二十着目「魔のオリエンテーション」
「改めまして、統括執事の吉野と申します。
お嬢様やお坊ちゃまの前で別の言い方をすると、『ハウススチュワード』とも呼びます。
担当は、新人教育の統括。あと、劇団もやっていて、メディアの担当も私が兼任しております。
さっきの一縷君も劇団員の一人です。お二人は、テレビの特集を観てくれてたようだから、もう知ってるよね」
『はいっ』
僕らは同時に返事をした。
「リョーマ君と夕太郎君。君達の事を、私もゆっくりと知っていきたいと思います。
ですが、実はそう悠長な事も言ってられない事情があります。
君達に残された時間は、僅かしかありません。リョーマ君、研修期間はどの位だと思います?」
「えっ……あれだけ行き届いたサービスと紅茶やカップの知識を完璧に自分のものにするには、一年くらい必要だと思います」
「トレビアン!素晴らしい」
そう言うと、吉野執事は、静かに軽く拍手をした。
てか、『トレビアン』とか絶妙にダセェ…と思った……。
「確かに、お屋敷には、常時40種類以上の茶葉があり、100種類以上のティーカップを所有しております。
それに加え、ワインの知識や毎月変わるフードメニューも覚えなければなりません。そう考えると、リョーマ君の言う一年では、到底難しいかもしれません。
ですが、私たちには、時間がありません。
では、夕太郎君にも同じ質問をしましょう。君達は、どの位の期間で一人前にならなければいけないと思いますか?」
「リョーマ君の言うように、確かに一年位必要なのかもしれません。でもそれでは、人件費が莫大に掛かってしまい現実的ではないかな~と思いました。
だから、雑務などのお手伝いをしつつ、3か月位かなぁ?」
「トレビアン!素晴らしい。そうだね、コストの事もきっちり考えなきゃいけないね」
ダセェ…と思ったけど、『トレビアン』と言われて、嬉しい自分がいた。
「一カ月です」
吉野執事は、キッパリと言い放った。
「私共が、君達を集中的に育てられる時間は、人的資源的にもコスト面的にも、たった一カ月しかありません。
今日入社したばかりの研修生にこんな事言うのは、シビアかもしれませんが、本気で向き合って欲しいからこそ、敢えて厳しい事をお伝えしております。
あと、もう一つの理由があります。
それは、一年かかる所を、たった一カ月で成し遂げる程の本気度を私共にアピールして欲しいという思いもあります。
逆に言うと、その位、やる気と根性がないとやっていけない職場とも言えます。
世間では、“イケメン”や“女性をもてなす”というイメージばかりが先行してしまい、阿漕な商売と罵り、私共の事を快く思わない人達がいるのも事実です。
これは、私共のメディアの発信の仕方を反省しなければならない一面もあります。
ですが、世間の求めるニーズにも応えていかなければならない為、なかなか難しい問題でもあります。
実際は、彼らの想像の何倍も厳しい職場です。
それでも、リョーマ君、夕太郎君、君達は頑張れますか?この研修に付いてこれますか?」
『はいっ』
僕らは迷いなく返事をした。
というのは、大嘘で……僕自身は、本当に出来るか不安で一杯だった。
けど、話の流れで『はいっ』と言わざる得なかった……。
「トレビアン!素晴らしい。その覚悟しっかりとお受け致しましょう!」
結局、吉野執事のペースにどんどん追い込まれてる事態に今回の『トレビアン』は全然嬉しくねーと思った……。
「直近のスケジュールを伝えると、まず今日から一週間後に紅茶のテストを行います。そして、次の一週間後にカップテスト行います。どちらも“一発合格”してもらいます」
「えっ?もし不合格だったら?」
「その時は、さよならでございます」
吉野執事は、満面の笑みで僕の質問に答えた。
「私は、既に君達から、その覚悟を頂戴しておりますからね」
ニンマリと笑う口元が、面接の時の優しい吉野執事から、徐々に悪魔のように、こわーい吉野執事に見えてくるようになった。
「私も含め、担当講師達は、心を鬼にして君達を特訓しますが、それでもよろしいですか?」
『はいっ!』
(やだー、怖いのやだー!優しく指導してーーー)
「研修の合格率は、およそ10%です。
その為、ニーズに対して使用人の供給が全く追い付いていないのが現状です。
しかし、ご帰宅されたお嬢様やお坊ちゃまにご満足頂けるよう、一定水準以上のサービスを保つ為にも、例え使用人不足に陥ったとしても、中途半端な人材を世に放つことは出来ません。
そこは、妥協できないので、悪しからず」
「最後に私の方から、お二人にエールを送ります。死ぬ気で頑張ってくださいね」
『はいっ!』
(ヤダーー!死にたくないよーーー)
「ここまでで、何か聞いておきたい事や不安な事、質問などはございますか?」
不安だよ……不安な事しかないよ……。
僕が心の中で、弱音を吐いていると、リョーマ君が手を挙げた。
「はい、一つ聞いても良いですか?」
「リョーマ君、何でしょう?」
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