を振り返るためだけに物を大切に取っておくことは悪い事では絶対にない。
月は以上の事を語った上でさらに付け加えた。
「ここにある物の価値を決めるのは世間一般の意見ではなく松田様の気持ちです。微力ながら、私も呼んでいただける限りはお片付けや整理整頓のお手伝いはさせていただきます。だから、大切にしたいと思う物なら無理に処分せず取っておいて下さい。…………現在進行形で松田様の手を煩わせている私がお手伝いするなんて役立たずの戯言にしか聞こえないかもしれませんが」
言いたい事の最後の最後で自分は偉そうに何を誰に語っているのだと頭が冷える。レックスが部屋の中の物を見つめる度にする表情が気になり、ついつい余計なお世話を口にしてしまった。月は気まずさから肩を窄めた。
機嫌を損ねてしまったかもしれない。そう思って恐る恐るレックスの顔色を窺う。
「役立たずなんて思わないよ。そうだね。ガラクタなんて言ったけど、ここにある物は確かに俺にとっては歴史みたいなもので宝物って言えるかも。まだ使える物も多いし、部屋がゴミ屋敷状態にならないように気を付けながら大切な物を見極めていけたらいいな」
穏やかに目を細めたレックスの口角は緩やかに上がっていた。その表情に月はほっと胸を撫で下ろす。
「ムーちゃんにアドバイスを貰って整理整頓すれば綺麗にキープ出来るだろうし。頼りにしてるね、家事のプロさん」
最後は少し茶化すように言ったレックスはバケツを持って立ち上がった。
「差し当たっては、まずこのバケツの中身は躊躇せずに処分しよう。ムーちゃんに来てもらえなくなったら困るからね」
今度は完全にからかい口調のレックスに気の利いた返事をする事は出来ず、改めて謝罪の言葉を口にして手元の段ボールに顔を突っ込むようにして頭を下げる。すると後頭部にぽこんと柔らかで軽い衝撃が走った。
すぐさま顔上げると、どこから取り出したのか白いウサギのぬいぐるみが鼻に触れそうな程の至近距離に突然現れ目を見張る。それがぴょこぴょこ動き出したかと思えば月の謝罪の言葉をオウム返ししてきた。どうやら録音機能があるぬいぐるみのようだった。
「こらこら、もう謝る必要は無いって言ったでしょ?」
ウサギはまたぴょこぴょこ動いて今度はレックスの言葉を繰り返した。
「宝物って言ってくれて有難う」
『宝物って言ってくれて有難う』
またオウム返しをしたウサギの底をレックスが弄るとウサギは感謝の言葉のみを繰り返す。それはオウム返しモードとリピートモードが搭載された優れもののウサギだった。
ぴょこぴょこ動きながらレックスの声で感謝を語るウサギが面白おかしくて月は軽く吹き出した。
「可愛いぬいぐるみですね」
「そう思う?」
「はい。動きも見た目も。これも動画に使われたんですか?」
「うん。一年くらい前かな。沢山並べてカエルの合唱させたら面白いかと思って。あんまり上手くいかなかったけどそれなりに面白い動画にはなったかな。でもって他のぬいぐるみは事務所の子持ちの人にあげて、コイツが最後の一匹」
そうなんですねと返しつつ、そんな動画あったかなと考えていると、ウサギが月の手の上に下りて来た。再び『宝物って言ってくれて有難う』とひょこひょこ動く。
「よかったら持って帰って」
「えっ? いいんですか?」
予想外の展開に驚いてウサギとレックスを交互に見やる。レックスは「どうぞ」と手をウサギから離した。
「なんてったってウサギ自身がムーちゃんに感謝を語っているからね。物置に放置されているより、可愛いって言ってくれる女の子のところに居た方がコイツも本望でしょう」
月は手の上に載せられたウサギを改めて見下ろして逡巡した。顧客から個人的な謝礼として金銭を受け取ることは就業規則で禁止されているが、物に関してはルールは存在しない。高価なものは受け取れないがちょっとしたお菓子や飲み物を提供してくれる顧客の存在は少なくない。断るのも心証が悪いのでほとんどの場合は気軽に受け取っている。ぬいぐるみはそれなりに高価な物だと月基準では判断したが、新品というわけでもなく、月が貰わなければ物置に放置されると聞けば可哀想にも思えてくる。個人的にも可愛いものは好きなので、ウサギのぬいぐるみは魅力的に見えた。
「ウサギが言っている事は俺の本心だよ。ムーちゃんの言葉で元気出た。睡眠時間削って仕事をした甲斐があったって思えるし、思わぬハプニングでばっちり目も覚めて、今日この後の仕事も頑張れそう。だからその子はお礼。いらないなら別だけど、欲しいって思うなら遠慮なく持って帰って。貰ってくれた方が俺も嬉しいし助かる」
からかいを含みつつ受け取るように促された月は数秒迷った後、ウサギを見下ろし一撫でした。
「では、有難く頂戴します。宝物を分けて頂いて有難うございます。このウサギさんを頂いた分もしっかり働かせていただきます」
もう謝罪は聞き飽きたであろうレックスに出来る限り感謝を伝えようと月は笑顔を向けた。
レックスは満足そうに頷き、軽くしゃがむと月と同じようにウサギを一撫でした。
それは間違いなくガラクタに触れるような手つきではなく、別れを惜しみつつ送り出しているように見えた。
大切にしようという思いが胸に広がった。
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