何かがあのプロジェクトから変わったよね
三村信二は、フリーランスのデザイナーである。35歳という若さでミラノサローネに出品し、受賞を果たしてからデザイン依頼が次々に舞い込んできている。
デザインの仕事は、ホームページのインターフェイスを考えるものが多い。クライアントが今までにやってきた仕事にまずはダメ出しをする。そして新規の顧客を開拓するため、といってターゲットを変えさせる。
そうすることによって、デザイナーの存在感をアピールできる。もうこのやりかたは定型化していて、どこのデザイナーでもやっているし陳腐である。
またクライアントが素人であることをいいことに、依頼以上の仕事をしてみせることも常套手段である。例えば清涼飲料の販売促進に関する依頼であれば、頼まれた商品をのパッケージと販促戦略の提案をしながら、他のフレーバーを使って味のバリエーションを考え、ネーミング、キャッチコピー、パッケージを提案する。
そして全体をまとめるコンセプトを提案すると、いかにも凄いデザインだという雰囲気を醸し出せる。これもすべて読みの範疇で、特別凄いことをしたわけではない。クライアントは、デザイン料を余計に取られるのではないかとヒヤリとするが、タイミングを計って、
「こちらはサービスでデザインしました。まあ、私にとって趣味みたいなものだと思ってください」
というと、クライアントがニッコリする。そしてこちらはニヤリと笑ってみせる。
すべて台本通りで、デザイナーは大根役者を演じているだけだ。
三村もこんなことをしているデザイナーの一人である。
だが、あるとき難しい案件が飛び込んできた。重度の障害者が人間らしくくらすための仕組みづくりをしてほしい、というものだ。マーケティングという言葉からかけ離れた依頼で、考えるとっかかりがない。まずは、
「人間の幸せってなんだろう」
こんな素朴な問いを考えなくてはならなくなった。
まず大前提として、障害者には健常者と変わらない扱いを受ける権利がある。そして健常者と同じ扱いを受けることを望んでいる。
「障害者に手を差し伸べる」ことは良いことだが、かわいそうだとか、いかにもやってあげていますという態度は厳禁である。あくまでもさりげなくスマートに助けることが大事である。
障害者は何一つ欠けていないし、一人の人間として当たり前の日常を享受するべきだ。
デザインもこのようなコンセプトで考えるべきだろう。
「さりげなく助けるデザイン」は、デザインの本質である。良いデザインは、デザインされていることに気付かせないものだ。かっこいいスポーツカーも優れたデザインだが、プロなら外観からすぐにわからないところに精緻な技術を駆使するはずだ。
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