八着目「Restructuring」
「解雇予告通知……」
僕は言葉を失う。目前の社長も居た堪れない表情だった。
この世は捨てる神ばかりだ。拾う神なんてどこにもいない。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
僕は、ごくごく普通の人生を送りたかっただけ、なのに……。
人並みに彼女がいて、人並みに仕事をして、出来ればそのまま結婚して、子供が生まれて、特別裕福でなくとも安定した家庭の為に頑張って。
そんな人生の為に、彼女を必死に守ろうとしたし、仕事にもしがみついて来た。
でも、必死になればなるほど、上手くいかなかった。空回りして、むしろ、どんどんダメになっていく。
もし神様が居るのなら答えて欲しかった。
……僕は、そんなに贅沢な事を望んでいますか? どうして、こんなひどい事するんですか? ただ、普通で良かったのに。
彼女がいなくなって、今、仕事も無くなった。
僕の大切にしたいもの、全部なくなってしまった。
でも、辛いことばかりなのは間違いないけれど、適正のない仕事や追い出し部屋から解放されると思えば、正直ホッとした自分もいる。
以前からリストラは時間の問題だと思っていたので、あみちゃんとの突然の別れと比べると、幾分かは冷静でいられたが、まさかこのタイミングだなんて。
僕の心情はぐちゃぐちゃで収拾のつかない混沌と化していた。
「すまん、申し訳ない!」
茫然としていると、社長がテーブルに両手と額を付けて謝っていた。
これまでは鷹揚な振舞いしか見たことがなかったので、こんな姿を見るのは初めてだった。
落ち着かない気持ちとなる。これ以上、社長のこんな姿を見ていたくはない。
けれど、僕の口は反射的に言葉を呟いていた。
「あの……上級コースのマニュアル完成しました……」
ゆらりと力なく手を動かすと、鞄の中から完成したばかりの書類の束を取り出した。
「…………」
社長はテーブルに額を付けたまま押し黙っていた。
ピクリとも動かず、受け取ってはくれない。
「あの……見て下さらないのですか?」
「本当にすまない……」
社長は繰り返し謝罪の弁を述べるだけだ。それが問いへの答えだった。
僕は虚ろな視線をテーブル上に落とす。そこには二つの書類と、一口も口を付けていない様子のホットコーヒーと、飲みかけのエスプレッソが並んでいた。
疲労感で鈍る脳ミソを何とかフル回転させて、言葉を続ける。
「あの……この結果が僕の自己責任なんですか? 僕、何か悪いことしたんですか? 努力が足りないんですか? 結局、自己責任って何ですか……?」
か細い声で淡々と、矢継ぎ早に問いかけた。
しかし、社長はやはり頭を下げるだけだった。
「すまん、全部俺の責任だ!」
経営者である以上、無能な社員のクビを切るのは当然だ。
だから、俺の責任とか誰それの責任とか、そういう言葉が聞きたいわけじゃなかった。
世間がさも当たり前のように、声高に礼賛する“自己責任論”ってやつの意味を僕は単純に知りたかったのだ。
みんな自分以外のことは何も考えていない。今回のことがなければ、僕だってその一員だった。
弱っている相手がいれば、「お前の自己責任だ」と罵るだけでいい。何も考えずともその一言だけで、簡単に誰かを責めることが出来る。
自己責任論を突き付けられた側も、どこがいけなかったのだろうか、と自分で自分を責める。真面目な人ほど必死に考え、藻掻いて、一層泥沼にハマっていく構図。
こんな便利な言葉は他にはないだろう。
きっと誰だって自分の生き方に自信がないのだ。その為、弱っている者を見ると、ほれ見たことか、自分の方が正しい、と糾弾せずにはいられない。そうすることで、一時の安寧が得られるのだろう。
誰もが相手を思いやる程の余裕を持っていない。だから、都合の良い自己責任論を押しつけ、思考停止で日々を過ごしている。その方が楽に生きられるから。
僕がそんな考えに耽っていると、社長は僅かに肩を震わして呟いた。
「俺だって、辛いんだよ……」
こんな風に弱音を吐く姿も見るのは初めてだった。
いつも冷静で合理的な人だと思ってたから、僕はちょっとビックリしてしまった。
そうだよな、僕と年もそんなに変わんないもんな……。
この会社には第二新卒で雇ってもらった。未経験で一から育ててくれた社長には恩を感じていたし、あんな風になりたいと尊敬もしていた。
だけど、社長の期待には応えられない結果となってしまった。同じ人間なのに、何でこんなにも能力の違いがあるのだろうか。
「はぁ……」
自分のやるせなさに自然と溜息が出た。
あみちゃんにはこの癖が嫌だと言われたが、今だけは許して欲しかった。
彼女もそうだったけど、人はその環境で必要な役割を立ち回ってるだけなのだろう。
社会という舞台で、上手く立ち回れないのは僕だけか……。
目の前で社長は退職に関しての説明をしていたが、何一つ頭には入って来なかった。
とっくに思考はキャパオーバーで、頭が全然回っていない。
疲労感で虚ろなまま、僕は解雇予告通知書を黙って受け取った。
──クソ、本当に僕が一体なにをしたっていうんだ!
奥歯をグッと噛み締め、心の叫びを押し殺した。
最後に社長が一言付け加える。
「今の状況が良くなったら、また声を掛けさせて貰うから」
いつ来るかどうかもわからない未来の話をされても……、と思ってしまう。
僕は俯いたまま返事をしなかった。無言で席を立って、その場を後にする。
最後に社長がどんな表情でいたのか、見ることはとても出来なかった。
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