セナくんの愛に殺される!!

未唯子

EP1.いじめられっ子の瀬名くん

 紗良は今にも泣き出しそうな声で「良かったぁ」と安堵の言葉をこぼした。それはもちろん私もだよ、と手を取って喜びを分かち合う。

 クラス替えは何度経験しても緊張してしまう。一年生の時に仲の良かった紗良と、二年生でも同じクラスになれて本当に一安心だ。


 教室のそこかしこで話し声がする。みんなソワソワと落ち着かないのは、誰と同じクラスになったかが気になるからだ。誰かが教室の前の廊下を通るたび、ドアの前に人影が見えるたびに視線が集まった。

 私と言えば紗良と同じクラスになれたので、他のクラスメイトが誰であろうが気にしていなかった。面倒そうな子がいなかったらいいな、とは思っているけど。

 そんな風にお気楽に構えていた私でも教室の空気が一気に変わったことを感じた。一体誰がこの教室に入って来たんだ?、と前方のドアに目をやれば、なるほどと納得してしまう。

 そこに怠そうに立っていた新島伊織は、一年生時に全く関わりのなかった私でさえ知っている有名人であった。有名人といってももちろん、この高校の中で、という話だ。

 新島くんは噂によれば人気読者モデルらしい。有名なメンズ雑誌によく載ってるとかで、同じクラスだった女子たちが騒いでいた。し、私も実際にそのページを見せてもらったこともある。

 そんな新島くんは(一部の)女子たちに人気なのだ。その証拠に教室の各所から嬉しい悲鳴が起こった。さっきまで私と話していた紗良も「近くで見てもかっこいいね」と浮かれている。

 新島くんが不遜な態度で自席に座ったところを横目で見て、私は"やっぱり苦手なタイプ"だなと思った。


 私、正木沙耶香の性格は?、と聞かれた人は十中八九「正義感の塊」と答える。もちろんそれは、小さい頃から親に「正しいことをしなさい」と教えられてきた私にとって喜ばしいことだ。


 幼稚園の時にはスカート捲りをする男の子を泣かせるほど注意し、小学生のときはクラスの女子内で順番に無視し合うという謎の行いを止めさせた。中学では後輩をいじめていた同級生を改心させたし、隠れて煙草を吸っていた男子たちを注意したことだってある。

 どんな理由があれ、他人を傷つけてはいけないし、ルールは遵守すべきだ。


 それを信念としている私にとって、新島くんのような自分勝手に偉そうな態度をとる人は苦手、というか忌むべき存在なのだ。

 だから人気がある一方であまり良い噂を聞かない新島くんが、もし万が一でも誰かを傷つけるようなことがあれば私が絶対に止めてやるんだから、と決意を固めていた。


 続いて入って来た人物を認めた瞬間、新島くんの登場に色めき立つ教室に困惑の空気が色濃く広がった。

 誰?と私がその姿を確認する前に、紗良がぽつりと「瀬名和泉じゃん」と、その人物の名前らしきものを口にする。

 "せないずみ"と心の中で復唱しながら視線をやった彼の姿は、確かに一風変わっていた。

 卑屈そうな猫背に、セットどころかブラッシングさえしていないことが明白なボサボサ頭。前見えてんのかな?と不安になるほどの重たい前髪からは、分厚いレンズの眼鏡が時折覗いていた。

 そのくせ体幹がしっかりしているのか少しもブレない早歩きは、確かに異様な雰囲気を醸し出している。


「紗良知ってるの?」


 ひそりと発した私の言葉に、紗良はなぜか「めっちゃ有名人だよ」と新島くんの方を見ながら答えた。まるで新島くんと瀬名くんの繋がりがあるというような意味ありげな視線に、思わず前のめりになる。そんな私の気持ちを察した紗良が「沙耶香には言いたくない」と顔を顰めた。

 なるほどなるほど。紗良がこう言うときは大抵、私の暴走を心配している時だ。ということはつまり、新島くんてば瀬名くんをいじめてるな?と、名探偵も驚くほどの名推理。


「分かった分かった。そういうことね?」

「あたしまだ何も言ってないよ?」

「皆まで言うな。全て分かった。私は許さない!」


 力強い私の声に、紗良は大きな溜息を吐いて頭を抱えた。


「ほんと、ムチャしないでね?そもそも噂だよ?」

「うん、大丈夫!止めるのはこの目で確認してからにするから!」


 自信満々に言い切った私を見た紗良は「ただただ不安」と素直な気持ちを吐露した。




 新しいクラスメイトが全員揃い着席した頃、担任の滝川先生が教卓の前に立ち、挨拶と自己紹介を行った。それが終わると次は生徒たちの自己紹介だ。滝川先生の明るい声が「伊藤くんからお願いします」と、出席番号1番の男子生徒を指名した。


 しかし順調に進んでいた自己紹介は、もうすぐ 10人目を迎えようかという手前で突如失速する。


 先生の「じゃあ次、瀬名くん」と言った声に「……はい」と反応したのは、今にも消え入りそうな細いものであった。

 その声の持ち主はのそりと緩慢に立ち上がり、ボソボソと何かを言っている。何かって、それは勿論自己紹介なんだけど。辛うじて聞き取れたのは既に知っていた名前ぐらいで、後の内容は全くもって不明。

 途中で「瀬名くん、もう少し大きな声で」と注意した滝川先生の顔が少し引き攣っている。瀬名くんの席に近い子でも聞き取れなかったのだろうか。首を傾げているのが見て取れた。

 それでも瀬名くんは最後まで声を大きくすることなく、自己紹介を終えると猫背そのままに着席をした。その姿に教室の一部からクスクスと嘲笑が起こる。「聞こえねー」「くらー」と嘲罵も聞こえて、思わず眉間に皺が寄る。とってもとっても嫌な空気だ。

 その空気を察知した紗良が私の方を振り返り、首を横に振った。それは私への制止を求める仕草だ。さすがにここで声は張り上げないよ、と大丈夫だと頷き返した。


 そしていよいよ私の番。緊張を隠すように小さく咳払いをする。「正木沙耶香です」と名前を告げた後、大きく息を吸い込んだ。


「昔から曲がったことが大嫌いです。イジメや嫌がらせ、からかいのない平和なクラスになればいいなと思います」


 にこりと笑う。そんな私に拍手を贈りながら「すげーじゃん」と褒めてくれたのは、まさかまさかの新島くんだった。

 しかしその口振りには多分な揶揄が含まれていることが分かる。やっぱり嫌な人、とこちらをニヤニヤと見ている新島くんにフンと鼻を鳴らせば、彼はその人気のあるお顔を歪ませて嫌悪感を表した。




 部活がある紗良と別れて下校していると、前に見知った2人を見つけた。ここは主要駅なので乗り換えに利用する生徒が多く、クラスメイトを見つけることはなんら不思議ではない。しかしその2人が新島伊織と瀬名和泉となれば話は別だ。今日の新島くんのあの態度と、瀬名くんのあの感じを見ればだいたい分かる。

 もしかしてカツアゲしようとか思ってるんじゃないよね?と、主要駅の改札を素通りして繁華街方面へと歩いて行く2人の後をこっそりと尾けた。

 2人は時折なにかを話しながら歩いているが、瀬名くんのあの俯きた方を見るに恐ろしいことを言われているかも知れない。もっと近づいてイジメの証拠を確認できたら……、と焦ったく思ったその瞬間、なんと新島くんが瀬名くんの肩を一発殴る光景が私の目に入ってきたのだ。瀬名くんは痛そうにそこを摩っている。これは絶対イジメじゃん!と思うより早く、私の体と口は新島くんに詰め寄っていた。


「ちょっと新島くん、何してんの?!」


 突如投げつけられた怒りで責める口調に振り返った新島くんは、私の顔を確認するなり「はぁ?」と眉間に皺を寄せた。


「今瀬名くんのこと殴ったよね?!」

「は?何言ってんのお前」

「誤魔化しても無駄だから!私この目で見たよ?イジメなんて許さないからね!」


 その単語を聞いた新島くんはやっと合点がいったらしい。しかしすぐに鼻で笑い「話になんねーわ」と、私に向かってあからさまな溜息を吐いた。

 それは私のセリフだから。話にならないのは私じゃなくて新島くんだから!と、キッと睨みつければ、新島くんもカチンときたのだろう。彼も「うぜーし、お前に関係ねーから」と睨み返してきた。……全然怖くないから!


「新島くんは話になんないから、瀬名くん行こ?」

「……え?ぼ、僕?」


 瀬名くんは戸惑いに満ちた声を出した。かわいそう!新島くんに怯えきってるじゃん。今までどれほど酷いことをされてきたんだろう。


「大丈夫、私が守るから!新島くんに怖がらなくてもいいよ?」

「はぁ?お前まじで好き勝手言ってんなよ?!」

「イジメとかほんと許さないから!だっさいことしてないで、チャラチャラしたモデル業でも頑張ってなさいよ」


 私のこの言葉に余程腹が立ったのだろう。怒りを逃すような深い息を吐いた新島くんは、「瀬名、今日は帰れよ。また明日な」と、瀬名くんと私を残して繁華街へと消えて行った。

 そんな彼の姿が見えなくなってから私は瀬名くんに向き直る。


「瀬名くん、肩大丈夫だった?」

「……肩?」

「さっき殴られてたとこ」

「ああ……大丈夫だよ。ありがとね、正木さん」


 顔は相変わらず見えないので表情が窺えない。だけどそう言った瀬名くんの声音は明るく、それだけで私の頑張りが報われた気がした。


「これからも新島くんに何かされたら私に言ってきてね!絶対に守るから!」


 瀬名くんに安心してほしくて、とびっきり優しく笑いかけた。相変わらず俯いたままの瀬名くんには見えていないだろうけれど。それでもいいのだ。私の決意表明みたいなもんだし。


「心強いよ」


 そう言った瀬名くんがどんな表情をしているのかは、全く分からなかったけれど。(猫背、俯き、分厚い眼鏡、長い前髪のクアドラプルコンボで本当に顔が見えない)


「うん!あ、そうだ、瀬名くんって家どの辺り?一緒に帰ろう!」

「…………!」


 息を呑んだ瀬名くんを不思議に思ったのは一瞬で、そりゃそうだとすぐに合点がいく。なにを思ったのか、私は瀬名くんの手を握っていたのだ。

 焦って慌てて「ごめん!」と引っ込めた私の手を追うように瀬名くんが手を伸ばし、先ほど離したばかりの私の手を強く握った。


「せ、瀬名くん?」

「……さっき殴られたのが怖かったから……だめ、かな?」

「ううん!ダメじゃないよ!人肌って落ち着くもんね」


 同級生なのに、なんだかうんと年下の男の子と接しているみたいだ。えへへ、と笑った私に瀬名くんも小さく笑った。あ、瀬名くんってこんなに口角上がってるんだ、と、なんだか瀬名くんのイメージと不釣り合いだなぁ、と、そんなことを思った。

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