ホオズキ___前編

@cakucaku

第1話 


 コツコツコツ‥‥‥。


 薄暗い路地にローファーの音だけが響き渡っている。


 スーツ姿のローファー男のすぐ後ろには、尾行する人影があった。


 (くそっ!またかよ!)

 角を曲がった瞬間、ローファー男を見失ったようだ。


 尾行していたのは蓮16歳。

 探偵事務所ラットでバイトをしている。


 蓮はため息をつき、重い足取りで事務所に帰る事にした。


 アルミ製の古びた事務所の扉を開けると、気怠そうに言った。


「帰りましたー。途中でまた見失ったし」


「そう肩を落とすなって、そのうち上手くなるから」


 そう言って蓮に笑いかけたのは、ラットの所長で蓮の父親の健介。正確には里親だ。


 蓮は小さい頃に両親を亡くしており、施設で生活をしていた。中学に上がる頃、今の父である、所長に引き取られてここにやってきた。

 

「学校も行かずにこんな所で働いて、まともな大人になれんぞ」


 この人はここで一緒に働いている柴さん、結構なおじいさんだ。


「どうするんですか?この案件。尾行も出来ないんじゃ話になりませんよ」


 そして、この無愛想な人は年齢不詳、性別不明の自称アイビー。


「それじゃあ、アイビー、手伝ってやってくれないか?」


 所長が言った。


「自分は嫌です。そもそも尾行ぐらい誰でも出来ますよ」


「そう言わずに、蓮も少しは成長出来ると思うから。頼れるのは君しかいないんだよ」


「所長がそこまで言うなら‥‥」


 アイビーは渋々返事をした。


「明日からさっそく頼むね!」


「はい」


「よ、よろしくお願いします」


 蓮が恐る恐る言うも、アイビーは無視して自分の作業を続ける。


 ラットは所長、蓮、柴さん、アイビーの四人で細々とやっているが、元々は所長が一人でやっていたらしい。


 蓮は給湯室にいた。所長はブラックコーヒー、柴さんはお茶、アイビーにはミルクティーをそれぞれ入れて配る。


「あの、この案件って浮気調査ですよね?」


 蓮がミルクティーをアイビーに渡しながら言った。


「そうだけど、なんで」


「ここ数日尾行してて思ったんですけど、対象から女の気配感じないんですよね」


「お前そのうち何回見失ってんの?」


「三回です」


「じゃあその三回の時に会ってんじゃねーの」


「いや、なんか違う気がするんですよね。勘ですけど」


「お前の勘が当たると思うか?中学卒業してここで働き始めて、まだ半年も経ってねーじゃんかよ」


 アイビーは呆れたように言った。


「そうなんですけど」


 蓮には気になる事があったのだ。

 

「お前は言われた通りすればいんだよ。女の気配がなかろうが関係ねんだよ」


「はい」


 そう言うしかなかった。


「明日着いてってやるからルート出しとけ」


「はい」

 

 蓮は対象が通るであろう大体のルートを書いた地図をアイビーに渡す。


「ルートあんのにどーやって見失うんだよほんと」


 アイビーが文句を言いながら地図を見る。


「もしかして気づかれてねぇよな?」


「それは大丈夫です、多分」


「ちょっとでもこっちに気付いたと思ったらすぐ報告しろよ」


「分かりました」


「見失った場所にマークつけとけよ」


 そう言いながらアイビーは帰った。


 蓮はアイビーに言われた通り三つマークを付ける。


「しっかりしろよ」


 そう言うと、柴さんも帰っていった。


「腹減ったろ?飯にするか?」


 所長は蓮を誘い近所にラーメンを食べに出掛ける二人。


「明日から二人で頑張れよ」


「アイビーって何者なの?初めてまともに喋ったけどめっちゃ偉そうじゃん」


 蓮は不満そうに言う。

 

「態度は悪いけど仕事は出来るんだよ、今はな」


「今は?」


「うちに入ってきた頃はお前みたいにまともに尾行も出来ずよく落ち込んでたよ。それを柴さんが一生懸命世話してくれてな、今では柴さんが動かない分アイビーがやってくれてる」


「柴さんは歳だから動かないの?」


「まぁ、そうだな。走るの遅いから無理だろ?だから今は相談員を任してるんだ」


「でも明日から憂鬱だよ」


「簡単な事だよ、アイビーの真似をすればいんだからな」


「てか実質動けるのが俺とアイビーなら少なすぎない?」


「俺もちゃんと動いてるぞ、お前が知らないだけで」


「そうなの?」


「まさか、俺がただパソコンいじってるだけだと思ってないだろうな?」


「ごめん。思ってた」


「こいつー!」


 所長はそう言うと蓮のこめかみを拳でぐりぐりした。


「いってー!」


「ハハハハ!」

 

 痛がる蓮を見て笑う所長。


 何気ない日常。こんな毎日がいつまでも続くと思っていた。

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